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第一回戦SS・教会その2


『エンドロールに喝采を』



ときわたりの石をめぐり40人の盗賊と刃を交える冒険活劇を()した斎藤一女、ミスター・チャンプに
――そして我が()(かた)の人生に捧げる。


***



○Scene 1/7 『さよならとはじめまして』

「1960年代終わり頃から70年に、大学生だった私達は学生運動に身を投じていました。
 結果、今の学園自治法があるのです。生徒諸君に暴力を振るえなどとは言いません。
 しかし、諸君にはもっと学業に対する熱意や、自分達で何かを成す気概を――」

人生がつまらない。

教師の語る魔人差別の歴史という昔話を適当に聞き流し、窓際の席で僕はため息をついていた。
何をやっても大人になって役立つ気がしない。
近頃はもう、遊んでいるときは楽しくても、帰り道はひどく虚しくなる。そんな日ばかりだ。

それもこれも、自分が普通の人間だからだ。
もしも自分が魔人になれたらと、いつも考えている。あるいは宝くじにでも当たってくれたら。
でも自分には無理だってこともほとんど気づいている。

いや、そんなことより、この世は上っ面ばかりで酷いものだ。世の中が悪い。
例えば魔人は迫害されているなどというが、その実ただの人間よりも優れた存在に変わりない。
だから結局、世界を動かしているのは魔人だ。

少数だから差別されているなんて言っているが、数の力がどうしたっていうんだ。
力を持った人間が気に入った魔人を庇護すれば、それは魔人が大多数より上に立つのと同じだ。
どうせ世の中の裏では、本当に優れた魔人が暗躍して世界を回しているのだろう。

それが何を差別がどうこう言うんだ。もっと現実を教えろと思う。

このクラスにも二人の魔人がいる。KとH。二人共、迫害されるどころかもてはやされてすらいる。
Kは美味しい料理を手のひらから生み出す魔人で、昼休みや学祭でのヒーローだ。
Hは世界中の人間と会話ができる能力で、手をつないでいる間はその効果を他人にも及ぼせる。

そんな他人を喜ばせたいだとか、もっと大勢の人と話したいだとかの理由で魔人になった二人だ。
素行も悪くなかった二人は、能力の恩恵に預かれるという理由で学校から丁重(ていちょう)に扱われている。
僕のような平凡な人間とは違う、特別な人生を謳歌(おうか)している。

人生を楽しく過ごすには優れた存在になるか、逃してはならない『その時』の運を(つか)むか。
そのどちらかしかないんだ。
この世は欺瞞(ぎまん)に満ちていて、平凡な僕には住みにくい。

どうしてこんな世の中で、他の皆は頑張ろうとか努力しようとか思えるのだろう。

最近はため息ばかりついている。
周りの馬鹿な悪友は、僕の片思い相手だった女の子が魔人になって学校を辞めてから老け込んだとか、
そんなことばかり言って茶化してくるが、そんなことは関係ない。いや、あっても瑣末(さまつ)なことなんだ。

魔人ばかりの高校、希望崎学園に転入したというあの子は今どうしているのだろうか。
KとHが今もおとなしくこの教室で授業を受けているのはどうしてなんだろうか。
違う違う。そうだ。世の中というのは上辺ばかりの酷いところだ。

気分が晴れるものでもないが、教師の顔を見るよりは幾分マシだろうと窓から校庭を見下ろす。

プロレスラーが校庭の中央に立っていた。

「はぁ?」

思わずとぼけた声が漏れた。
赤と黄色の派手なロングパンツ。上半身は裸で筋肉ダルマ。髭面にバンダナ。左手に竹刀。
これをプロレスラーと言わずして、何と表現しようかという具合の男が校庭に立っていた。

他のクラスメイトや教師も校庭に現れた闖入者に気づいて、教室が騒がしくなる。

このときのプロレスラー、ミスター・チャンプとの出会いが――人生の中ではほんの短い期間だが、
僕にとってもっとも記憶の中に色濃く刻まれることとなった日々の始まりだった。


***



○Scene 4/7 『(うるわ)しの君』

古都、イタリアの中心街にそびえる石造りの巨大な教会、ミラノ大聖堂。
一辺の長さが300メートル近くにも及ぶ広大なドゥオーモ広場を(よう)するここが戦いの舞台だった。
トゲトゲと塔の突き出た大聖堂を見上げると、まるでお菓子の家を見ているような現実感の希薄(きはく)さだ。

完成までに500年もかかったというこの建物は、僕が写真で知っている現代のそれと同じ印象だ。

周りを見まわせば、もうすぐ戦いが始まるぞと口ずさむ人々がせわしなくうごめいている。
各人が思い思いの場所に『H.M.P』の映像を映し、そこから聞こえてくる解説を耳にしている。
今はもう戦う二人のプロフィール紹介を終え、いよいよ戦闘開始のゴングを待つばかりという状況だ。

『皆様にお願いがあります。達人同士の命を懸けた戦いというものは出会い頭の一瞬で決着がつくか、
 そうでなければお互いの体力を削りあう持久戦になる場合がほとんどです。
 試合が一瞬で終わってしまった、あるいはいつまでも戦況に変化がないという事態になった場合も、
 どうか両選手には暖かいご声援を送って頂けますようお願い致します。
 なお、一瞬で決着がついた場合はスローモーション映像による試合のリプレイを――
 長時間の試合になった場合には技の解説や両選手への声援メッセージなどの紹介を――』

戦闘前のアナウンスを聞き、高まる緊張に胸をおさえる僕。
それとは対照的に、連れの二人は馬鹿話を続けていてお気楽なものであった。

「今回のミスター・チャンプの相手って剣道っ子と力士の二人組だろ」
「は? 何言ってんだよ、一人だろ」
「あれ、だってこの斉藤一女ってさ、鬼神丸とかいうの連れてるんだろ。さっき紹介されてたじゃん。
 俺、この前漫画で読んだけどさ、これって力士の名前だろたしか。違ったっけ?」
「何の話だよ……刀の名前だよそれ」
「ええー、俺はてっきりさぁ」
「二人組ならオレだったらむしろ女の子同士を推すけどね!
 片時も離れない百合カップル! 萌えるね!」
「『俺の一女くんには指一本触れさせないぞ!』『阿呆が』って~? ヤベェそれ萌える!」

