第一回戦SS・工場その2


 幸福を定義することは難しい。
 貧困に喘ぐ寒村の民が都市住民からすれば耐えられない過酷な労働を強いられていたとしても、三食を保証されている限りは幸福を感じるのだろう。幸福とは常に相対的であり、絶対的な基準を持たない。
 たとえそれが無知から来る、現状からの脱却を果たそうとしない愚かな行為であると、外界からの訪問者が定義したとしてもだ。有名なルポが傲慢であると断じるつもりはないが。

 だが、幸福を奪い去るその行為を定義することは容易い。
 ただ、それは容易だからと言って、すぐに取り除くことが叶うかと言えば答えは否だろう。
 労働争議そのものが違法であった時代、サボタージュと言う言葉は実感をもっていた。
 今の時代も実感の籠った言葉を紡ぎ続けること、それは酷く難しい。

 これが単純な被害者であるなら臆面なく、いくらでも、嘘はつけよう。

 だが。

 「ねぇ……、盛華(せいか)、さん。あなたは、幸せでしたか?」
 探偵にとって、真実は、いつも残酷だ。探偵は残酷に、なりきれない。
 彼女が納得させる真実を紡ぐにはこの隠された意図(イト)はあまりにも劣悪に過ぎた。
 故に語る言葉をなくした探偵は敗北する――。



 192X年秋
 某世界、大日本帝国長野県某紡績工場にて――

 「欠片の時計」が選んだ戦場は資金繰りから操業の停止を余儀なくされていた零細の紡績工場だった。 自動織機が並列するこの小さな工場は経営が立ちいか なくなって久しく、ようやく借財の目途が立ったところだった。暇を出した女工たちを呼び戻すにも、立つ瀬の無い経営者は募集人に頭を下げていた。
 そんな矢先に、この一件。喜ぶのは殺人鬼独り、とはどういうことだろうか。

 殺人鬼が工場を縦断する出入り口、その片側を占拠していたのは偶然ではなかった。
 もう向かい側にその対戦相手が座していたのだから。
 見も知らぬ魔人の唐突な出現をもって、一瞬。その一瞬だけだったが、確かに、その工場と言う狭い世界は停止していた。都市伝説の怪人が獲物を求め、猛然と突進を開始するまでは――。

 理不尽な暴力が女工達を襲おうとしていた。
 血走った眼、乱杭歯、膿だらけの傷口、彼の顔を幻視するとしたらこんな形容がよく似合う。
 都市伝説の怪人が実在したとしたら、こんな姿をしているのだろうか? そう言った認識が彼を、「シシキリ」と言う怪人の姿を必要以上に大きく、悍(おぞ)ましいモノに作り変えようとする。

 だが、それに対峙するものがいる。女工の後尾にて衆目を集めることになったもう二人の魔人。
 「法廷派」に位置する探偵「風月藤原京(かぜつき ふじわらきょう)」とその髪として纏われる「新本格派」の探偵「柊時計草(ひいらぎ・とけいそう)」、二心一体の存在である。

 理不尽な法力(ルール)が女工達を覆うようだった。
 兎のように赤い眼、生まれてから一度も切っていない髪、真っ白な痩躯を包むのは法服。
 歴史の裏側で暗躍してきた探偵、その一人。いや、二人だが、探偵は決まって遅れてやってくる。ここでは事件発生まで動かないと言うべきか、もう間に合わない距離と見た探偵は叫ぶ。
 「振り向くな! 目を瞑(つむ)れ!」

 唐突の出現から数秒。二つの視野を持つ探偵は理解する。
 今、この時。あの有名な童遊びのように、動いたものからあの鬼さんは襲い掛かるだろう。
 第一撃は防げない。

 距離にして三十メートルを切った――! その地点か。仕事熱心なのか、それとも何か別の理由があるのか、運悪く集団から外れた位置にいた娘に目を付けたようだ。
 能力をフルに活用したとしても詰めるには足りない。
 その体躯からすると、娘を達磨にするのはいつでも容易いと言わんばかりだ。

 もう間に合わないと判断した探偵は後方に飛ぶ。
 狙いは最も人の密集した地点、そこで藤原京を自称する探偵は言葉を放つ。
 「開庭(かいてい)」、と。娘の表情を、末期の無念を探偵は視る。

