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第一回戦SS・戦場跡その2


「ねえ、待って」
 おさなは手を伸ばし、メリーの手を掴んだ。冷たい風が吹く中、それは何より温かかった。
「行かないで。おねがい……一人にしないで」
 熱に浮かされたようにおさなは囁く。
「メリー。ねえ」
 メリーは答えない。翅が広がる。
「私は、あなたが……」

―――――

 時は知れない。場所も知れない。
 ただ、そこは確かに戦場だった。兵士たちの骸が彼らの武装と積み重なり、層を為している。
「臭っ」
 もっとも、こ馴染おさなにそんな事は分かりようもなく、また分かる必要もなかった。
 空は暗いが、夜ではない。辺りに散らばる戦死者たちはすでに腐敗を始めているようだ。おさなはハンカチで口元を覆い、周囲の様子を窺いながら、転移前24時間の事を思い出す。
 メリー・ジョエルの名はついぞ見つけられなかった。それなりに使える情報網を使ったのにも関わらず。という事は、メリー・ジョエルなる者は、少なくとも魔人として大した活動はしていないと見える。そして、恐らくは外人だ。言葉は通じるか?
(……板金鎧、槍とか盾とか、弓矢とか。銃すらない。中世ヨーロッパのウンチャラって感じ)
「よいしょ」
 試しに槍を一つ持ってみた。穂先で死体が釣り上がり辟易したが、何の問題もなく持ち上げられる。魔人としての基礎能力に加え、転移直前に『身体強化百姉妹』のうち三人を幼馴染みとした上でその異能により身体能力全般を強化させたからだ。特筆すべき点はないが、汎用的にはそれなりの身体能力を現在のおさなは有する。
(ま、いつものナイフとデリンジャーの方が使いやすいかな……でも手駒が欲しい)
 生存者はいないだろうか? 槍を下ろして辺りを改めて見回したおさなは――それを視認した瞬間、硬直する。

 それは『浮いて』いた。
 物理的な意味合いではなく、存在的な意味合いにおいて。存在そのものが、世界から『浮いて』いた。
(わたしは)
 すらりとした体躯をぴったりと包み込む白銀のサイバーウェアは、流れる銀の髪と相まって、まるで彼女が光り輝いているかのように思わせる。
『環境解析始め。終了。戦闘行動計算式の最適化始め。終了』
(わたしはだれなの)
 背後に顕れた二対の翅は、芸術家の描いた蝶のよう。まったくの機能性を有さぬ外観は、ただでさえ浮いている彼女を構成するものの中でも殊更に浮いていた。そこに込められた想いを知る者はない。
『迷宮時計所有者の存在を確認。数1』
 左手には魔女の箒――そう名付けられた槍。少女の小ささには似つかわしくない、巨大なランス。馬上槍として生まれたその武器は、今は自ら推力を為し、比類なき破壊突撃を敢行する。
『支配せよ』
(母さま)
『破壊せよ』
(父さま)
 多くの死に塗れた古戦場の上空10メートルに現れた輝かしきこの少女を見た者がいたならば、彼女を何としただろう。命落とした勇者をヴァルハラへと連れる戦乙女? 死を悼む女神? あるいは骸を舐めに訪れた告死天使?
 正解はそのどれでもない。彼女こそがメリー・ジョエル。遙けき未来より大いなる使命を負って来た、迷宮時計を胸に秘める魔人。
『迷宮時計を支配せよ』
『迷宮時計を破壊せよ』
 駆動開始。