こいつらバカだ。どうしてそんなに落ち着けるんだと言いたくなる。
こっちはここに来たことを早くも後悔しはじめているっていうのに。

過去のイタリアという、日常からかけ離れた場所にやってきた僕が海外旅行気分でいられたのも、
せいぜい最初の一時間くらいなものだった。
現代の日本と、過去のイタリア。それらはあまりにも環境が違った。

変な服装の男三人が手をつないで歩いていれば変な目で見られるし、手を離せば外国語の嵐で頭が痛い。
空気がとにかく埃っぽくてむせそうになるし、喉が渇いたと思ったらどこにも水道なんてない。
当然ながらここで使えるお金も持っていない。
散々慌てた挙句、Kの能力でフルーツケーキを作って、その果汁で渇きをしのぐことになった。
宿をとる場所のあてもない状態で、一週間もこの場所にいなければならないと思うと胃が痛くなる。

だが、それでもここまで来てしまった以上、絶対にこの戦いを見逃すわけにはいかない。

『さあッ! いよいよこれから開始されるは魔人同士の真剣勝負ッ!
 ミスター・チャンプ VS 斉藤一女の戦いのゴングが打ち鳴らされますッ!』

実況が高らかに宣言した。
いよいよだ。落ち込んでいた気持ちを切り替えて、顔を上げた。
胸をおさえる手に力がこもる。

広場に集まった人々がどよどよとざわめき立てる。
二人の戦士が登場するという、教会の正面入口前。広場の中央付近に視線が集まる。

ここからが、この旅の本番だ。
ミスター・チャンプ VS 斉藤一女――。



『それでは参りましょうッッッ!!! レディー……ファイッッッ!!!』



ゴングの音が戦闘の開始を告げると同時。

目の前の広場に真っ白な(きり)のようなものがすごいスピードでドーム状に広がった。
何が起こったのか、あっけにとられた観客達の戸惑いがあちこちから立ち昇る。

次の瞬間。

ハンマーで固い石を叩いたような派手な音が続けざまに二度、白いドームの中から響いた。

『これは一体なにごとだァーッ!? 何が起きたミスター・チャンプッ! 何が起きた斉藤一女ッ!』

直後、戸惑いの声をあげた司会の言葉に呼応するように白いドームから巨大な人影が跳びだしてきた。
ミスター・チャンプだ。

ミスター・チャンプだ! と思った次の瞬間には、チャンプは凄いスピードで教会の裏手側、
広場の反対方向へとダッシュしていってしまった。

『なんだ一体ッ!? どうしたチャンプッ!? 試合は今どうなっているんだッ!?』

とにかく何もかもが突然過ぎて、僕達はぽかんとするしかなかった。

やがて、広場の中央に残された白いドームの色が薄くなり、中の人影が徐々にあらわになってきた。

霧のような白色が薄まり、日の光を受けてキラキラと輝く中。
青く透き通った氷をまとわせた日本刀を手に、黒い学ランをぴしりと着込んだ長身細身のシルエット。
あまりにも凛々しいその立ち姿に、彼女の口に咥えたキャンディーの棒が咥えタバコにすら思えた。
鋭く辺りを警戒するその目は、彼女の周囲の空中に漂う氷の塊と同じように冷たい光を放っていた。

そして――その凛々しく尖った女性の顔は、綺麗だった。僕は息をのんでいた。

『斉藤一女だッ! 斉藤が姿をあらわしましたッ! しかしその格好はどうした斉藤ッ!?』

そしてもう一つ、特筆すべきは――
流れる黒髪の先端からぽたぽたと雫を落とすくらいに、彼女は全身ずぶ濡れだった。

水に濡れた美女の出現。
試合の状況はわからなくとも、その事実だけは『H.M.P』の映像ですぐに広まった。
広場の男達から歓声があがり、口笛が鳴らされる。

「なあ? やっぱ見にきてよかったな?」
「おう! あの子、美人だなおい!」

隣の二人がガッツポーズをしながら言った。
この言葉には僕も頷くしかなかった。



後から本人に聞いた話だが、この全身濡れ鼠の理由は、戦いの舞台が乾燥地帯だった場合でも能力を
最低限発揮できるように、転送直前に水をかぶって準備してきていたのだそうだ。
おかげで良いものが見られましたとは、流石に怖くて言えなかった。


***



○Scene 3/7 『この世のすべてが上手くいく日』

僕が過去のイタリアへやってきたのは完全な勢い任せだった。

きっかけは僕のクラスにいた二人の魔人達、隣で馬鹿話をしているKとHの立ち話を聞いたことだった。
ミスター・チャンプが24時間後に僕のいる世界にまた訪れるという知らせが『H.M.P』で届いた昨日。
24時間後に過去へやってくるなんて変な表現だと思ったが、そんなことよりもまた会いたいと思った。

その日の放課後、なんとなく気晴らしに校舎の屋上にあがったら、二人の密談を聞いてしまった。
内容は、ミスター・チャンプに会いに、自分達も過去世界に行こうというものだった。

ウチの学校の資料室に保管されている『ときわたりの石』。
ウチの学校が生徒を集める目玉カリキュラム、過去実地体験学習旅行に使われているものだ。
月に一回くらいは魔人絡みの変な事件が起きる世の中だが、その中でもこの石はぶっ飛んでいる。

太古に滅んだ種族の遺した古代遺跡から学者マッコイに雇われた冒険者が持ちだしたとか、
空間を操る魔人一族、月読一族の能力者が作っただとか、怪しい噂のつきまとうその石は、
所持者を指定した時と場所に一週間きっかりワープさせてくれるトンデモな力を持っていた。

その石を管理している教師が、偶然にも資料室の鍵を置き忘れて帰ったらしい。
それを見つけたHが、普段のいい子ちゃんが羽目を外したくなったのか、持ってきてしまったらしい。
これがあれば異世界は無理でも、過去になら行ける、と思ってしまったらしい。

僕が『ときわたりの石』のある学校にいたこと。
あのミスター・チャンプが明日試合を行うこと。
しかもその相手があの希望崎の生徒であること。
そんな日に限って教師が鍵を忘れていったこと。
それをHが持ちだしてKと一緒に過去旅行しようと相談しているところに僕が出くわしたこと。