 瞬時に展開する結界だが、躊躇ったつけか、取り残された娘の悲鳴が追いついたらしい。
 勢いよく跳ね上げられたナタが捕らえられた娘の片腕を弾き飛ばすが、その腕は何かに阻まれたかのようにして中空にぶつかり、跳ね返るようにして落ちた。
 シシキリが訝しむような視線、いやその実態はざんばらの髪に阻まれて見えないのだが――。

 誰かが悲鳴を上げた。その音はシシキリには届かない。
 だが、その声は鬼が聞いたそれに比べれば驚くほど小さいのだろう。

 最初の犠牲者は探偵である彼女達が決める所ではなかった。

 「『誰か、一人。此処に残る者を決めてくりゃれ。姫様(ひいさま)に捧ぐ贄にするゆえ』」
 ……二番目はどうか知らないが? 

 花刑法庭、その能力はひとつに言葉の暴力を現実の暴力に変換すること。
 ふたつに、現実より切り取られたその空間は降り積もる花々によって窒息するまで閉じ込められる脱出不能の監獄と化すことである。
 みっつめ、必ず一人を犠牲にしなければ取り込まれた者は出られない。
 よっつめ、犠牲となる者が一度決したなら、術者を殺さない限りはけして覆されることはない。
 いつつめ。花葬された者は永劫にここで眠り続けることになる。

 探偵達がやらせたいこと、それは法庭に連れ込まれた陪審員兼被告人たち、
 詰まる所は彼女達女工による多数決、誰にババを押し付けるのか決めさせようということだ。

 ところで――。魔人でもなんでもない、只人である彼女達は、夜叉か天女を思わせる、真白い髪と肌を持つ紅玉の瞳を持つ、探偵達に、出会った。彼女達の心持は一体何なのだろう? 
 純白の十二単、所謂白無垢、婚礼衣装と言う奴だ。そのようなものをこの山深い工場に持ち込むことが許されようか――? 加えて、異界の如く降り注ぐこの見知った花! 見知らぬ花! 
 紫陽花(ハイドランジア)から極楽鳥花(ストレチリア)まで、世にある花はすべてここに集めたもうぞ、と理解させるように咲き誇っていた。世の奇花異草は須らくここにあるべし。

 目の前の貴人は暴力をもって良しとするには超然とし過ぎ、同時にけして逆らえない威を示している。
 魔人と言う発想より、単に魔なるモノと言う発想が支配する、そんなモノ。
 只人の事などまるで気にも留めない傲然とした表情と声色はは翻って頼もしくすら思えた。

 富姫か、白雪姫か、人にあらざるモノの妖しさを放つ彼女達に魅入られた。この庭園に圧倒された。

 ただその一方で、演じることを強いられた探偵は内心で羞恥に震えていたことを付け加えておく。
 そのこともあって、髪の探偵は彼女達の事をただ喋って歩き回る肉の塊程度にしか思えなかった。

 人の探偵は、魔として言葉を紡ぐ。故に、人は魔人と呼ばれるのだろうか?
 「『安心せい。現世(うつしよ)は鬼が歩き回っておる。妾(わたし)のモノになれど同じコト……」
 これで、極々至近距離からの奇襲、乱戦は回避された。最小犠牲をもって、最大多数の幸福を目指す。 
 髪の探偵は冷淡だった。
 人の探偵は片割れを内心でどうどうと宥めていたのだが、幾つか想定される状況の内ひとつを言い当てたのは「法廷派」の藤原京と呼ばれる彼女に他ならなかった。不快にもなろう。

 探偵達がこうしている間にもシシキリと呼称される殺人鬼によって工場内は屠殺場へと変わる。
 満足しきれない彼奴がどれほどの憤懣(ふんまん)を溜め込んでいるか、あまり想像したくなかった。
 朝が昼、昼が夜に移る間に一人の不必要な犠牲と、必要な生贄、二人の人間が命を失うことになる。

 探偵は一度目の綱渡りを渡り切った。
 能力が解除されるまでに群衆のパニックを押さえきれるか?
 その心理が自分自身に向くことがないよう、集団を誘導できるか?
 ここに至るまでに感涙に値する自己犠牲があったか、なかったか?
 それについては紙面を割くことはしない。読者の想像にお任せしたい。