 ほとんど反射で右後ろへと飛んだ。しかし彼女の攻撃からは逃れられなかった。
「つああっ!」
 大地へと着弾したメリーを中心に衝撃波が迸り、半径5メートルほどのクレーターが穿たれる。そこにあった死体たちは人形のように弾き飛ばされた。おさなも例外ではない。死体もろとも吹き飛ばされる。
「くっ、うっ……ゴホッ。なによ、あれ。何よあれ。何よあれ何よあれ!」
 死体を押しのけ、距離を取りつつ攻撃者を見る。小柄な人型で、羽が生えていて、槍を持って。あれが今の攻撃をやったの? あれが……メリー・ジョエル?
『迷宮時計反応確定。目標の能力を計算』
(どうすればいいの?)
『目標を追って、竜紋機構にて焼き払うんだ』
 一方、メリーは与えられるオーダーを諾々と飲み込んでいく。出力はまだ20%を上回ったばかり。翅で滞空しつつ方向を改め、同時に右脚が電熱を纏い始める。
『計算終了。障害足り得ず』
『さあ、飛ぶんだ』
(うん)
 ランスが再びこちらを向く。あんなのに直撃したら、原型も残らず吹き飛ばされるんじゃないか。
「冗談じゃない……!」
 おさなは再び攻撃を躱そうと、左へと跳びかけ――瞬間的に判断を変え、右に跳んだ。メリーの右脚に(つまり、向かって左側の脚に)纏わり付く不穏な電光と陽炎を見たからだ。だが、それで何となろう。
『誤差修正』
 突撃の開始と同時、右義肢の竜紋機構に光が走る。白く輝く光の刃が右脚を包み込んだ。屍肉が焦げ付き煙を上げる。メリーは直進しながら下方へ身体を傾けた。地面と死骸を焼き抉りながら、ランスの直下へ潜り、逆側へ。上下逆さになったメリーの右脚の延長線上には、回避したばかりのおさな。身体を横にし、右半身を向けつつ口を開く。
「メ、」
 光刃が触れるその瞬間、
「メリー!!」
 おさなはメリーの名を呼ぶ。
(!!!!!!)

―――――

 激しい痛みで目を覚ました。息が荒い。拍動が直接脳内に響く。熱も血流も、全ては痛み。
(何が、あって)
 仰向けだ。背中は冷たい。地面。痛みは右半身ばかりに集中している。右手を持ち上げようとしたが、動かない。右足も同じく。左手を伸ばして右腕に触れる。ない。
「え」
 恐る恐る、自分の右半身を探る。左手が届く範囲では、右の二の腕の先が完全に焼失し、そこ以外も異常な熱量によって焼け焦げていた。左足は、動く。右足だけが動かない。これは、足もやられたか。
「……ひどい」
 深く溜息をつき、目を覆った。負傷は覚悟していた。窮すれば腕の一つくらい犠牲にしても勝ちに行く気概であった。だが、この状況は何だ? 敵に触れてすらいない。少しその姿を視認しただけでこれだ。なんて無様。
 しかし、それでも。
(まだ、負けじゃない)
 迷宮時計は彼女の左手に依然存在している。感じ取れる。戦闘不能相当のダメージを受ければ敗北する、というルールは適用されていない。いささか信じ難い事だが、馴染 おさなはまだ戦える。
 左手を掲げ、握り、開く。今自分にできる事を確かめよう。左半身は無事に動く。スカートの下に仕込んだナイフを握るくらいはできる。デリンジャーを撃つ事もだ。そして相手の命さえ奪えば、私の勝ち――
「……」
「……」
 唐突に、掲げた左手が小さな手のひらで包み込まれた。まばたきをして、首を動かし視界をずらす。銀色の腕、四肢……二対の翅。少女の顔。
 メリー・ジョエル。
 表情は希薄だが、全く見て取れない程ではない。安心と困惑がないまぜになったような、さながら迷子が親を見つけた時の泣き顔のようで――

