第一回戦SS・遊郭その1


魔人へと覚醒したのは、中学時代。
学校では、魔人への差別感情は根強かった。当然だ。そんな化け物は他に居なかったのだから。
僕は一人、耐えなきゃならないはずだったのだが、

「一緒に帰ろうか、ひー君」

君はいつも、そばに居た。

「魔人の僕に付き合うことなんて無いさ」
君までターゲットにされるだけだ。そう僕が言っても、

「わたしも魔人だから」
君はそう言って笑った。
どこまで本当なのかも知らないが。きっと僕のための見え透いた嘘だろう。

こんな時でも、君は笑うんだ。表情がころころ変わるから、見ていて飽きない。
こんなことを言ったら、君はまた膨れ面をして拗ねるのだろうけど。

視界の隅に、石を拾い上げる生徒の姿が見える。それで誰を傷つけるんだ?
君が傷つくことを望まないし、僕自身が傷つくのも望みやしない。
君は君自身が傷つけられた時よりも、もっと傷つくのだろうから。
魔人能力を発動する。『ふたりきりの戦争(ハイ・タイド)』。


――暗転。


世界が緑色のワイヤーフレームで再構成される。
格子に沿うように、僕の手から赤い線が伸びていく。その道行きは、すぐ近くの君の手へ。
世界が外形を取り戻す。赤い輝線だけは、僕と君を繋いでいる。

魔人でよかった、と、この時だけは思う。こういう使い方ができるのだから。
害意のあるノイズを遮断できる。降りかかる危険も弱められる。ふたりきりの世界を築く事が出来る。

石が音もなく、僕の髪に触れた。そのまま重力に従い落ちていく。


「行こう、由智」
僕は手を差し出す。機械いじりばかりしてきた、固く無骨な手。
君が頷く。手を伸ばす。

感触はない。


――


――――


――


眼を開く。

あいつは居ない。
おれは手を見つめる。機械に完全に代替された、硬く無機質な手。

時計がカチカチとけたたましく動作音を繰り返す。
デジタル表示がいびつに歪み、新たな文字列を築いていく。
うるさいな。





真沼陽赫第1回戦SS『異形の腕、彼女へ』




真沼陽赫(まぬま ひあか)。

欠片の時計である、一針時計がその針先を伸ばす。
巻かれた腕――巨蟹の鋏に、針先が文字を独りでに彫り込む。
そうして対戦相手の名が記されると同時。右野斬子(みぎの ざんこ)は、その人物の調査を開始していた。

希望崎学園の生徒名簿に、その名前はあった。
右野斬子にとっては1年先輩の3年生。現在休学中。

希望崎学園の魔人生徒だからといって、すなわち悪党や変態と即断できるわけではない。
少なくとも、彼女の調査の限りでは、彼を『狂怪』と見做せるような話は聞こえてこなかった。

(出来るならば、戦いたくない)
自らの思考ではない。脳内に声が響く。

(ってー、お姉さん考えてな~い?)
融合した同居人、永久乃挟子(とわの きょうこ)こと、デビルキャンサーの意思からの茶々だ。

(……余裕を持って勝てそうなら、そう考えたかもね)
(お姉さん、弱気~~? 私とお姉さんの力があるのに?)

右野斬子の『蟹の右腕(ゴッド・キャンズ)』は、単体戦闘能力としては相当の高性能を誇る。
彼女自身にその自負もある。驕りではない。客観と実績に基づいての判断だ。

神出鬼没の機動力、“斬”。絶対不落の防御力、“突”。文字通り必殺の攻撃力、“挟”。
一つ一つが高水準の能力、しかしながら汎用は全能ではない。

(ああ。戦闘場所が問題だ)
遊郭とも刻まれた、自らの右腕たる大鋏を見やる。

彼女の異形の左目、蟹の眼(スキャンサー・アイ)は、200mもの視界を有す。
“斬”の転移範囲を広漠に定義するそれはしかし、遮蔽物の多い建物内では優位を取りづらい。

“突”と“挟”の無敵の攻防も、動作を行って初めて発揮される。
つまりは、狭い屋内での奇襲に万全に対応できるものではない。

(そりゃあ不利だー。どうすんの?)
(やりようはいくらでもある。師匠の教えと、自分の経験は嘘をつかない)





右野斬子は、川のただ中に転送されていた。
浅い川。膝も出る程度だ。

「ちょっと動きづらい程度か」
(えー。水辺のほうが動きやすいじゃーん)
(それはお前だけだ。私の脚は蟹なんかじゃない)