小さくとも映画同好会の一員として映画を観てきた僕が、夢に見ていた映画のようなワンシーンだ。

あまりにもお膳立てが過ぎて、ここまで偶然が重なったなら、それは――
今こそが、自分が特別になるための一歩を踏み出す『その時』じゃないかって思ってしまった。
今を逃したら自分は一生特別になれないままなんじゃないかと心が焦ってしまった。

そして、気づけば僕は二人の悪巧みに加担していた。
あの子が希望崎に行ってしまってから、なんとなくKとHを避けていたこともどうでもよくなっていた。


***



○Scene 5/7 『冷たい手』

戦闘開始と同時の一瞬が過ぎた後、戦況は硬直していた。

二人の位置は教会の地図上に光の点として表示され、二人の様子は別の俯瞰映像で中継されている。
しかし映像の内容は代わり映えしない状態だ。

チャンプが斉藤一女から距離をとって、巨大なお菓子のような教会を中心にぐるぐると広場をまわる。
斉藤一女が距離をつめようとチャンプに近づき、氷の塊を飛ばしたり氷のトゲや滑りやすい床を作る。
チャンプは手近な物を投げて牽制し、身体にまとわりつく氷を気合一喝で砕き、足元の氷を踏み砕く。

そんなことを何度も繰り返している。

最初に距離を取ったチャンプが大声で斉藤一女に戦いを放棄する気はないかと問いかけ、
斉藤一女が周囲に薄い氷と冷えた空気によるプリズムを作って近づきながら「阿呆が」と一言返した、
見所といったらその一回くらいであった。(プリズムは狙撃惑乱(わくらん)用の迷彩だったらしい)

『それでは現在の試合内容が持久戦となっているところで、
 試合開始の攻防を偏光カメラとスローモーションを駆使してもう一度振り返ってみましょう』

代わり映えしない戦闘の映像を画面の端に寄せて、『H.M.P』の映像に戦闘開始時の広場が映った。
あの、何が起きたかわからなかった一瞬が、スローモーションとなって再生される。

ゴングと同時に広場に姿をあらわしたミスター・チャンプと斉藤一女。互いに正面。やや離れていた。
斉藤一女は、広場にあらわれたとき、すでに突きの構えを取っていた。
濡れた身体に四つの氷塊もつけている。

『射程内に敵がいたら試合開始と同時に決める気満々だったようですね。やる気十分の選手です。
 周囲に広がった白いものは氷の粒ですね。斉藤選手はおそらく冷気を操る能力者なのでしょう。
 彼女の出現と同時にあたりの空気が冷やされてダイヤモンドダストが発生したようです。
 氷塊も身動きの邪魔にならない程度に予め用意しているあたりに周到さが伺えますね』
『なるほど。そしてここで斉藤は思惑通りにチャンプを発見して、一気に突撃する!』
『チャンプはこれに左手の竹刀ではなく右手をとっさに動かしています』
『視界の悪い中、ここでチャンプが斉藤に向けて腕を振って――オオッ! これは『迷宮時計』だ!
 チャンプをこの戦いの日々に送り込んだ元凶を斉藤めがけて投げつけている!
 チャンプの豪腕からライフルさながらに放たれた金色の弾丸が斉藤へ向かい――こちらもお見事!
 空中に氷の盾を作ってこの攻撃をしのいだ!』
『氷の盾と『迷宮時計』、どちらも粉々ですね。斉藤の防御とチャンプの腕力が光っています』
『そのまま突きをチャンプに決めようとする斉藤だが――おおっとォ!?
 ここでチャンプが時計を投げた手首を返し、アンダースローでもう一発の――『迷宮時計』弾だッ!
 なんだこれはッ!? 投げたばかりの時計がなぜまたチャンプの手元にッ!?』
『斉藤選手もこれには虚を突かれたようですね。体勢を若干崩しながら刀でなんとか防ぎました』

これも後から聞いた話だが、このとき彼女は迷宮時計の力によって自分の感覚を高速化していたせいで
一投目でチャンプの右手に何も握られていないことまで確認できてしまっていたらしい。
それが逆に二投目の攻撃への反応を遅らせて、突進の速度を緩めてしまったのだとか。

『この二回の攻防がダイヤモンドダストの中から響いた音の正体だった!
 この隙にチャンプはバックステップで距離を取り、そして一気に走り去り……いやあ!
 あの一瞬で激しい攻防が繰り広げられていたものだ!』
『チャンプの攻撃は……
 これはどんなに壊しても所持者の手元に戻ってくる『迷宮時計』の特性を利用した奇襲ですね。
 おそらくチャンプはいざというときのために『迷宮時計』が壊れたらどう手元に戻ってくるのか、
 武器として使えるのか、影で実験していたのでしょう』
『オオ、とするとチャンプは試合開始早々に切り札を切ってしまったということになると』
『ただ、それは斉藤選手も同じでしょう。
 試合開始直後の隙を突く短期決戦が斉藤選手の戦術だったのでしょうから。
 ですから、現在は両者共に相手の疲れを待つ持久戦にもつれ込んだわけです』
『これは次にお互いが全力でぶつかる瞬間が楽しみですね!』

呆れ返るしかない戦いだった。人間と魔人の身体能力の差をまざまざと見せ付けられた気がした。

「俺、喧嘩に自信あったけどありゃ無理だ。俺じゃ勝てねぇや」
「魔人になっても上には上がいるよなー」
「チャンプはとにかく斉藤はタメくらいじゃねーの? それでこれだもんな」

KとHも同じような気持ちだったらしい。
身体を鍛えぬいた魔人が本気で戦った際の一瞬の攻防はとてつもない。
特に斉藤一女は、僕が見てきたミスター・チャンプの14回の戦いの相手の誰よりも強かった。

この二人の戦いがこれからどう動くのだろうか。
停滞している戦況を改めて思いながら、僕は画面ではなく自分の目で広場を見返した。
それはちょうど斉藤一女が僕達のいる広場の近くを走りぬけようとしているタイミングだった。

そして、僕の目と斉藤一女の目がばっちりとあっていた。

ドキリと心臓が跳ね上がった。気のせいではない。なにせ斉藤一女が足を止めた。
たしかに僕達は周りの人とは服装も違うし、そもそも顔立ちが西洋人と東洋人で全然違う。
観客達の中で目立つといえば目立つが、まさかと思った。

