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馴染おさなの初体験


「パスコード、11-05-カサノ-イバ-グレート。さあ開け!」
 小太りの少年、秘密 基地夫(ひみつ きちお)が手を掲げそう宣言すると、ただの崖だったそこにぽっかりと穴が空いた。後ろに立っていた黒髪の三つ編み少女、馴染 おさなが、わあ、と声を上げる。
「すごい……」
「へへ。まだまだ入口じゃんか。驚くのはこれからだぜ」
 基地夫の魔人能力は『秘密基地の作成と管理』。彼の秘密基地には入口のみが現実に存在し、中身は時空間の狭間に位置する。そしてその入口も、決められたパスを宣言しなければ開く事はない。
 狭く暗い通路を抜けた先にある(「こういうのがなきゃ秘密基地っぽくないじゃんか!」)秘密基地は、マンションのモデルルームのようだった。木目調の綺麗なフローリング、綺麗な家具、健康的な照明。テレビの前だけゲーム機とスナック類の袋で散乱しているのも、秘密基地っぽい。
「これ……全部基地夫くんが?」
「ああ、大体そうだぜ。えーっとね」
 基地夫が部屋の片隅のパソコンに向き合い、何やら操作する。こっそりと後ろから覗き込むと、画面にはロボットのフィギュアが表示されていた。基地夫はそれに手をかざす。
「見てろよ。これをこうして……ほらっ!」
 かざした手に力を込め、向きを変え、パソコンの脇へ『放つ』。するとそこには、表示されていたフィギュアが立っていた。
「わあ……」
「これでさ、マンションの中身をパクッてやったんだ! スゲーだろ! あ、それでなそれでな!」
 続いて基地夫は、別室へ繋がる扉を開いた。そこはバスルームだった。
「お風呂?」
「なんだけど、ちょっと違うぜ」
 基地夫が浴槽の蓋を開く。そこには湯が張られていたが……奇妙な事に、底がなかった。
「これ、底なし風呂なんだよな。ゴミとか色々ここに沈めると、なんと消えちまう! 色々試したけど、ホントに消えちまうんだ」
「そうなんだ……じゃあ、ちょうどいいね」
「ちょうどいい?」
 おさなの声に不穏な物を感じた基地夫が振り返る。その腹におさなが飛び込んできて、何か熱い物を感じた。
「あ……?」
 おさなが体重を込める。基地夫は後ろに――底なし風呂に向けて倒れかけ、浴槽の縁を掴んで堪えた。腹の辺りに熱とぬめりを感じる。おさなが血に濡れたナイフを持っているのを見て、その正体が自分の血液だと悟った。おさなが自分を刺したのだと気付いた。馴染 おさなは、別に自分の幼馴染みでも何でもない事にも、気付いた。
「あ、あ、おまえ」
「この……!」
 おさなが助走をつけ、もう一度基地夫の腹にナイフを突き立てる。脂肪が邪魔になったのか、内臓へのダメージは少なめだ。だが繰り返せば分からない。足に力を込め、基地夫は立ち上がる。
「おまえ……お前!」
「死んでよ!」
「お前! おさな……おい! てめえふざけんな!」
「死んでよ! 死んでよお!」
 突き刺す。突き刺す。だが、基地夫は健康優良児で、おさなはどんくさい一女子生徒である。両者の力量差は大きかった。
「死んでよ! 基地夫くんが悪いんだから! 基地夫くんが……あなたが悪いんだから!!」
「ガホッ、訳、ゴホッ……訳わかんねえんだよ!」
 基地夫は咳き込み血を吐きながながらもおさなの腕を掴み、頭を風呂場の壁へ押し付けた。
「ううっ!」
「てめえ……カハッ。お前、そうだ、思い出したぞ。てめえ。妄想癖のキチガイ女だって、てめえ、女子が噂して、ゴホッ」
 基地夫が咳き込んだ隙を突いて、おさなが拘束を振り払う。再度、体当たりしつつ腹にナイフを突き刺し、かき回した。嫌な物が混ざり合う感触が伝わってくる。
「ああああ!」
「死んでよ……死んでよ! お願いだから! こうするしかないんだからあ!!」
 力を失った基地夫がおさなへともたれかかる。それを拒絶するように、おさなはその体を底なし風呂へと押し沈めた。浴槽の湯を血で汚しながら、基地夫の体が沈んでいく。どんな原理か、確かに基地夫の姿は見えなくなり、浴槽の湯もほどなくして綺麗になった。今になって、おさなは全身血まみれな事に気付いた。
 腹の中から何かが込み上がる。おさなは胃袋の中身を底なし風呂へぶちまけた。一人で食べた朝食。基地夫と二人で食べた昼食。それら全てを、底なし風呂は受け入れ、浄化していく。
「……うぐっ」
 酸味混じりの苦い胃液が、まだ口の中に残っている。だが、嘔吐の止まったおさなは浴室のタイルへとへたりこみ、ぐずぐずと泣き始める。
「やだよ、こんなの……ごめんなさい……こんなのやだよ……やだよぉ…………」
 ――その全てを、私は醒めた目で俯瞰していた。

 あの後私はひとしきり泣いた後、ちゃんと全身を綺麗に洗って、汚れた上着を風呂に沈めて、自分の家へ帰った。罪悪感で頭の中がパンパンに痛くて、それでも平然を決め込んで帰った。結局は我が身が可愛かった。
(そういえばあの秘密基地、しばらく仮住まいとして使ったっけな)
 ベッドから起き上がる。ピンクのふわふわしたパジャマを脱ぎ(こういう所で手を抜くとボロが出るものだと私は考えている。目に見えない所でこそ可愛さを磨かなければいけない)、就寝用下着も外して、姿見の前に立つ。
 あの頃と比べると、今の私はとても魅力的だ。
 猫背だった背筋は、健康的に、堅苦しさを感じさせない程度にぴんと伸びている。
 肌だってさらりとしている。少しの荒れもない。余裕がある限りは、寝る前の入念なケアを欠かさないようにしている。
 髪も変なクセはなく、まっすぐに伸びている。重苦しくなく、それでいて軽薄でもないライトブラウン。季節によって少しずつ変えている。
 スタイルだって。モデル並みとはいかないが、人よりは良いつもりだ。足の長さを物理的に伸ばすとかは困難だが、こういうのは所作と肉付きで変わるものだ。
 ただ。
 ただ目だけは暗い。
 きっともう涙が枯れているから。
「どうしてあんな夢、見たんだろ」
 独り言の答えは分かっていたが、出さなかった。そんな物に意味はない。
 迷宮時計の戦いは、まだ続いている。
 だから私は勝ち続けなければならない。勝ち抜いて迷宮時計を手にしなければならない。
 そして、取り戻す。
 あの日から失い始めた私のすべてを、取り戻す。