蟹なのは、片目と片腕。その事実だけで、たまに落ち込む。

「お嫁さんになれねえのかな……」
(私がなってあげようか~?)
「冗談。行くぞ」

目の前には、彩り鮮やかな歓楽街が広がっている。
遊郭。白黒の写真やら、ジャンプ漫画の世界で見たものが、自分の目の前に広がっている。

「……物見遊山と行きたい気持ちもあるけど」

人の気配はない。対戦相手の希望とマッチした結果なのか、時計の気まぐれかは分からないが、
関係ない人間を下手に巻き込みたくない斬子には好都合だった。

(……見えてる見えてる。敵だ~)
「奇襲を警戒するまでもなかったか。一撃で決める」

蟹の眼が対戦相手を視界の端に捉えた瞬間。
世界が暗転した。


――


――――


――


世界が暗転、ワイヤーフレーム化する。それをなぞるように伸びる赤い線は、右野斬子の許へは向かわない。
ふたりきりの戦争(ハイ・タイド)』は、対象に対し、一対一の戦いを強要する決闘能力。
その能力対象の一端が、敵である必要などどこにもない。

赤い糸は、川べりの柳に強く結びつく。
その柳と、真沼陽赫の間でのみ、十全に攻撃を通すことが出来る。他者からの攻撃を大きく阻む。
これにより、敵の攻撃を強烈に制限できる。こちらからの攻撃も受け付けなくなるが、
比較的安全に敵の力を見ることが出来る。保険もかけずに正面戦闘はしない。

決闘能力と嘯きながら、聞いて呆れる。
そう、真沼陽赫は自嘲する。だが、止めるつもりは毛頭ない。
決闘をするために能力があるのではない。勝利のためにこの能力はある。
そして勝利はあいつのために。あいつのための能力だ。


突如空間を斬り裂き、少女が現れた。異形の目と腕を備えた、半怪物の少女。
大鋏を広げ襲いかかる。かかった。それが能力か。それが得物か。

下手に防御力を晒すのは困る。そう真沼陽赫は判断する。
スラスターを吹いて回避を試みる。
避けきれない軌道。能力の一端を晒してしまうが仕方あるまい。

『ふたりきりの戦争』は、決闘対象以外からの攻撃を大きく制限する。
そして、その制限を意にも介せず。即死の挟撃が肩肉を浅く抉り消す。

『蟹の右腕』のモードの一つ、“挟”。挟んだ物体を絶対に切断する能力。
それは『ふたりきりの戦争』の防御応用を嘲笑う。
瞬間移動のみを能力と断じた、真沼の判断ミス。そして驚きの表情を見せたことが、次なる失策。

(……あいつの顔)
右野斬子は独りごつ。

(何を見たのー?お姉さん)
(あの表情を見なかったのか?蟹の目は飾りかよ)
(複眼は動きに強いだけで解像度高いわけじゃないも~ん。それにね、今はお姉さんの目でも――)

(あいつは防御能力を有す。少なくとも、単純な切断に耐えるレベルには。
だからこそ、“挟”が防げないことに動揺した)
会話を遮り句を継ぐ。

だから、攻めるべきは今。防御を恃みに突出した今こそが、最大の勝機!

右手を突きだす。“突”のモード。

無敵の防御力を誇るこの構えは、しかしながら攻撃起点としてこそ最大の効果を発揮する。
突きの姿勢。これは防御に回すには、カバー範囲、動作までのタイムラグから使い勝手は良好とは言えない。
だが、攻撃となれば話は別だ。絶対に破壊されない一撃が、確実に相手へエネルギーを伝達する。
破壊力はゼロとはいえ、姿勢を突き崩すにはお誂え向きだ。

“突”。突き出した手が、迎撃をいなしながら対戦相手を突き飛ばす。
“斬”。斬る手振りをする。隙の大きい背後へと、空間を斬って現出。
“挟”。鋏さえすれば正真正銘の必殺技が、義手の手指を挟む。

容易く折れてしまいそうなそれをしかし、傷つけることは叶わない。
体幹を狙った攻撃は、横っ飛びにスラスター緊急回避されたのだ。
“挟”は生物以外を一切断てない。把持を中断し、次の動作に移行する斬子。

生物と認識さえすれば、鋼鉄だろうとこの鋏は挟み潰せる。ただ、それは人格を持ったロボットなどの、
元々無機物で構成されるような生命体に対しての話だ。義手も生物とみなす程の傲慢なまでの認識を、
右野斬子は持ち合わせない。