 メリー・ジョエルの世界には光と影しかなかった。熱い光こそが彼女の知る彼女自身の在るべき場所。逆説的に、そこに未だ及ばないメリーは、自分の居場所ではない影の中にあった。
 そんな価値観であったメリーの脳に、突如として『楽しい記憶』と『淡い恋心』が植え付けられれば、どうなるだろう?
 初めて抱くにはあまりに激烈な感情。それはいわば、光と影の世界に降り注いだ色彩の雨。悲劇的なまでに純粋な少女は、傘も差せずにそれを一身に浴びた。
『脳波変調。精神攻撃の危険性』
(あ、あ……)
『精神復調プログラム起動。落ち着いて。今から余計なものをなくす。少し眠ろう』
 もちろん、オクスタム博士がメリーを迷宮時計のバトルロイヤルを勝ち抜かせるため、彼女を守るために作り出した戦闘プログラムは、そのような事態をも想定していた。
 そもそも感情の抑揚が極端に抑えられたメリーに、恐怖・憤怒・興奮・魅了――一般的な感情を励起させる類の異能は通用しない。もし仮に感情の変調により戦闘に問題が出る場合は、一時的に制御を副脳に委ね、メリーの意識を自閉させる事で、精神をまっさらな状態へ戻すためのプログラムが用意されていた。
 ばちりと脳内で電流が弾け、メリーは意識を失った。眠れる少女は、しかし副脳により動き続ける。通常時に比べるとずっと動きは鈍いが、眼前で倒れている時計所有者を排除するくらいなら造作も無い。
 魔女の箒を振り上げる。突き下ろす。
(だ……だめ……!)
 穂先はおさなの直前で止まった。メリーは既に目を開けていた……精神復調プログラムは効果を発揮しなかった。この悪影響は、精神の更なる根本、記憶に根ざすものか。根源的な対処が必要。戦闘頭脳は判断する。
『記憶再現作業へ移行』
 根源的な対処とは、記憶の塗り替え。副脳のごく小さな容量に収まっているバックアップを復元すれば、植え付けられた記憶は排除できる。損失も少なくないが、現状よりはマシだ。
『いいかい、聞くんだ。これからきみを元に戻す』
(もとに)
『作業はすぐに終わる。きみには不要な物を綺麗にするだけ』
(どうして……?)
 脳裏に響く懐かしい囁きに、メリーは疑問を抱く。わたしの居場所へ導いてくれるはずのものが、わたしが見つけた温かな居場所を奪おうとする。どうして?
 メリーは頭を押さえた。囁きへの疑念が鈍い頭痛を引き起こす。抵抗が弱まる。
『行くよ』
 優しい宣告と同時に、
「ぅ……」
 倒れたおさなが声を漏らす。メリーは目を見開いた。
(やめて……!)
 最大の武装たる突撃槍を手放し、両手で頭を押さえた。ほとんど反射的に取った行動だったが、これにより副脳とのリンクが弱まり、記憶再現プロセスは強制的に中断された。
『メリー』
(あぁ)
 名前を呼ばれ、心が萎縮する。叱られるような気がした――本来のメリーなら有り得ない感覚なのだが、おさなに植え付けられた記憶が、メリーにそういう『予感』をさせた。
『きみは悩んでいた。自分が何か分からずに』
(うう……)
『きみには翅がある。きみの欲する答えへと飛ぶための翅が』
(でも)
『きみが高く飛び続けるためには、余計なものをふるい落とさなければならない。分かるね』
(……嫌)
 メリーは拒んだ。おさなの記憶はメリー・ジョエルの唯一の記憶。強化プラスチックの棺に幽閉され、己の行き場を渇望し続けた彼女にとって、それは福音そのものだった。それを奪う事は許されない。居場所を目指すという目的意識が許さない。これはメリーの自我の萌芽であり、いわば第一次反抗期。
 もしもメリーが人並みの感情と経験を持つ人間であれば、こうはならなかっただろう。
 もしもメリーが人の思考を持たない機械であれば、やはりこうはならなかっただろう。
 何も知らない無垢な幼子が如きメリーは、それゆえに寄る辺を渇望し、手離しはない。
 おさなを見る。彼女はしばらく手で顔を押さえていたが、やがて空へと手を伸ばした。自分の姿と重なる。光を求めて、手を伸ばして。
 メリーはそっと膝をつき、震えながら両手を伸ばす。教えてあげないと。あなたが影の中のわたしを見ていたように、わたしはいつだってあなたを見ている――

