「お前がいいな。その眼。クソったれた世の中なんざどうでもいいと思ってるんだろう?」
12歳の誕生日。俺を施設から連れ出したのは、ホオジロザメみたいな強面にサザエの化け物みたいな頭をしたおじさんだった。頬に走る十字傷が、語るまでも無く明らかに堅気の人間ではないと示している。
毒をもった生き物が毒々しい見た目をしているのは、天敵と共倒れになるような無駄な争いを避ける為だという。だからきっとこのおじさんも親切な心根の持ち主に違いない。
なのに院長先生は「こんなはずじゃなかった、写真ではもっと優しそうな人だったのに騙された」と泣いていた。
「今日からこれがお前の名前だ、ガキ」
おじさんが差し出した紙には、妙に小奇麗な字で『山口 祥勝』と書かれていた。乙女か。その顔で。
「俺、苗字はともかく名前は豪久っていうのがあるんだけど」
「はっ、カスみてェな名前だな。いいか、こいつはとても深くてありがたーい意味が込められてンだ。お前、ヒーロー番組は好きか?」
「好きでも嫌いでもないです」
「ほう。ちなみに俺は嫌いだ、ガキの頃からな。好きとか抜かしてたら思いっきり顔面をぶん殴ってた」
その場で虚空へとジャブを繰り出してみせるおじさんの指には、メリケンサックが嵌められていた。それ、付けたまま生活してて不便じゃないんだろうか。
「俺はそれこそ、物心ついた時から今までず~っとヒーロー番組を観てきた。あんなもんクソだ」
「嫌いなのに観てきたの?」
「嫌いだから、だ。昔からずっと思ってた。悪の方が正しいのに、なんで毎度毎度負けなくちゃいけねえんだってな。俺の親父も極道だった。だから俺は、やつらは自分たちが見せたいだけの嘘で画面を塗り固めているってことを知っていた」
良く分からない話だった。チベットの山奥に住むビッグフットの実在性ぐらいどうでもいい。殴られるのだけは嫌だったから、真面目そうな顔をしてうんうん頷くフリをした。施設のヒステリックおばさんを相手に身に付けた処世術だ。
「だから、俺が最高のショーを作ることにした。山口祥勝(ショッカー)。悪の一尖兵にすぎないお前が、希望を蹂躙するんだ。この山口罵譚(バダン)が、それを最も欲しがってる奴らに正しく届けてやる。それは素晴らしいものになる」
カスみてェな名前だな。そう思ったが、敢えて口には出さなかった。
なんにせよ、ここでおじさんの言う通りにしていれば、あの退屈で寒くてメシの不味い施設には戻らなくて済むんだから。
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デビュー戦は15歳の時だった。
『さあ、今宵も始まりました! 悪意が希望を駆逐する、スーパー・ヒール・ショウタイム! 本日は若き新たな尖兵を紹介したいと思います!』
無線イヤホンからおじさんの冴えたトークが聞こえる。あの重量級ボクサーみたいな身体のどこからこんな声を出しているんだろう。
封鎖された廃ビル。『獲物』は既に解き放たれている。おじさんの組の幹部の女に手を出したアホが一人と、正義感の強すぎた元警察官が二人。
建物内に仕掛けられたカメラの前で、彼らの『希望』を刈り取る。それが俺の役割だった。映像は他の娯楽に飽いた趣味の悪い金持ちや、私刑執行を求めるヤクザたちへと届けられる。
「おじさん、相手は武器とか持ってるの?」
『いや、何も持たせてねえ。だが建物の中で何か殴れるものを調達してるかもな』
『おいおいバダン君、大丈夫なのかね君のところのハンターは? 我々は生半可なショーなど望まんぞ!』
豚が喘ぐような喚き声に、思わず音量を下げた。顧客の皆様の生の声を反映。客商売は大変だ。
『ご安心ください、金城様! こいつは期待のホープです……おい、聞こえてるな?』
「分かってる。行ってくるよ」
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クソだせえ骨の意匠の覆面を被って、ビルの正面の扉を開けた。
足を踏み入れると同時に、真横に隠れていた男が花瓶を振りかぶって襲ってきた。気配でバレバレだったので、とりあえず脚を振り上げる。
「ギャアアアアア!」
ミドルキックを一発入れただけで、男は面白いぐらい吹っ飛んだ。
そういえば、外の相手と戦うのは初めてだ。三年間俺のための特訓と称して何度も何度も蹴りをキメてくれた兄貴分の顔を思い浮かべる。本当は今日のショーも彼が出るはずだったのだ。