でもそのまさかだった。

彼女は僕達の方へつかつかと歩み寄ってくると、

「貴様、日本人か?」

はっきりと僕に向かって声をかけてきた。

斉藤一女のプロフィール紹介が脳裏をよぎった。目的のために手段を選ばない人物。
チャンプはファンを大切にしている。斉藤一女もチャンプのことを知っていたとしたら。
まさか僕を人質にしてチャンプを脅すつもりじゃないだろうか。

僕はどうなってしまうのだろう。
冷や汗をかきながら、ただ頷くことしかできなかった。

「ちょっと手を貸せ」

そんな僕の首筋を彼女の手が掴みあげた。首がひやりと、凍るように冷やされた。
猫のようにつまみあげられた僕は大慌てで手足をばたつかせ、なんとか逃れようとした。

「阿呆が。暴れるな。別に貴様を盾に使ったりなどしない」

ドスをきかせた声に身体を硬直させた僕は、軽々(かるがる)と持ち運ばれて戦場の中心へと向かうことになった。
一応、KとHもなんだかんだと彼女を引き止めるべく声をかけていた気はする。
けれど、ウチの学校では無敵の二人も彼女の前では無力だった。

『アアーッ!? 斉藤が動きをみせたッ! これはどうした斉藤ッ! 観客を捕まえて何をするッ!』

実況の声が大きく響いていた。そんなことを叫んでいる暇があったら僕を助けてほしいと心底思った。



「あの、僕は何をすれば……」
「貴様はチャンプの居場所を映像で映せ」

教会の陰に連れ込まれた僕がおずおずと切り出すと、彼女は手早く用件を伝えてきた。
どうやらチャンプの『H.M.P』を利用して、チャンプの居場所を確認するのが目的だったらしい。
戦闘相手には映像が送られないため、僕をモニターとして捕まえてきたというわけだ。

教会の裏側で、チャンプは精確性を増した攻撃をしのいでいる。
攻撃を続ける彼女の横で、僕は所在なく映像を提供しているしかなかった。
映像越しにチャンプへ氷塊攻撃を仕掛ける彼女の横顔を、僕は息を殺して見つめる。

近くで見る彼女は、凛とした大人っぽい雰囲気と比べて、まだ子供の顔だった。
考えてみれば当たり前で、彼女は希望崎の生徒で、つまり僕と同じ高校生なのだ。

「あ、あの……」

歳の近さに親近感を覚えたせいか、気が緩んだのか。
黙っているのが耐えられなくなった僕は、彼女に声をかけていた。
声をかけてから、何を言えば良いかわからず、しばらく黙ったまま固まってしまう。

彼女は映像を見たまま、こちらの言葉に反応もしない。
彼女の周囲を漂う氷塊が冷たい光を返すばかりだった。

「僕の高校から斉藤さんのところへ女の子が一人転入したと思うんですけど……あ、いや。
 えっと、斉藤さんは氷を作る能力をもっているんですよね?
 こ、氷を空中に浮かべられるなんてすごいですね! どうやってるんですか?」

思いついたことを適当に並べてみたが、彼女はやはりこちらを見向きもしなかった。
けれど、戦闘に巻き込んだ僕に少しは思うところでもあったのか、返事だけは返ってきた。

「貴様は漫画も読んだことがないのか?」
「えっ?」
「氷雪系能力者が氷を操れば、氷は空中に浮いているだろう。阿呆が」

返す言葉もなかった。

魔人能力は魔人の認識次第でどんな効果も発揮すると聞いたことがあるが……。
もしかしたら彼女は物凄く、それこそ馬鹿がつくほど生真面目なだけなのかもしれないと僕は思った。
彼女のプロフィールを聞いたときや、離れて戦いを見ていたときとは、ちょっと印象が違った。

彼女のまとう氷の下に、人としての体温を感じられた気がして、また少し親近感を覚えた。


***



○Scene 2/7 『最後にその手を動かすもの』

「チャンプはどうして頑張れるんですか?」

元気がないぞ少年――たしかミスター・チャンプが僕を見つけて言った最初の台詞がこれだった。
ミスター・チャンプと初めて会った日。命懸けの戦いの最中であることをやってきた教師に説明し、
神聖な学び舎をしばらくお借りすると頭を下げていた。

「無論、ファンの応援があるからだぞ」

とんでもなく巨大で、とんでもなくマッチョで、髭もじゃで派手なプロレスラーは当然目立った。
授業そっちのけで校庭まで様子を見に行く悪ガキ達も結構いた。
僕も、その一人だった。とにかく日常というものから逃れたい一心で、身体が動いていた。

「そういうのじゃなくて、もっと参考になりそうな感じの……」

ミスター・チャンプもこのときが『迷宮時計の戦い』の初めての戦いだったそうで、勝手がわからず、
当人としては結構困っていたらしい。
でも、そんな状況なのに、彼は校庭の端に立つ僕を見つけて声をかけてきたのだ。

「ふむ。これはリップサービスではないのだぞ? そうさな――君は授業参観のときに親御さんが来て
 いつもより張り切ったり、体育祭では女の子の前でちょっと頑張ったりなんて経験はないかね?」

ミスター・チャンプが僕に声をかけた理由は、僕が一番元気がなさそうだったから、だったそうだ。
そんな理由で声をかけられても嬉しくないって、元気だったら苦笑して終わりだったかもしれない。
でも、そんな理由でも、僕の世界の中で明らかに特別な人が僕を特別扱いしてくれた事実が――

「えっと……あります……けど」

僕の心を掴んでしまったのだった。

「ならば君も頑張れるぞ。吾輩もそれと同じなのだ。ファンにみっともない姿を見せられないからな。
 だから頑張れるのだ」
「そんなものなんです?」
「そういうものだと吾輩は思うぞ。人間というのはとにかく楽をしたがる生き物でな。
 それが死闘だろうがどんな極限状況だろうが、つい楽をしたくなるものだ。
 最期の一瞬に『楽しよう』と手を抜いたとき! それが諦めにつながり、負けるときだ。
 吾輩はその一瞬にファンの声援を思い出すから手を抜けぬ。だからどんな些細な一瞬も楽できぬ。
 だから、頑張れているのだ」