 花畑に独り残る者を決めると、残酷な言葉と共に娘たちを解放する。
 工場の敷地より疾(と)く出るよう言い含めると、女工達は一目散に走り去っていった。
 きっとこのことは、時が経つにつれ一夜の夢のように思えてくるのだろう。工場の四半分の一がこの世から完全に消失していたが、それを置いてもここに人が寄り付く未来は見えなかった。

 「さて、まずは正面からぶつかってみましょうか。時計草、お願いするね。『わかった』」
 演出過多の衣装を解き、戦闘服に装いを替える。左手は念のためにポケットに突っ込んだ。
 その見た目からしても異常なほどに軽やかな跳躍と共に探偵は織機の上へと降り立つ。

 右腕の先端に糸(かみ)を集め上質の手袋を形成するとともに、汁で汚れた靴を疎んじて、半長靴(はんちょうか)の代わりに足裏から膝下にまで到達する長靴(ちょうか)へと履き直す。
 身体(藤原京)に纏わす服の容積を膨らませたり窄(すぼ)めたりし、もう一つの筋繊維は外骨格の用も為すことを証明した。

 これは検分だ。
 まるで、いらない物を投げ捨てるかのように、無造作に乗っかかった腕を手に取ってみる。
 断面は綺麗とは言い難い。これは刃のこぼれたナタをして力任せに断ち切ったと言うこと、彼の規格外の膂力(りょりょく)を思い、『少し怖いな』、と一人が言った。

 そして、その腕が一番大きな破片だった。
 眼前に広がるのは激烈に破壊された人間の成れの果てとでも言うもの、あちら、こちらに点在する
人一人の質量をしてこうまで圧倒的にひとつの建造物を穢せるのかと叶うなら感嘆出来るほどだった。
 腕をひとしきり観察し終えると、探偵はそれを縁(へり)に置き、その直下の床へと飛び降りた。

 「腸詰(ソーセージ)と法律の作り方を知る者は、もはや安眠とは無縁である……でしたっけ? 『オットー・フォン・ビスマルク、ドイツ第二帝国の立役者たる大宰相の言葉だな』」
 二人の探偵は同じ声色を代わる代わる語る。
 現場と法廷の両方を知る「法廷派探偵」としては、偉人の言葉に誰よりも深く首肯せざるを、得ない……。腸は、本来なら糸を紡ぐはずの紡錘に架けられていた。
 先に、靴に挟まったのは脳漿と、臼歯の一部だろう。あまりに万遍なく広がっていて、そこが遺骸の中心であると気付けたのは、偶然に近い。

 血腥(ちなまぐさ)さとそれ以外のすべてを塗り潰すような圧倒的赤色に呑まれなかったのは 流石二級(第一線)を張る探偵の地力と言えるだろうが、それでも法廷と言う特殊な場に特化したものであることは否めない。少しだけ、ほんの少しだが腰が引けていたことは否定できないだろう。

 好奇心は抑えられなかったが、その半歩が勝負を分けた。
 ズタズタに引き裂かれた着物の一部を手に取ろうとし――

 突如として巻き、上がった! 床から撒き散らされるのは人体の欠片、爆発的な勢いで襲い掛かる!
 「火薬!? 『いや、違う! こ……ごぁぁああぁぁ!』時計草!?」
 血煙と言っていいほどに視界を覆うのは先に見た臓物の一部も含まれている。
 凄まじい不快感と絶え間無い疑問に襲われることが許されるのはここまでだった。

 苦痛がはじまる。

 この時点での彼女らが知る由の無かったことだが、これはシシキリの魔人能力『コロンダ(殺達)』によるものである。わざわざ死体を猟奇的に解体したのは、この瞬間を演出するため。
 加えて、この血の匂いはこの周囲に劇物・毒物としての農薬を添加したことも気付かせなかった。
 ちっぽけな達磨と四肢を落とされた人間の容積差を活かし、その変化をもって標的の視界を確実に奪えるようにした罠、図らずもそれは植物を由来として生み出された人工探偵には特効であった。