―――――

「……メリー」
 おさながもう一度名を呼ぶと、メリーは言葉もなくおさなの顔を見る。表情は希薄だが、皆無ではない。そしてこの様子を見れば分かる。
(効いたみたいね)
 内心でほっと息を吐いた。少なくとも、あのけったいな光の剣に焼き尽くされて灰になる、なんて事にはならずに済みそうだ。
「ねえ、メリー」
「…………」
「私の事……覚えてる?」
 おっかなびっくりと言った様子で、メリーは小さく頷く。銀髪が揺れた。
 ここでおさなは考える。能力が効いたのは喜ばしいが、今までにないパターンの効き方だ。正確を期すのであれば、今までにないパターンの相手なのだ。結局この娘は何なのだろう。SF映画のような装備だが、まさか本当に未来人という事は……
(……あるのかもね。こんな事態だし)
 迷宮時計の底知れなさは言うまでもない。バトルロイヤル参加者を未来から呼び寄せるなんて事だって、あるかも知れない。
「ぁ……」
 幽かな声が漏れた。ごくごく小さく、それでも綺麗に透き通る、小さなガラス球のような声が。おさなは夢にも思うまい。よもやメリーが透明な壁の向こうから自分へと楽しげに喋りかけてくるおさなの記憶を元に、十年ぶりの発声を試みているなど。
「ぁ……ぅ。ぉ。ぉ。お……た」
「メリー?」
「た。つぁ。つぁ。さ。……さ。おさ。おさ、な」
「……うん、そうよ。私はおさな」
「おさな……」
「メリー」
「……おさな」
「メリー」
「おさな」

 三十分後。おさなはベッドの上にいた。と言っても、メリーに頼んで戦場跡の遺留物を集めて、二人で試行錯誤しながら組み合わせた即席のベッドだ。硬いし、臭う。それでも地べたよりはマシだ。
「はぁっ……」
「おさな」
「大丈夫。私は大丈夫だから」
 これは健気アピールによる幼馴染み度の上昇を狙ってのものだ。が、おさながのっぴきならない状況にある事もまた事実。失われたのは右の二の腕半ばから先と腿から脛にかけて。身体強化効果のおかげで致命的な事態には至っていないが、強化にも制限時間はある。早くに決着をつけなければいけない。告白からの奴隷化……よりは、どうにかして戦闘領域外へ行かせる方が早い? でも今はまず、幼馴染み感を深めよう。
 そんな事を考えていると、じくりと腕の断面が痛んだ。
「んっ……」
 強化効果が切れ始めているのか。眉根を寄せるおさなの左手を、メリーがぎゅっと握る。
「おさな」
「……ん。ごめんね、心配かけて」
 健気アピールだ。本当なら腕を焼いてくれた恨み言の一つ二つくらいぶつけてやりたい所だが、わざわざそんな事で幼馴染み感をいたずらに減らす事もない。それに
(なんか、そんな気になれないわ)
 という気分でもあった。今だって、ほら。あんなに困って、泣きそうな顔で。他人を傷つけ利用する事にさほど抵抗のないおさなだが、血も涙もない訳ではない。彼女の冷酷さはスイッチ式で、やるぞと覚悟を決めてから悪事を働くタイプなのだ。
「ねえ、メリー……その」
「ん」
「……迷宮時計、良いの?」
 メリーの握る手のすぐ下には、可愛らしい腕時計が今も時を刻んでいる。メリーは視線を伏せた。
「めいきゅ、どけい」
「そう、迷宮時計」
「……破壊、しなきゃ」
 メリーの脳裏では、未だに幾つもの意志が囁いていた。迷宮時計の支配・迷宮時計の破壊・そのための戦闘行動を導く囁きが繰り返されている。自我を獲得してなお、それらの囁きは優しく温かい。
「あ、そんな事より」
 不穏な雰囲気を鋭敏に察知し、おさなは話を切り替えにかかった。
「こんな時になんだけどさ。お腹、空かない?」
「お、なか?」
 メリーが片手を、自分の『おなか』へ持っていき、首を傾げる。
「ええと、だからご飯とか……」
「ごはん……」
 難しげな表情に、おさなはハッとした。いけない、今疑われそうな事言ってる? フォローの言葉を探す。
「ええと……そう、そうだ。メリーってご飯食べない系だっけ!」
「たべない」
「そう、ご飯食べない……食べないっていうか、いらないっていうか……知らない?」
「ん」
 こくり。
(ええー)
 天を仰ぎ目を閉じる……両手が健在なら目に手を当てていた。ご飯食べない系、とか自分で口走った時はどうしようかと思ったが、どうやらそれは正解だったらしい。未来人すごい。
(そうなると、食料を頼むのは難しいかな……そこらの死体とか持って来られても嫌だし)
「おさな」
 メリーが再び両手でおさなの左手を包み込んだ。小さくて、柔らかで、温かくて。ちょっと笑みがこぼれてしまう。いけない。次善の策を考えないと。
「それじゃあ、そう……誰か人を探してきて、欲しいかな。お医者さまとか」
「おいしゃさま」
「体を治してくれるの。体を見てくれる人……分かる?」
「みてくれる……」
 少しして、メリーは頷いた。わたしをじっと見ていた人は、確かにいた。そのひとの事だろう。
「じゃあ、お願いして……良い?」
「ん」
 二人の手が離れ、メリーは翅を広げる。ふわりと浮き上がり、しばらくおさなの顔を見ていたが、そのまま飛び立ち、離れていった。
(これで戦闘領域から出てくれれば、楽なんだけど)
 じっと目を閉じる。メリーと離れ離れになって、左手がやけに冷えた。