ミスター・チャンプと初めて会った日。
僕の世界から彼が消えてしまうまで、僕は色々なことを彼に聞いた。
僕の胴回りくらいあるんじゃないかと思う腕の力こぶを見せて、ミスター・チャンプは笑っていた。

「もちろんその一瞬で思い通りに身体を動かすために、日々の特訓と食事は忘れちゃならんぞ!
 心・技・体は皆大切なのだ!」


***



○Scene 6/7 『()がために剣を振る』

持久戦の終わりは、意外なところからやってきた。

『チャンプッ! 斉藤の猛攻を力技でしのいだァーッ! 酸かッ!? 毒かッ!? 大丈夫かッ!?』

斉藤一女の周囲に浮かんでいた氷塊も残り一つになっていた。
映像越しに攻撃の失敗を確認した彼女は舌打ちをしている。

「ふん。やはりただの氷であの装甲は貫けないか」

彼女が僕をモニター役に連れてきたのはチャンプをドゥオーモ広場の噴水近くに誘導するためだった。
彼女の間合い、能力の届く効果範囲を細かく測っていたチャンプを、水場のおかげで射程の伸びた
『氷狼(フェンリル)』で不意打つ。

氷柱となった噴水で押しつぶし、足元を凍らせて身動きを止める。
そしてその隙に彼女が自分の世界から持ってきた氷塊――塩酸と、塩素ガスを出す溶剤と、唐辛子粉、
これらを詰め込んだ氷塊による爆撃で手傷を負わせようという作戦だった。

なるほど、これが目的のために手段を選ばないという彼女の戦法なのかと納得するものだった。

しかしチャンプは氷柱を振り回し、足元の氷を吹き飛ばし、酸もガスも振り払い、唐辛子も平気だった。
彼女が24時間の猶予の間に集められる範囲で用意した小手先の武器は、チャンプの積み重ねた特訓で
鍛え上げられた肉体には通用しなかった。

事前に用意した作戦がすべて失敗して、次に打つ手をどうするか、彼女は思案しているようだった。

互いの精神力を削りあう持久戦が続く中。
僕は彼女の横で、彼女を見ながら、ひとつ気づいていた。

どうも彼女は能力を使うときに観客を巻き込まないよう制御していた。
チャンプのことは以前から知っていたと彼女は言っていたが、観客を人質に取るようなこともしない。
チャンプの視界に入らないよう僕を抱えて移動するときも、最低限、怪我しないように運ばれていた。

危険をおかさず遠距離から搦め手で攻めるわりに、彼女の攻めは常に何か一線以上の綺麗さがあった。

「私の信念は『悪・即・殺』、唯一つだ。チャンプが私の能力を防ぐために教会に火をつけるような
 輩ならこちらも手段は選ばないが、奴は『悪』ではない。『迷宮時計』の被害者だ」

僕がいろいろと質問をしていて、一度だけ彼女の心情を教えてくれたのがこの答えだった。
それで僕は理解した。彼女がその信念を持ち続ける以上、彼女は自分自身が『悪』にはなれないのだ。
身の安全がなんとなく保証された気がして、あのときはほっとしたものだった。

「でも、この教会は石造りですから火をつけても燃えないんじゃ……」
「ものの喩えだ。阿呆が」

それからは、結構気軽に彼女と話をすることができるようになった。
と言っても、僕から10の言葉を投げて、1の返事が返ってくるのを期待するような会話だったけれど。

彼女の世界では、彼女が自分の道具と言ってはばからない女の子のパートナーがいること。
こちらの世界に持ってきた薬品やら何やらは、そのパートナーを働かせて集めてきたこと。
本当にいたんだ、KとHが聞いたらガッツポーズしそうだな、なんてその話を聞いて思ったものだった。

彼女と話をするのは楽しかった。まあ、美人と話をするのがつまらないなんて男は少ないだろうが。
ぶっきらぼうで、無愛想で、でも悪い人ではない彼女には、悪感情は抱かなかった。

『――オウ、チャンプ。オウ、お前は俺様が倒すかんな。アア。負けんなよ。オウ。そんだけだ――』
『――Wooooo!! ボーイ! 私の華麗な鹿島神流式フィギュア・フォー・レッグ・ロックの出番――』
『――以上、ミスター・チャンプへの声援メッセージになります。
 いやあ、ライバル達からも注目されているチャンプのこの一戦。負けられませんね!
 続いては斉藤一女選手への応援メッセージをご紹介しましょう――』

その思いは、場をもたせるために『H.M.P』内で流されてい応援メッセージを聞いた彼女の反応で――

『斉藤一女選手の母校、希望崎学園の生徒会長、ド正義卓也さんからのメッセージです――』

「おい待て、なんでド正義会長が出ているんだ。こっちに映せ」
「えっ、あっ、はい」

僕の中で好意へと変わっていた。だって仕方ないじゃないか。

『斉藤君は生徒会活動も真剣に取り組んでくれる、非常に真面目な良い子だ。僕も頼りにしている。
 何事にも真正面から取り組む一本気(いっぽんぎ)な性格には好感が持てるよ。彼女には是非頑張ってもらいたい』

ゴキリと音がして、首の骨が心配になるくらいの勢いで彼女があさっての方向を向いていた。
音は彼女が加えていたキャンディーを噛み砕いたものだったらしい。
顔に手をあてて、かすかに肩が震えていた。

そして表情を隠していても、こちらから真っ赤に染まった耳ははっきりと見えていた。
こんな反応を見せられて、可愛いと思うなと言うのが無茶ってものだ。

「これはチャンプにも声が伝わるのか? チャンプに持久戦はやめて真っ向勝負をするぞと伝えろ」

その後、彼女が早期決着を提案して、その提案を聞いていたKがチャンプへ言伝(ことづて)に走り、

『吾輩も同じことを考えていたぞ! そろそろ応援メッセージコーナーも終わりだからな!
 よし、ミズ斉藤! 教会の屋上で決着をつけよう! 街を一望できる、決着にふさわしい場所だ!』