“突”。スラスター加速の乗った回し蹴りと衝突。効かない。真沼が大きくよろめく。
“斬”。右野斬子の姿が掻き消え、残心姿勢のままに真沼の死角へ踊り出る。
“挟”。必殺の挟撃!凶暴なスラスターが吹き散らされ、真沼が地面に叩きつけられながら転がる。

“挟”こそ空を切ったものの、斬子は手応えを持っている。
決まるまで何度でも繰り返せばいい。何度でも。何度でも。
“突”で弾き、“斬”で回り込み、“挟”で殺す。
単純最強のサイクルを回す。これが最高の基本戦術。

一つ気になるのは、真沼から伸びる赤い線。その先は柳に伸びている。――あれはなんだ?

真沼が柳を焼き払う。赤い糸がほつれて消えた。能力が解除された証。
確認するやいなや、再び世界がワイヤーフレームに包まれる。シームレスな連続発動。
真沼陽赫から、赤い線が出ることはない。
その能力対象の一端が、真沼自身である必要さえどこにもないからだ。

バシュッ!

噴射音が鳴る。スラスターによる急転速。

瞬間、真沼陽赫の姿は、右野斬子の上空にある。
襲い来るは、非人間的な軌道と速度のフック攻撃。インパクト直前で増速!威力を増す!
攻撃をいなした刀に、逆噴射からの肘打ちが襲う。

迎撃のための、鋏の一突きは空を切る。

構えた“突”を横っ飛びで交わしての加速膝打ち。“斬”で逃れる!
開こうとした鋏に、噴射連続掌打。一撃、二撃、三撃!

息をもつかせぬ高速連続攻撃。
そのすべての攻撃を、“突”で弾き、“斬”で躱す。“挟”は使わせさえしてくれない。

(ぴょんぴょん飛んで~!人間ロケットかっての!)
永久乃挟子が思わずぼやく。

守勢に回るのは拙い。“斬”で100mほどの距離を取る。
障害物越しに、真沼を見据えた。
態勢を立て直すためではなく、ここで決めるための一手。

刹那。右野斬子は鋏で空を切る構えを取っていた。

“斬”!

真沼の直上。石灯籠が出現する。

“斬”で転移できるものは、右野斬子自身と、斬撃範囲内の“生物以外の全て”。
すなわち、自分と共に質量弾を送り込む事ができるのだ。

数十キロの質量が頭部に着弾!よろめきながらも、咄嗟に噴射で前方へ逃れる。
これは悪手だ。斬子は二度目の“斬”を終え、逃げ先で大鋏を構えている。
“挟”による必殺挟撃。真沼は両腕で左右からの刀身を阻む。
がっちりと挟み込む形。生物でない義手を切断することは出来ないが、その把持力は常人離れだ。
真沼が全身のスラスターを噴射。抜けない!
義手で鋏を食い止められている。このままでは互いに――

「……互いに決め手がないな」真沼が同意を求めるように呟く。
それは意識を顔近くに反らす誘導。同時に、自由な下半身から噴射蹴撃が迫っている。
斬子の腹部を掠める。軽く呻き声を上げるが握力は衰えず!

「ぐっ……嘘吐き野郎め。だがこっちにはある!」

右腕を水面に叩きつける。川の水深は浅い。30cm程度だろう。
だが人を溺死させるには十分な深さだ。そのまま水底に鋏を押し付ける。

5秒。10秒……手を離す!

鋏を引き戻し、バックステップで離れる斬子。
火傷の痛み。鋏が焼け焦げている。一拍遅れて、スラスターにより灼かれ続けていたと悟る。

追撃にそなえ正面を見据える斬子。視界の先で、真沼はよろめきながら立ち上がっていた。
頭からは流血。灯籠の直撃は確実にダメージを与えているようだ。


真沼陽赫は、スラスターを吹きながらその場を離れていく。
迷わず追い縋る。“斬”ならば距離が一気に詰まる。

長屋の中へ。斬子は脚を止める。
気配を殺している。待ち伏せるつもりか。

トラップの類は用意していない。自分の、もとい、挟子の巨腕は、閉所での工作にも誘導にも不適当。
だから相手が持久戦で来るならば、彼女は長期戦を避ける。
相手の誘いには乗らないこと。可能な限り先手先手で攻めること。師匠の教えだ。

戸を刀で、そして鋏で斬り裂く。“斬”。
斬り開いた視線の先に飛ぶ。木っ端がばらばらと音をたてた。

(ちょっと!考えなさすぎじゃないの~?)