 自由な右腕をもって咄嗟に展開した純白の盾は有害な物質を絡め取り、他を疎かとする。
 そして、その隙はまさに致命的でさえあった。

 「マ……、待ったナァ……、シ……死ねェ……」
 ニタニタとした不潔な、けれど恐ろしげな笑みが聞こえ、そして迫る。
 「床下!」
 果たして、シシキリは其処にいた。床下を食い破って現われたナタは足の甲に食い込み、縫い留めるようにして動きを封じる。節くれだち、ひび割れ、傷痕の上に傷を重ねつづけた様な、醜い手だった。
 都市伝説に潜む現代の怪物は同じ地平に立とうとしていた。
 恐るべきはこの時の為になら半日を通して辛抱強く待ち続ける執念、驚愕すべきはこうまで回りくどい手を取る意外性、極限にまで追い詰められた探偵は改めて確信した。シシキリの正体を。
 だが、謎解きの場は、まだ遠い。

 『がぁあぁぁぁ!?』
 驚愕に声を上げるのは、一身に苦痛を受ける髪。
 その衣に阻まれ、辛うじて身に刃を届かせてはいないが、飛び散った木片が突き刺さることを意にも介さずに這い上がる怪人を見て、恐慌に陥った。
 新たなる防御は不可能。身に纏った衣服が解けていないのが唯一の救いだが、間断なく打ち込まれ続ければ、この四肢はすべて、切られる!

 そして、次の一瞬。
 「時計草ゥ! 目を覚ませ!」
 右腕を無理矢理に動かしたのも懐から取り出した酒瓶の中身を盛大にぶちまけたのも苦渋の判断だった。振りかざした右腕は、シシキリの凶器と問題なくかち合い、肩口から皮(ぬの)一枚を残して切断。
 血は――流れない!
 「グ……、何だァ……?」
 肝心のシシキリにはガラス片はともかく肝心の中身は飛沫程度しかかかっていない。
 凄まじい度数を誇り酒精は、ただの人間にはほとんど劇物に等しい。それがほとんど無駄になったのだから、最早万策潰えたと言っていい。シシキリは、確信するまでもなく、ここまで勝利を疑わなかった。

 それでも、今や完全に立ち上がったシシキリがその歩みを止めたのは、気まぐれと言っていい。
 いや……、必然かもしれない。もう一人の探偵はその異形の姿を咲かせていたのだから。
 『おのれ……』
 呪詛と憤怒の声であった。探偵の口元は微動だにしていない。
 声の元は右胸の位置であった。今やはっきりと聞こえるその声は時計草から、「欠片の時計」と一体化した髪の探偵の本体と言える、欠かせないパーツである。

 「柊 時計草」は髪の探偵と言われているが、別にそれは彼女の容積の大半を占めているとしてもそれが全てと言うわけではない。
 全身に散った細胞に加え、もう一つの感覚器官にして脳と言える「時計草」の花がある。
 藤原京と時計草は、その二つの目と隠された花を通して、広い視界を有していた。
 右腕は既に時計草の、人造の探偵、その細胞に置き換わっている。故に血は流れない。苦痛は時計草一人のものだ。これらはすべてが殺人鬼にとっては理解の外にある、慮外の連続だったろう。

 あらかじめ、シシキリの為に腕を切り落としておくなど! 
 シシキリの都市伝説を知った時、二人はこの怪人が一撃での確殺を図ることはないと判断した。
 必ず、四肢を削いだうえでのトドメに拘ると思い、当たる率の低い策を用意した。全ては腕の一本を飛ばされた程度で勝負を決せられないよう、また推理を途切れさせず、能力行使にも支障を来さないため。
 二人は、最悪の奇襲の中で攻撃を誘導した。分の悪すぎる賭けに勝ったのだ。

 「は、ナ……?」

 そして、花に加え、周囲に飛散した酒は多少の酩酊効果をもたらしていた。
 探偵達には痛み止めになるが、怪人には瞬時考える、そんな思考を与えて、しまった!