画面越しにミスター・チャンプがそれに応えることで、決着の舞台は整えられた。

後で彼女から聞いた話だと、もともと持久戦はリスクを負わないための安全策としてやっていただけで
正面から戦ってもチャンプを倒す自信はあったんだそうだ。
それに冷気を操る能力者である彼女は、自分が冷気の中心にいる以上、体力溢れるタイプの敵とでは
あまり耐久勝負には向かない戦闘スタイルなのだそうだ。だから、遠距離からの攻撃がチャンプには
効かないとわかったこのときとなっては、むしろ接近戦を選ぶのが戦術的必然だったのだそうだ。

だから決闘の提案をしたまでだ、ということだった。けれど、

「耳、赤くなってますよ」

笑いをこらえながら指摘した僕に対して、

「何が可笑しい!!」

初めて感情を乗せた声を放った彼女の顔を見れば、提案を心に決めた原因なんてわかりきっていた。



可愛いついでに、彼女を可愛いと思ったエピソードをもうひとつ。

余談だが、彼女が自分の道具と言っていたパートナーは、こちらの世界に連れてくる気だったらしい。
けれど、こちらの世界に彼女が転送される際、パートナーは一緒に転送されなかったのだそうだ。

口でどれだけ道具だなどと言っていても、『悪』になれない彼女のそういうところの話を聞いて、
僕はいっそう彼女に好意を寄せることになったものだ。笑ったら拳骨を食らったと記憶している。


***



○Epilogue 1/2 『その足を最後まで動かすもの』

「どうしてそんなに頑張り続けられたんですか?」

戦いが終わって何日後か。
僕は聞かずにいられなかったんだと思う。
なぜ、二人はあんな戦いをできるまでに鍛え続けられたのか。

「ふむ。どういう意図の質問かね?」
「だって、誰かのために頑張るとか、何かのために頑張るとか……その時は少しだけ頑張れても、
 その、結局その誰かはいなくなっちゃうかもしれないし、何かはなくなっちゃうかもしれないし、
 無駄になるかもって思ったら……そんなこと考えていたら、何を頑張っても仕方ないんじゃとか」
「なるほど。少年らしい人生の悩みだな。
 つまり君は自分の努力が無為になってしまうかもしれないと、おそれているわけだね」
「そう、ですね」
「そうだなあ。人生は山あり谷ありだ。そういうこともたしかにあるだろう。
 だがな、少年よ。吾輩からはこんな言葉を贈ろう。『探せば、ある』!」
「……なんですか、それ」
「自分の特訓の成果というものは、探せば使い道はあるものだ。吾輩であればプロレスだけでなく、
 こうして『迷宮時計』などと訳のわからない事態に遭っても、吾輩の特訓は役立っているだろう。
 ほれ。それにこの『迷宮時計』にしたってそうだぞ。こいつのせいで吾輩はもう一ヶ月も我が家の
 ベッドで寝れていないが、ところがそのおかげで君というファンと出会うことができたのだ!」

つまるところ、ミスター・チャンプは楽天家だったのだろう。
探せばある、だなんて飾りっけもない言葉選びは彼らしいと思った。

「阿呆が。暇人の考えそうなことだ」

横にいた斉藤一女はそう言っただけだった。
彼女みたいに折れない信念がひとつあれば、こんな悩みとは無縁に生きられるのだろう。

僕には二人のような生き方ができるのだろうか。



僕には二人のような生き方ができたのだろうか。
いつ思い返しても、二人の生き方は羨ましい、まぶしいものだった。


***



○Scene 7/7 『その握られた手に祝福を』

石畳の茶色とレンガの赤色が乱雑な幾何学模様を描いて山すそまで続く街並みが眼下に広がっていた。
教会の屋上は細長い一本道になっており、足場の左右は尖った塔が街路樹のように並んでいる。
左右に逃げ場のないこの場所に、ミスター・チャンプと斉藤一女は向かいあって立っていた。

ミスター・チャンプは竹刀を正眼に構え、斉藤一女は左手で刀を持ち、突きの構えである。

僕は彼女の後ろで、彼女の濡れた学ランを手に持って二人を見守っていた。
成り行きでこの場にまでついてきてしまった僕に、彼女は上着を脱いで持っていろと渡してきた。
さらしで胸を隠すだけの姿になっても彼女は恥ずかしげな様子もなく、身軽になったとだけ言った。

もしかすると、このときの彼女の行動は、戦いに巻き込んだ僕へのお詫びだったのかもしれない。
もちろん、彼女の(しも)がおりたような白い素肌をさらしたことではない。
彼女が上着と一緒に、僕に懐中時計を渡したことだ。

時計を受け取った瞬間、僕のまわりの世界がスローモーションになった。
彼女の懐中時計は、所持者の感覚をとてつもなく鋭敏にする力をもっていたのだそうだ。
それを、僕に手渡す瞬間、発動させたらしい。彼女だけでなく僕もその効果を受けたのだ。

おかげで、僕は自分の目で決着の瞬間を見届けることができた。

きっと、実際にはほんの数秒間か、もっと短い時間だったのだろうけれど。
僕はこの瞬間を、一生忘れないだろう。
それは僕の人生に光を見せてくれた二人の恩人の、本気のぶつかりあいだった。



「行くぞ!」
「エイィィィィィィ!!!」



仕掛けたのは彼女の方だった。
突きの構えのまま、猛然とチャンプに向かっての吶喊(とっかん)
チャンプは構えを崩さず、彼女を見据えていた。

彼女は刀に氷をまとわせ、リーチを伸ばしている。チャンプの竹刀が届く距離よりも半歩長い。
筋肉量に圧倒的な差のある二人では瞬発力にも差が生まれる。剣の振りはチャンプの方が速いだろう。
けれどこの逃げ場のない状況。正面からのぶつかりあいならば、リーチの長い彼女が先に届く。

猛スピードで彼女の突きがチャンプに迫る。
同時に、チャンプの背後から首筋めがけてボウガンの矢が放たれた。
彼女が自分の世界から持ち込んだ最後の武器。氷塊に固定して浮かべ、引き金の凍結を解除したのだ。

チャンプの肩の筋肉が盛り上がり、ボウガンの(やじり)を受け止めた。チャンプは振り返らなかった。
ボウガンの矢には唐辛子ペーストが塗られていたそうだ。だがチャンプはひるみもしなかった。
彼女の刀の間合いに入る直前、チャンプの目の表面が凍った。彼女の目潰しだ。だが彼は構え続けた。