「……ごめん。どうしても、進めなくて」
「ううん。いいのよ。気にしないで」
 申し訳なさそうにするメリーへ、なじみは努めて笑いかけた。健気アピールにもなる。
 結局、メリーは戦闘領域を抜けてまでおいしゃさまを探しに行く事はなかった。それはメリーにとって自殺に等しい行為であると、彼女の脳裏の囁きがかつてないほどに強く制止したからだ。メリーもそれに逆らえなかった。
 対するおさなは、じりじりと追い詰められつつあった。痛みが増してきている。身体強化が弱まってきているのだ。人間は身体の三割を火傷すればきわめて高い確率で死に至る、なんて話が脳裏をよぎる。魔人の場合はどうなんだろう?
「おさな」
「ん、大丈夫」
 安心させるように笑みを浮かべるが、メリーは変わらず心配げな表情だ。おさなも、上手く笑えなかったと自覚していた。いや、健気アピールとしては申し分ないのか。
「手、握って欲しいな」
「ん」
 冷えた左手が、温かく柔らかな感触に包まれる。恰好はこんなにキラキラしてるのに、ご飯食べない系なのに、手は温かいんだ。笑ってしまう。今度は自然に笑えた。
「……ちょっと、休むね」
「ん」
 それから半日ほど、おさなとメリーは奇妙な時間を重ねた。おさなは短時間で何度か眠りに就き、起きている間は手を繋いで、話をする。あわよくば戦闘領域の外へ追いやろうと、その糸口を掴もうとしたおさなだったが、結局メリーがおさなの元を離れる事はなかった。
 メリーは純粋だった。純粋におさなを思いやり、純粋ゆえにおさなの元を離れなかった。心配だから。手を握って、話をしていたいから。そしておさなもそれを無碍に振り払えなかった。冷酷になりきれなかったのだ。
 ……たとえば、もし立場が逆で、おさなが心を決めればメリーを殺せるという状況であれば、彼女は気持ちを決めてナイフを振り下ろしただろう。だが、今の状況で戦いに勝利するには、まだ手を考える必要がある。その考えるというプロセスが、おさなの判断を遅らせていた。
 そんな状況が動くのは、日が暮れる頃だ。

―――――

「っっ!」
「!」
 刺すような痛みで目が覚めた。メリーも目を見開いておさなを見る。手は握られていた。
「痛……痛いっ……」
「おさな」
 その痛みは右足を苛んでいた。身体強化効果は心臓から遠い所から弱まり始める、と強化百姉妹から聞いていたが。
 メリーは強くおさなの左手を握った。それを反射的に振り払う。
「はあ……はぁっ」
 もんどりうちながらうつ伏せになり、即席ベッドの枠を掴んだ。奥歯を噛みしめる。額から、背中から滲み出る脂汗。痛い。痛い。
「ぐ、う、ううう」
「お、さな」
 それでも手を繋ごうとしたメリーの手を、おさなは再度振り払った。呻る。痛い。痛い……痛い!
 ……それから五分ほど身悶え、痛みはようやく収まった。あるいは慣れたのか。全身の痛みが強まり始め、思考力が落ち始めたおさなには判断がつかない。
「……おさな」
「何」
「大、丈夫?」
 メリーの問いかけに、おさなは深く息を吐く。
「……大丈夫に見える?」
「あ……う」
 言葉に詰まる。おさなの返事は刺々しかった。口にしてから、おさなも首を振る……そんな事を言いたいんじゃない。今のは、そう、幼馴染みらしくなかった。きっと、痛みと空腹で気が立ってるんだ。
「手」
「……ん」
 おさなの手がメリーに強く握られる。温かみは変わらないのに、何故だかまとわりつくような、嫌な感覚があった。