彼女はその声を無視する。
止めこそするものの、挟子自体に確たる作戦があるわけではないだろう。

――ならば黙って私を見ていろ。

狭い屋内。障害物は、全て突き崩しながら進む。

匂いが鼻を刺す。
(うっ、なんだろー、これ)
「……麝香か」
強烈な密度の臭気。ここまで充満しているということ、それは。
香油がたっぷりと、ぶちまけられた後であることを意味する。

瞬間、障子戸を突き破り、槍のごとく何かが差し込まれる。
予測済み。斬子は足下の畳を跳ね上げる。
投げ込まれた燭台が、畳に弾かれ床に転がる。

その燭台の奇襲を、斬子は横目で事前察知していた。
蟹の目の複眼ならば、相手に視線を悟らせずともそれができた。

悟らせずに動いた理由はひとつ。その隙を狙って自分が動くため!
“斬”。奇襲の主の元へ一跳び。

彼の姿は、跳んだ先にない。
天上から手刀攻撃!天井を蹴って加速している。
“突”で跳ね除ける。壁を蹴って再加速してくる。攻撃の手が早い!
閉所での機動戦闘こそ、ETC(極度推進格闘)戦術の真骨頂。

連続した回し蹴り!斬子は“斬”で攻線をずらす。だが、彼女はそれどころではない。

スラスターの噴射炎が、建物全体に塗り込められた香油に引火している。
いつの間にか、火が急速に燃え広がりつつあった。





炎で視界が揺らめく中でも、右野斬子の右眼、人のそれであるその右眼は、それを知覚していた。
真沼の狙いが読めた。彼女は得心する。
限界戦闘域を示すのであろう、赤い死線(デッドエンド)が仄かに見える。
炎で逃げ場を奪うとともに、視界を悪化、ぎりぎりでの攻防からのエリアオーバー狙い。
“斬”も迂闊に使えない。“突”の防御でも対処できない敗北条件。
だが、分が悪いわけではない。
迂闊に動けないのは相手の噴射駆動も同じだし、“突”の突き崩しは押し合いにも優位を取れる。

しかしまったく、とんだリスクジャンキーだ。
躊躇なく、自分へのデメリットの方が大きな戦術を選択できるのだから。

攻撃を続けてくる真沼の攻撃を捌きながら、しかし彼女は少しの余裕を持っている。
追い詰めるのは彼女の側だ。徐々にライン際へと戦闘範囲を狭めていく。

相手の四肢が満足なら、五分にまで追い込まれていただろう。
しかし、右手の動きだけが甘い。当然ではある、肩を抉られているのだ。
あの戦技。目まぐるしい手数と、姿勢によらない格闘手段の多さこそが脅威。
だからこそ、その四肢の一端(こうげきしゅだん)を欠いた状態では隙が生まれる。

惜しかったな。斬子は素直にそう感じる。

一瞬の隙を突き崩す。“突”で一気に押し出せる位置。
バック噴射で躱される。だがその位置は。

――ラインを超えた。終わりだ。

静寂。燃え盛る音だけが響く中、対戦相手はこちらを見据えたままだ。

――終わらない。何故?

動揺が判断力を鈍らせる中、右野斬子の蟹の目は捉える。
今にも溶け切りそうな和蝋燭を。
赤い線で柱と結ばれた、風前の灯を。

「フェイク……!」

火が溶け切る。同時に真沼陽赫が、能力を起動した。

『ふたりきりの戦争』が始まる。
世界が“一瞬”、暗転する。

それは一瞬ではある。
そしてその一瞬は、多大なる時間である。
高速機動戦闘を得意とする真沼陽赫には。
数年馴れ合った魔人能力を、徹底的に検証し続けてきた真沼陽赫にとっては!

暗転した世界に、色を失った光条がごうと鳴る。

そして、視界を暗闇に支配されるということ。
それは、“斬”による視界瞬間移動能力が、その射程を完全に失うことを意味もする。

右野斬子が見た景色。それは赤く線引く鋼鉄の魔手であった。

ワイヤーフレームの世界が終わる。視界が裏返る。
斬子は強烈なスラスター突進により、地面に叩きつけられる。
馬乗りになる真沼が、右腕を振り上げる。体を押さえ込まれている。大鋏は動かせない。
真沼の左腕が、スラスター噴射膂力で完全に抑えこんでいるためだ。

噴射加速の乗った破壊的右ストレートが、もろに顔面に突き刺さる。
「ぐっ!」
(ぎゃあっ!)