 そして、その隙を見逃す二人ではない。
 農薬は頭髪の先に集め、切り離すことで無力と化した。元来、毛髪とは有害な物質を体外に排出する役目も持つ器官である。傷つけられた足は急ぎ髪で縫い、その上から巻き込むようにして織る。
 そして、トドメだ。これで、死んでくれるとは、思わない。

 「ひ……?」
 投げつけられたライターの火が爆発的な燃焼をもたらす。
 丁度、双方の中間地帯で着火したため二人は等しく燃え上がる。
 シシキリは規格外の生命力をもって、探偵は、その能力をもって衣服を織り重ね着捨てながら、その体幹と時計草の花を守って走り出す。「ガァあぁぁああぁあァ!」獣のような声が響いた。

 身長に匹敵するほど長かった髪は、次々と切り離され、今は半分を切っている。
 シシキリは七転八倒。辛うじて己の火を消すも、その頃には探偵も、達磨諸共に消えていた。

 この時、シシキリと呼ばれる存在が何を考えていたのか、語ることは難しい。
 反射的な行動が理に適うように見えている存在は、噂のルールでしか動けないと自らを限定してしまった。それゆえの規格外の力だ、鈍麻し、目的も何も忘れてしまった心だ。
 だが、だからこそ探偵が何をしようというのか、本能的に理解していたと言っていい。
 探偵(やつ)は、自分を脅(おび)かそうとする存在だ、と。

 シシキリは罠を張ろうと動き出した。
 先のように、いつ現れるか、それがいつになるかはわからない、それは――数分後だった。
 虚を突かれた、と思ったシシキリは鉈を片手に猛進する。四肢を落とし、殺してやろう、犯してやろう、それがいつものすべてだった。いや、違う。探偵の口が動く。



 「『開庭(かいてい)』」
 時計草と藤原京、二人の声が唱和した。本日、三度目の能力が発動された。
 その瞬間をもって藤原京を中心にテニスコート一面分の空間が切り取られ、舞い散る花々が主張する。
 曰く――、今この時をもってこの空間を一個の探偵をもってして占有するものとすると宣言する。
 ここは真実を許されなかった法偵が生み出した彼女のためだけの裁判場にして、罪人を閉じ込める檻。

 『花刑法庭 -フラワーコート-』開廷。
 この数分をもって心身を立て直し、蘇生された達磨から最後のピースを引き出した。
 もう、死角は見つからない。僕達の、私達の、勝ちを確信する。

 生き残った織機が見えるが、そして外部からの干渉を絶たれたそれらは即座に沈黙する。
 ここは少女たちの定めた法(ルール)に基づく庭、この異物は機能を承諾されなかった。

 ここに来て切り刻まれ続けた紡績工場はその機能を完全に奪われたことになる。経営者は首をくくらねばならないだろう。だが、探偵二人にとってそんなことは知ったこっちゃなかった。

 対するシシキリは沈黙を保っている。
 いや、シシキリは強いられていた。この場に最もそぐわないもの、それが彼と言う存在だった。
 華やかな庭園の中で許されるはずのない闖入者は法の下に、既に心としては負けていた。
 だが、彼には規格外と言える生命力、生物としての力があった。探偵が言葉を織って、紡がれる推理、それが終わるまでに殺しきれれば勝利は、確定する――。

 口火を切るのは藤原京と呼ばれる探偵。
 「そもそも、シシキリなんて言う都市伝説は存在するのか? そこからが推理の出発点でした」
 十三個達磨を集めたら願いを叶う、と言うのは後付臭いと最初から思っていた。
 加えて、罠の為にダルマも作らずに丸々ひとつの死体を分解する、くれば達磨自体に大した思い入れはないと判断するには十分だった。

 もう一人の探偵は、物思う。いや、必死で耐えていた。
 ここは法庭であって法廷ではない。殺人鬼がその凶刃を突き立てようとも、何らペナルティはなし。
 集中しろ、脇を見ずに論破しろ……、己を奮い立たす言葉を脳に満たせ。
 どう足掻いてみても 殺人鬼の埒外の暴力を一身に受けるのはこの子に他ならない。ならば、虚勢であっても常に張っていよう。ここで、私が負けたらこの子はどうなる――ッ。
 「ネット発の都市伝説としては、シシキリは有名な部類でした。いや、現実に犠牲者が出ている猟奇殺人鬼を都市伝説に落とし込める必要があったのかはわからなくて。そこに作為を感じました」