 それからも、発作じみた痛みがおさなへ散発的に襲いかかった。最初は足。それから腰。脇腹。
「いい加減に……してよ……!」
 右腕へとそれが及んだ時、おさなはほとんど絞り出すように言葉を吐き出した。メリーが手を握ろうとする。振り払う。
「おさな……大丈夫?」
「…………大丈夫?」
 純粋さは、時として無神経に逆鱗を踏む。歯を食いしばりながら、おさなはメリーを睨んだ。
「……あなたがやったんでしょ」
「!」
「なのにどうしてそんな、平気な顔で……くっ、あ、あぁっ!」
 びくん、と全身を痙攣させ、おさなは動かなくなった。メリーはおさなの左手へ手を伸ばそうとして、白い指先を彷徨わせ、結局掴めなかった。数歩後ずさり、ぺたんと座り込む。
 そうだ。元をただせばわたしのせいだ。分かっていた。それでも、おさなは一度だってわたしにそれを言わなかった。それで、許してくれていると思ってしまった。勝手に思い込もうとしていた。
『迷宮時計を支配せよ』
『迷宮時計を破壊せよ』
「……」
 二重の囁きがやけに大きく響いて聞こえる。今までずっと、絶え間なく嫌な事をわたしにさせようとしてきたものたち。この声を聞きたくないから、できるだけおさなと話がしたかったのに。
「……ねえ」
 メリーが静かに口を開いた。返事をする者はない。
「わたしはどうすればいいの?」
『支配せよ』
『破壊せよ』
「わたしはだれなの?」
『きみの欲するこたえは、きみの飛んでいく先にある』
「わたしは……」
 ぎゅっと両手を胸元で握る。今までおさなの手を握っていた手。飛んでいく、先? ここからどこへ? 何のために?
『それがきみなのか』
「……わたしは」
『それがきみの見つけた望みなのか』
 戦闘回路の囁きは、今までよりほんの少しだけ柔らかかった。メリーは頷いた。