既に次の攻撃の動作に入っている。右腕を振りかぶる。
続いての右フック。左手の刀で受ける。衝撃に耐え切れず弾け飛んだ。

スラスター連撃が入る。受けきれず、何度も攻撃を食らう斬子。

しかし、反撃の算段は整っている。
この義手は、恐らく魔人能力ではない。スラスターの推進剤は有限のはず。
拘束のため、奴は恐らく全力噴射をし続けている。義手に入る程度の推進剤が、そう長く保つものか。
右腕(きょうこ)の拘束が解けるまで凌げば、勝機は掴める!

右腕の拘束が解けるまで――

右フックが顔面を捉える。
「うっ……!」
(んああああっ!)

――私より痛そうに呻くもんだな、こいつ。

右腕の拘束が――

右フックが顔面を捉える。
「ちっ……!」
(うくっ……んんっ!)

――化け物のくせに。お前がそんな痛そうな声を出すな。


右腕の――

右フックが顔面を捉える。
(ひぐっ……!あああああっ!)

――ああ、こいつはまだガキだったんだっけか。

ったく……!

――

右フックが顔面を捉える、直前。

「……だ……!」
何かを呻いた気がするが、攻撃は止まらない。

「かはっ……!……降参だ。降参」

バシュッ! と、無理矢理といった風に急制動がかかる。
幾度と無く振り上げた真沼陽赫の右腕は、ようやく動きを止めた。





「ほらよ、持ってけ。自分で取れないんだよ」
右野斬子は鋏を、それに巻きついた一針時計を突き出す。

「……何故降伏したんだ?」
真沼が問う。

「人をさんざ殴っといて言う台詞かよ」
(そーだそーだ!)

こいつは降伏させようという気はさらさらなく、殺す気満々だったわけか。
斬子は気が滅入る。

「こっちは嫁入り前の乙女なんだから。顔を潰されたくはないだろ、リョナ野郎に」
「そいつは悪かったな」
(お姉さん、りょなやろーってなに~?)
「お前は黙ってろ。……悪い悪い、気にすんな」
脳内の同居人を黙らせる。これでは不審者だ。

「詫びに、元の世界に戻してやるよ。最後に覚えてたら」
真沼が軽口を叩く。

「どの口が。私たちのことなんて、全く興味が無いくせに」
「ああ。全くない」
「はっきり言うなよ。お前モテないだろ」
「うるさいな。だけど」
「あ?」
「最後の一人になれば、おれだって気が変わるかもしれない。最後の一人にさえなれば……」
「……あっ、そう。じゃあ、期待せずに待つけど」

真沼が時計に触れる。時計は溶けるように消える。
斬子には重みが消えた実感さえない。腕の重量感覚は変貌したきり当てにならないからだ。
真沼陽赫の身体も、溶けるように輪郭を失っていく。


「……私たち、か」

最後に真沼がそう呟いたのを、斬子はなんとなく覚えている。





(良かったの~?)
間の抜けた声が頭を走る。
「何がだ?」
(確かに、物の怪だったらこの時代のほーがたくさんいると思うけど。
このまま私と一緒でさー。良かったの~?)

「……今回の戦いで分かっちまった、私はお前の力に依存してる。
もっと強い『狂怪』とやるなら、こいつ抜きではやってられない」

かつての自分であれば、あのような思考には至らなかっただろう。斬子は思う。
腕が解放されるのを待つのではなく、義手を喰いちぎろうとでもして、無理矢理に抵抗をしただろう。
どれもこいつのせいだ。斬子は嘆息する。

(私のありがたみを理解したのはいーんだけど)
(お嫁さんになれないー、って叫んでたのはいいのー?)

「良くはねえ。あの猟奇ロケット野郎は許さねえけど」
「この姿だって、誰にも受け入れてもらえないなんてことはない。いつか素敵な人は現れるさ」
(ふーん?へえー?ふ~~ん?)
(ああ、もううるせえな)

床に転がった刀を拾い、鞘に納める。

「行こうぜ、挟子」
彼女は手を見つめる。分厚い甲殻に被覆された、硬く凹凸のある手。
この姿もまあ、悪くない、のかもしれない。





【右野斬子】:敗北。どこかの次元にて、永久乃挟子と二人での人生を歩み続ける。
【真沼陽赫】:勝利。元の世界にて、最後の一人になるための戦いを続ける。

最終更新:2014年10月25日 16:19