 「…………」
 殺人鬼はあくまで無視を決め込む心積もりか。鉈がさらに食い込み、残された肉を圧迫する。
 ここは国家の名の下に罪刑を宣告する法廷とは違う。
 法庭は互いに言葉の応酬を義務付けられるわけでなく、権利に過ぎない。心に届く言葉、抉る言葉、真実を知らしめる舌鋒でなければ、この暴力装置は働かないだろう。
 「関東で頻発する猟奇殺人が単なる”都市伝説”シシキリに矮小化されているのはおかしいと思いませんでした? なぜ、あなたは報道に上っていないんでしょうか? 
 検察の知り合いを締め上げましたが、報道規制がかかったのは事件の異常性に拠るところが大きいそうです。『誰が――信じるかッ!』……、彼女の態度から確信しました」
 言葉の走り、推理の興り――。

 「『藤原京、急げッ! これ以上、持つ気がしない』弱音はいいからッ! 傷を増やさないでッ」
 頬に一筋の赤い線が走った。ぷくりと膨らむ赤珠(あかだま)を生み出したのは野茨(のいばら)の花。法庭を無数に舞い散る花弁の一つだ。言葉はどのような形であっても被害・加害を選ばずに人を傷付ける。
 詰まる所、魔人能力とは認識の力。認識が万能だとしても、力がどう向くかを選ぶことは出来ない。
 それが、現実だ。時逆順が、それを簡単に捻じ曲げるのだとしても彼女達はその力を望まない。
 むしろ、憎いとさえ思った。

 苦痛にあえて身を任せる。
 この痛みから逃げたりしない、探偵は苦痛をもって苦痛を捻じ伏せる。今、この瞬間だけは脳を掻き回すようなこの頭痛を有難いとさえ思える。
 理不尽に対する怒りを痛みで増幅し、怒りをもって痛みを捻じ伏せる。
 そんな頭のおかしい理屈をもって、探偵は狂っていない推理を吐き出す!

 「つまり……、シシキリとは官憲に泳がされている。そこは、知り合いの刑事に、聞きました。
 時逆順を……欲した、奴らは、それを集め、るた、めに。
 いつでも切り捨てることが出来る駒を求めた。それがシシキリと言う、噂で片づけられる殺人鬼だ。
 そうでなければ、関西を拠点にする著名な資産家の死を、面子にかけてここ関東で見過ごすはずがない」
 あ、ああ――
 『貴様は無作為に人を襲っているように見せて、その後はピンポイントに『時逆順』の持ち主を襲っている。たとえ、それが誘導されたものとしてもだ。願いを叶えるって書き込みは貴様の物だろう?』
 その誘導に知ってか知らずか『乗っているお前は……。シシキリ……、いや貴様は誰だ?』
 氏名と、官職を述、べよ。シシキリなんて、名前の、魔、人は存在、しない!」

 そう、願いを叶えてもらうのは達磨じゃない、時逆順だ。
 最初はそうだったのかもしれないが、自分の中で摩り替わったんだろう。きっと、この戦いで最後まで勝ち残れば、負かせて来たやつを含めて十三個になるとでも言ったか、思われたかしたんじゃないか?

 「ぐっ!」

 身体と密着して強度を増すが断ち切られる寸前の左腕を放って、耳目を塞いだシシキリは探偵にぶつかっていた。
 手は塞がっている。ならばと、胸元に噛みつく、そこに肉はあった。花は……、いない!
 『他に動かした。大筋はわかっている、無理はするな。私にも任せろ』

 「ナ……、何を……言ッてるか、ワカラナァ……」
 シシキリは都市伝説で語られる怪人。悪鬼の如く姿でイメージされるそれはまやかしに過ぎない。
 もし、悪性の噂の住人達が実在するとしたら、彼らは一定のルールに縛られて行動する一種の災害である。人の形こそしているが、常人にとって対処不能な悪夢として見て見ぬふりをされている。
 シシキリはそことの混在を狙った。事実、ただの魔人とは思えない常識外の耐久力はその人々の共通認識を間借りした産物と言えるだろう。現象に近づいた魔人は酷く強固に見える……だけだッ!