―――――

 冷たい風が吹く中、馴染 おさなは目を覚ます。空は薄らと明るみ始めていた。朝だ。痛みはずいぶん弱まっていた。危険な兆候なんだろうな、とぼんやり思う。
「メリー?」
 ふと、今まで目を覚ませば必ずそばにいた少女がいないのに気付いた。何度振り払われても、私の手を握ろうとしてくれた少女が。彼女はどこに。
「……嘘でしょ」
 真っ先に思いついたのは、バトルロイヤルのルール。戦闘不能者は敗北となり、敗者は元の世界へ帰還できず、取り残される――
「メリー……ねえ、メリー?」
 思うように動かない身体をばたつかせるように辺りを見回す。何度も少女の名前を呼ぶ。メリーはどこ。目を覚まして私のそばにいなかった事なんて、今まで一度も!
「メリー! メリー! メリ……!!」
 バランスを損ない、即席ベッドから転げ落ちる。それに続いてベッドもまた崩壊した。受け身も取れず全身をしたたかに打ち付ける。腐り、虫がつき始めた死体と目が合った。
(そんな……)
 悲鳴も上げられなかった。絶望を通り越して、呆然とした。私は死ぬのか。こうやって、腐敗死体と枕を並べて……死ぬ?
「メリー」
 意識を失う前、メリーに投げかけた言葉を不意に思い出した。確かにあれは事実だ。事実だが……そんな事を言うはずじゃなかった。だって、メリーはずっと手を握ってくれていた。不器用で、単純で、それでもあんなに私の事を思いやってくれたのに、私は癇癪をぶつけて。なんて事を。
「メリー……ねえ、メリー……!」
「おさな」
 いよいよ悲鳴じみ始めた呼び声に、静かに返す声。がむしゃらに伸ばした左手を、そっと握る手があった。
「メ、リー」
「おさな」
 ふわりと、メリーがおさなを丁寧に抱き起こす。片足で身体を支えるおさなの姿は不格好だった。メリーはおさなの目を見る。
「……おいしゃさま。いなかった」
「おいしゃ……探してくれたの?」
「でも、いなかった。だから、とおくに行く」
「遠く?」
 メリーは立ち上がる。その手には、少女の身体には似つかわしくない巨槍、魔女の箒が握られている。翅の飛行能力と合わせ、超音速飛行を可能とする補助デヴァイス。
「ねえ、待って」
 おさなは手を伸ばし、メリーの手を掴んだ。冷たい風が吹く中、それは何より温かかった。
「行かないで。おねがい……一人にしないで」
 熱に浮かされたようにおさなは囁く。
「メリー。ねえ」
 メリーは答えない。翅が広がる。
「私は、あなたが……必要なの。だって、あなたがいなくなったら……」
 メリーがいなくなったら、どうなる? 医者が見つかれば良い。でもそれまでに私が死んだら、私はこの冷たい死体だらけの戦場跡で、たった一人で死んでいくのか。この死体の山に埋もれて。メリーは遠く離れて、手を握る事もできず――
(違う)
 違う。
 遠くに行くと言うのが、一度拒否した戦闘領域外へ向かう事を示すのであれば。
 それは勝利だ。
 バトルロイヤルの、勝利だ。
 馴染 おさなは、メリー・ジョエルに勝利できる。
「メリー」
 私は今まで何を考えていたんだ。手足を飛ばされ頭がセンチメンタリズムでおかしくなったのか。
「私……」
 言うべき言葉は簡単だ。『待っている』とでも言えば良い。そうすれば彼女は愚直に飛んで行く。
「私ね」
 早く彼女を飛ばせ。勝利さえすれば傷も癒える。早く戦いを終わらせ、この痛みから脱するんだ。
「……ごめん」
 だが、私はそんな事を口走っていた。メリーが振り返る。
「ごめん」
 子供のようだった。何に関して謝っているのか。メリーは当然、私だってよく分かっていなかった。
 でも、メリーは微笑んだ。優しく、安心させるように。かつて私がメリーにしたように。
「いい、の。気にしないで」

 メリーが飛び立った十数秒後、おさなは奇妙な浮遊感を感じ、気が付けば自室へと舞い戻っていた。一日ほどお別れしていた右手と右足を、確かめるようにさする。勝利した。なのに、心は嫌に沈んでいた。
『いい、の。気にしないで』
「……気にならない訳がないじゃない」
 ばたりと柔らかなベッドに倒れこみ、丸くなる。意味のない事だと思いながらも、思考が止まらない。彼女の事が頭から離れない。私のために飛び立った彼女は、私のいない世界でどうなるのだろう。
 もしもメリーが人並みの感情と経験を持つ人間であれば、こうはならなかっただろう。
 もしもメリーが人の思考を持たない機械であれば、やはりこうはならなかっただろう。
 何も知らない無垢な幼子が如きメリーに、私はなんて酷な事をしてしまったのだろう。
「善人でもないくせに」
 自虐して、今まで重ねた罪を再確認する……偽りの記憶を与え、相手を都合良く動かし、目的を達成する。いつも通りの事だ。殺人もした。殺人をさせたりもした。私はとっくに汚れている。今更罪悪感なんて。
 だが、理屈で思考は止まらない。あんなにきれいな娘に手をかけたりした事はなかったんだもの……身じろぎ一つせず、考え続ける。メリーの拙い喋り。メリーの手の温度。メリーの事ばかり。
 それでも、くぎゅるる、と胃袋が空腹を訴えると、おさなは一人のベッドから起き上がった。生きるために。これからも戦うために。