彼女の腕がチャンプに向かって伸ばされる。まだ間合いのわずかに外のタイミングだった。
チャンプの腕が振るわれた。相手の身体はまだ竹刀の間合いよりも外のタイミングだった。

彼女の左片手一本突きが繰り出される中で、彼女の剣先の氷が伸びた。
チャンプはそれを読んでいた。それは戦闘経験か。竹刀は彼女の刀をかちあげていた。

チャンプの左手に握られた竹刀が、彼女の突進力を乗せた剣戟を空へはじき返した。
そしてチャンプの右手は腰だめに、すでに握られていた。拳は彼女の顔面へ向かって突き上げられた。

チャンプがどれだけ攻め込まれても拳を止めなかった理由を、三ヶ月前に彼の口から聞いていた。
どんな些細な一瞬も楽をしない。ファンに格好良い姿を見せるという彼の思いは本物だった。
あのときチャンプからその心の持ちようを聞いていたから、僕にはすぐに理解できた。

斉藤一女が止まらなかった理由が。

彼女は高速化した感覚でもってチャンプの剣の軌道を理解し、とっさに刀を手放していた。
経験と筋力の差を高速化した感覚で補っていた。
さらに自分の足と教会の屋根とを凍結させ、突進を急停止させていた。

チャンプの右アッパーが彼女の顔面すれすれで空を切る。
そのとき彼女は静止した状態から、全身のバネを使って左片手一本突きを己の拳で放っていた。

チャンプも竹刀を空中に置いたまま左拳を繰り出していた。
初動はわずかにチャンプの方が遅い。

拳に氷をまとわせリーチを補った彼女の突きがチャンプの顔面に叩き込まれた。
チャンプの顔がのけぞり、腰が浮く。

彼女もまた、チャンプと同じだった。
あの応援メッセージを聞いたときの反応を見れば、出会ったばかりの僕でもわかった。
彼女もまた、最後の最後まで手を動かせる想いを胸に抱いていたのだ。

だから、彼女は刀を失っても止まらなかった。最後まで止まらなかった。もちろんチャンプもだ。

チャンプの左拳は、持ち主がのけぞった体勢のままでも、それでも止まることはなかった。
狙い過たず彼女の顔面をとらえていた。

実際には二人の拳が互いの顔面に到達したのはほとんど同時のことで、
両者の拳の威力は相殺されあっていた。だからお互いの頭部は形を保ったまま、
その衝撃は頸部を伝わってお互いの胴体をそれぞれの後方へ吹き飛ばし、つまるところ――



『ダブルノックダウーーーンッッッ!!!』



その瞬間、教会の広場に集まった群集は大歓声をあげていた。
僕もまた、「ああ」とも「おお」ともつかない声をあげて叫んでいた。

――あのときほど強く拳を握り締めた経験はなかった。


***



○Epilogue 2/2 『これまでのエピローグとこれからのプロローグ』

僕の人生で最高に熱く興奮した一瞬をくれた戦いが終わって四日。現代に帰るまで残り三日。
あのときの興奮はまだ冷めず、僕に何かをしろ、何かをしなければならないとせっついてくる。
もしも今いじめられている同級生を見たなら、思わず静止の声をかけていただろうと思える。

けれど、どうしてそんな熱い気持ちになっているときに限って人生はハードルを上げてくるのだろう。
今、KとHは殴られて気を失い、馬車の荷台に転がされている。僕は震えて男達を見上げるばかりだ。
僕達は盗賊につかまり、街から外れた野山に運ばれていた。

Kがお礼に料理をふるまいつつ、一週間で出ていくからと適当な人の家に上がり込んだのが四日前。
その料理が美味しいと評判になって、頻繁に訪れる客にKは料理を提供し続けることになっていた。
それが街で話題になったせいか、それともやっぱり僕達の外見が目立っていたからか。

街を歩いていた僕達に突然襲い掛かってきた盗賊達にはKもHもかなわなかった。
抵抗もできず震えていた僕はむしろ怪我もせず、縄で縛られて馬車の荷台に放り込まれていた。
盗賊の目的がなんなのか、Hが気を失っていて彼らの会話が聞き取れないため何もわからなかった。

馬車が止まり、岩だらけの荒野に僕は下ろされた。空には厚い雲が垂れ込め、泣き出しそうだ。
縄で身動きの取れない僕に、盗賊の一人が荒い口調で何事かを喋ってくる。
別の盗賊が剣を持ち出してKの首筋に刃を当てた。

「やめて! やめてください!」

訳もわからず、僕は叫んでいた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。何が良くなかったのだろう。
僕はここで死ぬのだろうか。せっかく人生で何かを得た気がしたのに。

僕がチャンプのように強ければ良かったのに。僕が彼女のように強ければ。
僕が魔人だったら。世の中はもう少し違っていたかもしれないのに――。



僕の目尻からこぼれた涙が地面に届く前に、盗賊達の首が地面の上に転がっていた。

「泣くな阿呆が」

何が起きたのかさっぱりわからなかった。ただ、目の前に斉藤一女がいて、僕を見下ろしていた。



「手足の一、二本で済まなかったのかね」
「私は『悪・即・殺』を遂行しただけだ」
「ふむ。まあ少年達の無事がなによりだ」

僕と、息を吹き返したKとHは、チャンプと彼女に礼を述べて頭を下げていた。

彼女が僕達を助けたのは偶然だったらしい。
彼女がチャンプと待ちあわせをしていた場所へやってきたのが盗賊達の運の尽きだった。
人の来ない場所を選んだ結果がここだったのだとか。

空の雲は色が黒くなり、岩だらけの荒野を吹き抜ける風も湿った匂いがする。
まさに無人の荒野という言葉が似合う場所であった。
こんな場所を選んで、彼女とチャンプがなぜ待ちあわせをしていたのか。

それが――僕のこれからを決定付けた理由。

「えっ!? また二人で戦うんですか!? あんな凄いやつをやったのに!?」
「私もチャンプもまだ生きている。まだ終わっていない。今度こそ決着をつけるだけだ」
「ミズ斉藤の最後の一撃は重かった。吾輩のファンへの念と同じ力があった。受けねばなるまい」

もう一度、戦うためだった。

「でも、えっと、そう! 怪我は大丈夫なんですか!?」
「阿呆が。三日も寝ていれば治る。……その日の内に平気で歩けるそいつみたいなのもいるがな」
「吾輩は頑丈さが取り柄だからな! ミズ斉藤も守りを意識した特訓をしてはどうかね」