 シシキリと言う噂に惑わされるな!
 奴は単なる一個の人間に過ぎない。

 「何を言っている。逃げるな! お前は『貴様は』狂っている”ふり”をしているだけだッ! 
 『シシキリ』の、その本当の意味を思い出せ。貴様が本当はどんな姿をしていたのか、
 どんな気持ちで僕達の庭と向き合っているのかを!」
 「止め、ろォ……。俺は……」
 「言葉で言い……返し、否定しないんですか? ここは万人にとって共通の理で支配される法の庭。
 自己弁護も黙秘権も当然認められております」
 「ぁ……あァ……」
 土台、無理な話だ。言葉を紡ぐには言葉を知る人でなくてはならない。
 これは語ることを意味しない。たとえ無口の人であっても、目で語ることは出来るだろう。恐怖と言う現象に、存在を塗り潰した都市伝説的存在は人に語られても、人へ語る言葉を持たない。

 「連続殺人鬼も詰まる所は罪を犯したただ一個の人間。第一の被害者・祝薗盛華(ほうその・せいか)の婚約者がなぜ姿を消したのか? その答えは簡単だ」
 飛び交う花弁、花冠、花びら、はらはらと散る。
 その内ひとつが束となり、一人の男を見定めたかのように宙をくるりと回った。

 雛菊の花束が一斉に”彼”を目がけて襲い掛かる。
 一閃――、鬼無瀬ではないが雛菊刈(デイジーカッター)が彼のぼうぼうに伸びた不気味な髪束を、無精で不潔な脂ぎったその顔を、皮に(がわ)に付着したありとあらゆる余計なパーツを掃除していく。
 もしこれが論破による致命的な一撃とするなら拍子抜けすることだろう。
 だが、これはやはり致命打。シシキリと言う存在を滅ぼすには足る。

 シャーロック=ホームズの一篇に『唇のねじれた男』と言う物がある。
 トリックを言ってしまえば、乞食と紳士が同一人物だったと言う物だが、知名度を考えるにここは『ジキルとハイド』と言った方がいいだろうか?
 削ぎ落とされた男の顔は四十と言うには若く見えた、と言うよりあの荒くれた怪人とは思わせない、疲れ切った、ただの一市民の顔だった。

 「お前が犯人だからだ、婚約者。名は、自分で名乗ってくれ。
 その言葉を……祝薗(もりぞの)さんは待っている。君は、生きている」
 そもそも、犯人は最初からわかりきっていたのだ。被害者と思しき四肢と言う遺留物が唯一持ち去られていない時点で、最初の犠牲者である祝薗盛華の婚約者に辿り着くのは時間の問題だった。
 そして、被害者の中でわざわざ姿を消した存在、殺人事件の加害者は過半が親族などの、近い人たちによって占められると言う残酷な事実に、冷めきった法廷派探偵はすぐに思い当った。

 劇的な犯罪なんて法偵の勤めた裁判所には滅多に持ち込まれなかった。
 あったのはありふれた愛憎劇、殺人とは近しい人との間が過半を占めるだけ。
 使い古されたクリシェだとしても残酷な真実に他ならない、それを告げる。
 快刀乱麻とは、けしていかない。ここからは言葉による単なる、哀れな男の、嬲り殺しだった。

 右上肢が落ちる――、一本目だ。

 「違ウ――ッ! ボクハあの日、シシキリニ盛華ヲ――見テイルコトしかでき、なかったんだ……」
 「『自宅から押収された貴様の日記帳が決め手だったよ。本来なら語られるはずのない犠牲者の証言(『シシキリ』プロローグSS参照)がなぜかリアルタイムで書き込まれている、噂じゃない現実ならすぐわかるだろ? 知り合いを突っついたら吐いてくれたよ。噂を補強するためそのままの文面でネットにばら撒いたと』」

 「『真の探偵は、法廷を住処とする法偵は相手が狂人であるとしても、そう見えるだけと主張する。
 真の狂人とは何の損得も考えないものと定義する。目的意識がある時点で君は常人だよ、ボーヤ。
 貴様は婚約者の死と言う現実を受け入れられなかったばかりに、架空の殺人鬼を生み出し、そしてその噂に食われた。枷を付けられ、涙を流していたのは本当。ただし、貴様の心の中で、な!』」

