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インナー・グルーヴ


 肌にざらつくシーツの上で目を覚ますと、冷えた空気はしんとした青白い影に包まれていて、夜の底がきしむ音がきこえた。壁に空いた丸窓の型穴は磨硝子をとおして月輪をスピンドルのかたちに切りぬく。窓のふちには大きな蝿が一匹じっととまっていた。わたしがそっと指を伸ばすとそれは鋭く抗議の声をあげて、小さな部屋の直方体に染みついた宵闇の中にまぎれていってしまった。

 ひどくおなかが空いていた。机のうえのビスケットの紙箱を覗いても、中にはただ空っぽのプラスチック容器だけ。出かける前にぜんぶ食べてしまったから。細かい溝に残りついた砂糖くずを、濡らした指ですくって舐める。舌の上で溶けてゆく小さな砂粒の甘さを味わううちに、粉末を肺に吸い込み咳こんでしまった。何回も何回も、痙攣するように背中を折り曲げながらとめどなく苦しい空咳をくりかえすと、手足の痺れがじんわりと全身に染みわたっていくのが感じられて、わたし自身の肉体もそのまま夜の空気の中に溶けていってしまいそうだった。

 毛布を抱えて丸まりながら、母さんが死んだ日のことを思い出していた。場末の教会で春をひさぐ聖女は、運命の冷たいやっとこで体を思い切りひねられて、さらにもういちど逆にねじ切られて死んだ。はらわたを全部ぶちまけて。それからこんなふうにして目を覚ますと、わたしの心臓にはぽっかり穴が空いていた。その最初の穴だけは、どんなにしても埋めることも動かすこともできなかった。

 あのひとは最後になんと言ったのだろう。わたしが未来を奪い取ったあのひと。その言葉は二度と出られない虚穴に吸い込まれて消えてしまった。


 そのうちコンクリートの床を高く鳴らすあいつの足音が遠くから響いてきた。足音が壁の向こうで立ち止まると、続いて木製の扉が嫌な音を立てて開かれて、廊下の明かりが床に扇型の光を投げかけた。天井から吊るされた、ほこりが硬くへばりついた裸の電球が灯されて、上枠をくぐって這入ってきたあいつの横顔を蝋人形みたいに薄黄色に塗りつぶした。

「お前は、どう思った」
 わたしをベッドから引き起こしつつ、響きのない声を投げかける。わたしは。
「それで、お前はどう感じたんだ――」
 こいつを。

 部屋の暗がりの隅から大きな蝿がみずから飛び出して、幾度かブンブンと電球にぶつかったのち、やがてぼとりと落下した。



  一切空ちゅうおばあさんがどこかしらにござった。
  豆っちょろのお家におさまりかえってござった。
  そこへだれだかぬうとでて、
  かっと口あけ、すう、ぱくり。
  お家もおばあさんも一切空。

            ――北原白秋訳『まざあ・ぐうす』より