先月あまりにもムカついて見よう見まねで顔面を蹴ったら、そのまま意識を失って今も病院で寝込んでいる。三年間のインストラクションが無駄ではなかったことを身をもって俺に教えてくれたのだろう。合掌。
「げふっ……あ……ゆ、許し……」
「お兄さんさあ、組の女に手を出したって人でしょ? そんなまっ金に髪染めた警官とかいないもんね」
「あ、ああ……殺さないで……」
男の顔は恐怖に歪んでいた。耳元からもっとやれとか、嬲り殺せとか、変態どもが喘ぐ声が聞こえてくる。こういう時どうすればいいかを、おじさんはちゃんと教えてくれていた。
「あんた、俺を返り討ちにするか、朝まで建物内で逃げ切れば放してもらえるんでしょ? いいよ、俺も実は今日が初めてでさ。三人もいれば二人狩れれば上出来だろうし」
「あ、ああ……」
「他の二人の居場所を教えてくれたら、あんたは見逃してあげる」
男は泣くやら安堵やら笑うやら、ないまぜにした顔で上を指差してみせる。
「ふ……二人は三階だよ……」
「ふーん。何か武器とか持ってる?」
「て、鉄パイプだ……二人とも……」
「そっか。ありがと」
お礼に弾をぶち込んであげた。顔面が潰れて、最後に笑ってたのか泣いてたのかは分からなかった。
チャラそうなお兄さんの言葉はあんまり信じられないので、やっぱり一階から順番に探すことにした。
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三階。警戒しながらドアを開ける。何もかもが撤去されていやに広く感じるフロアに、二人の元警官が立ち尽くしていた。俺を見るなり、二人は驚くやら困惑するやらで騒ぎ出した。
「君が……狩人? まだ子供じゃないか」
「奴らは子供にまで殺し合いを……!」
俺はこれでも結構優しい。どれぐらい優しいかというと施設に居た頃、毎年ジャポニカ学習帳とお菓子の袋しかくれないサンタクロースの実在を信じているという設定で大人たちを騙し続けてきたほどだ。なので今回も彼らの幻想に乗ってあげる事にした。
「僕、怖い人たちに捕まって……いきなり、こんな武器を持たされて……助けてください、おじさんたち……」
イヤホンから響く大爆笑が耳を劈いていた。俺は俳優を目指すべきかもしれない。
「可哀想に……私達と一緒に逃げよう」
片方がパイプを持たない方の手を差し出してきた。ありがたく手首を掴んで捻り、床に叩きつけた。
腰に隠していたダガーナイフで喉を斬り付けた。ナイフはインファイトなら拳と変わらない速さで振り抜ける反面、殺傷力は心許ない。なのでもう一度。更にもう一度。念を入れてもう一度。
もう一人が鉄パイプを振り回してきた。腰の飾り布を抜き翳してパイプを絡め取る。ボディがガラ空きだったのでぶん殴った。怯んだところにそのままサミング。眼球が両方潰れて、ねちょっとした感触が指先に残る。
マウントを取って、そのまま殴った。悲鳴と、嗚咽と、なにかそれ以外の声にならない声が混じっていた。耳元からは歓喜の絶叫/彼らなりの最高の賛辞/お前は悪意の申し子だ/殺すために生まれてきた――なんて、的外れで馬鹿らしい。
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「ハハハ……すげえデビューだったぞ祥勝」
おじさんはとてもゴキゲンだった。三年間で一度も見たことのない、10センチ級のオオクワガタを見つけてしまった夏休み中の少年のような笑顔だ。
「そう。そりゃあ良かった」
「おいおい。あんなすげえ事やっておいてそれしか言う事が無えのか?」
「ファイトマネー、貰えるんでしょ? 次のショーはいつ?」
「……ハハハ、ヒャハハハハハ!! お前は最高だ!!」
おじさんは何か勝手に勘違いして、腕を肩に組んで呵呵と笑った。俺はあまり笑えていなかったと思う。多分、おじさんからは見えていなかったはずだ。
何の意味もない。
俺がどう殺したって関係ない。どうせ俺がやらなくてもあいつらは死ぬんだから。
おじさんたちの言う『悪の美学』とかなんとかいう話は、いまだにちっとも分からなかった。きっとこれからも、それを理解できる日はこないんだろう。悪がどうとか、反対に、良心とか。そういうものはきっと俺を満たしてはくれない。これはきっと誰のせいとかじゃなく、生まれつきそういうものなんだから仕方がない。
金持ちたちの機嫌を取れるやり方で稼げるだけ稼げばいい。寝たい時に寝ること。食いたい時に美味い物を食うこと。それからまだ分からないけど、抱きたい女を抱くということも。本能を満たす快楽の絶対値だけは、きっと俺のことを裏切らないでくれる。
このときは、そう思っていた。