 左下肢が落ちた――、二本目だ。

 「『貴様の能力の本質は不完全な蘇生能力。
 婚約者が四肢を失って死に至ったのは後か先かわからないけれど、狂乱の中で覚醒した魔人能力は貴様にとって望むべきもので無かったのだろう。
 二十四時間で生と死を繰り返す愛する人の姿を見て、精神が破綻した。どうだい? 筋は通っているだろう? 身体は新築の家を行って帰ってを繰り返し、日常を送っていたかのように見えていた。心は、」
 「止めろ――、やめてくれ、頼む……たのむよ」

 「やめない」
 回転のこぎりのようにくるくるとした向日葵が三本目を落とす。
 そう言えば、花の名前に詳しくなったけど、あれはなんだろう? ああ、そうか――。

 「『シシキリ』の本当の由来を教えてあげるよ。聞きたい?」
 返答は、ない。だが、まだ心折れてはいないらしい。難儀なことだ。
 「梔子(くちなし)の、梔子(しし)の花言葉は『私は幸せ者』。君は自らで幸せを切っていた、その事を自嘲していたんじゃないかな? 救いが無いね」
 最早、何か吹っ切れてしまった法偵は嬉々として話す。

 細部は知れない。だが、本質は外していないだろう。
 婚約者は将来の伴侶を失い、その絶望から怪物に成り果てた。
 こうして四本目を落としたと言う、その事実が証明している。
 もう、どうあってもシシキリが生まれることはない――、その事実をもって閉庭と為そうか。
 「『もう、いいだろう?』いや、まだだよ。殺さなきゃあ『よせ』うるさい」

 「あ、あぁ……。助けて、たすけて……。盛華……」
 探偵が言い争っている間に呪文を唱えたのだろう。
 袂から零れ落ちた達磨が瞬時に生前の彼女の姿へ戻る。ただし、四肢を持たない。能力を失っている。
 そして、喋れない。自分が何者であるかもわからないような表情で固まっていた。

 梔子(シシ)=くちなしを切る、もう一度話しかけて欲しいからシシキリ。
 シシキリは呪いと願いの両面からなった存在だったのかもしれない。

 「聞いてみましょう。彼女が君の事をどう思っているのか『よせ!』いいから、ここは僕の庭だ」

 男は罪悪感を持っていた。彼女は当然自分を恨んでいると思った。
 シシキリがしてきたことを思えば、彼女の言葉(かお)によって裁かれるなら本望に思えた。

 そして――。
 「ねぇ……、盛華(せいか)、さん。あなたは、幸せでしたか?」
 致命的な一言だった。

 返す言葉は無い。
 身振り手振りもない、あるのは顔の表情、のみ。

 だが。

 盛華と呼ばれたその存在は、問われて、はじめて、笑った。満面の笑みだった。
 何の屈託もない、ただそこに感情も含まれていない、ただの笑顔と言う表情、それを機械的に貼り付けた様で――、花びらが視界の全面を覆った。

 法庭が崩壊する最中、勝利を確定させたことを示すように、二人の頭痛が酷くなる。
 果たして、シシキリは花刑に処せられたのか、首を落とされているところは見ている。それから瞬時に元の世界に戻ったので後のことはわからないが、傷はすべて癒され、髪の長さも元の通りだ。

 だが、絶え間ない頭痛と最後に残された疑問が勝利と言う物への余韻を感じさせてくれない。

 「『わからない』」
 この言葉で片付ける。それは探偵の敗北に等しい。
 けれど、あの無機質な笑みが何を意図したのかを本当に理解できなかった。
 真実は残酷だ。それを告げる探偵(わたしたち)がそれに負けまいと、いくら残酷であろうとしても、理不尽な現実には敵わないと否応なしに理解させられる。
 果たして、死体から蘇った者は本当に生前の延長として生き返ったのか、わからなかったが。
 あの笑みは、呪いだったのか、それとも……? 答えは出ない。

 そして、今の彼女にはわからないままに、二人の間に横たわる本当の問題に気付けないままに、迷宮時計を巡る戦いは激しさを増していく。
 二人は二つの掌で頬をぴしゃりと打つと、次の戦いへの準備をはじめた。

最終更新:2014年10月17日 01:02