このときは本当にチャンプも、彼女も、どうかしていると思った。
この人達は、あんな死闘をしておいて、もう二度と拝めないだろうってくらいの死闘をしておいて、
なぜまだ戦えるのだろうかと。

でも、考えてみれば当たり前だった。
『迷宮時計』の所有権は、持ち主が死ねば最初に触った者に移動する。
つまり、二人が同じこの世界にいる以上、二人が残り続けている間は、いつだって――

「では、『迷宮時計の戦い』第二ラウンドといこうか」
「ふん。雨の日の私を前回と同じと思うな」
「なに、吾輩も松明をこの通り用意してきたからな。この火があれば少々の雨なら問題なかろう」
「そんなもので私の氷が凌げるとでも思っているのか」
「吾輩が凍りつくまでにきちんとそこにおわしますミズ斉藤を折り畳んでご覧にいれよう」
「阿呆が」
「君達は巻き添えにならないよう、あの岩の下まで離れていたまえ。
 戦いの様子は吾輩の能力でお届けしよう! 君達が離れたらすぐに発動するからな!」

二人だけの戦場から退避する前、僕は我慢できずに笑い出してしまった。
腹を抱えてくつくつと肩を震わせる僕を見て、チャンプも彼女も、KとHも怪訝そうな顔をしていた。
僕がチャンプみたいな性格だったなら、大口を開けて豪快に大笑いしていただろう。

でも、仕方ないじゃないか。大真面目に、一生に一度しか見られない大一番だと思っていた戦いが、
一週間も経たないうちにまた見られることになるなんて。四日前の戦いを神聖視すらしていた自分が、
ひどく滑稽で仕方なかったのだから。

僕は難しく考え過ぎていた。そうだ。世の中はいつだってそんな感じだったじゃないか。
あの子がいなくなっても、チャンプが現れて、そして彼女が。

「少年よ。良い顔で笑うようになったな」

ごめんなさいなんでもないですと手振りで示し、笑い終えた僕にチャンプが言ってくれた。

「喩えるならば――三ヶ月前の少年は恋に破れた男の顔をしていた。
 だが今は、新たな恋を見つけた男の顔をしているぞ! 元気が出たようでなによりだ!」

反応して思わず彼女の方を見てしまった。彼女は怪訝そうな顔のまま片眉を吊り上げただけだった。
チャンプを見返してみれば、すごく良い笑顔でサムズアップを僕に返してきた。
この人にはかなわないと、僕は苦笑するしかなかった。



それから。
遠目に見ても驚く大きさの氷の華が咲き乱れたり――
()(きめ)(しめ)(なげ)(ざん)(しゃ)(ばく)(かつ)、観客が近くにいないとき限定の鹿島神流の妙技(みょうぎ)が出たり――

僕達の持ってきた『ときわたりの石』が逃げた盗賊に持ち去られていたことに気づいたり――
『ときわたりの石』を取り戻すためにミスター・チャンプと斉藤一女が助力をしてくれたり――

怒涛の一日が流れて――僕は掴んだ熱を逃がすまいと、一日中、拳を硬く握り締め続けていた。



――あのときの僕がいたから――今の私がいる。


***



○『エンドロールに喝采を』

今日は懐かしい夢を見た。あの日々の夢だ。
時間の流れもバラバラで、ところどころおぼろげで曖昧だけれど、私の人生で一番の激動の日々。
もういないKとHの顔をひさしぶりに拝むことができた。

風もなくて、日差しも少し優しい小春日和の今日。
縁側を歩いていると、日向では足の裏から温もりが、日陰ではひやりとした冷気が伝わってくる。
高台にある庭先は、つるりとした高層ビル群や、そこに絡まる道路群が遠く一望できる立地だ。

あれから干支が何周もしただろうか。
もういくつ寝ると世紀末だなんて浮かれきっている世間。
そんな世間から少し距離を置くように、都心からわずかに離れたここは私にお似合いの場所だ。

――私は結局、魔人にはなれなかった。きっとこれからも魔人になることはないだろう。

あの、私の胸に焼けつく熱をもたらした日々が過ぎて、それから私は日常に戻った。
あれからの私は結局、魔人になることも、『その時』を得ることもなく、平凡な毎日を送った。
無難に高校を卒業し、一浪してそこそこの大学に入り、映画監督でもなんでもない社会人になった。

私は結局、斉藤一女と何か関係を進展させることもなかった。できなかったと言うべきか。
希望崎に行ってしまった女の子と会うこともなかった。
四十になったころ、少子化対策と銘打って国が力を入れだしたお見合い制度で結婚をした。

あれからの日々は、あの日々の以前と代わり映えもしないものだったと思う。私も、世の中も。
ただ、首相に魔人が選出されるというニュースを聞いたときは、少し世間も動いていると実感した。
未だ裏では差別問題が横行しているが、それが問題だという一般認識が浸透したのは、変化だろう。

思うように動かない足でなんとか縁側を渡り、私のささやかな自慢のホームシアターに到着した。
部屋の壁は一面のスクリーン。部屋の中央には高校時代から使っている8mmフィルムの映写機。
部品を扱う会社が昨年とうとう全撤退し、もう修理もかなわない、今や私とそっくりの骨董品だ。

おぼつかない指先でもたもたとフィルムを映写機にセットする。
慣れきったこの作業でさえ、近ごろはこなすのに時間がかかる。
準備を終え、映写開始のスイッチを押し、横にあるソファにゆっくりと身を沈めた。

カラカラとまわるフィルムの音を聞きながら、空咳を一度、二度と繰り返す。
これでようやく、またあの日々の記憶に浸ることができる。
明かりを落とした部屋の中。映写機の明かりで白く光る壁を見つめると、それだけで目頭が熱くなる。


 ――さあッ! いよいよこれから開始されるは魔人同士の真剣勝負ッ!

ノイズ混じりにスピーカーから流れる実況の声と重なって、あの日の街の雑踏が思い浮かぶ。
それと同時に、胸の奥からあの日に焼きついた熱が蘇り、全身を巡って肌を粟立(あわだ)たせる。

あの日、私が得たこの熱は、消えることなく今も私の胸に宿っている。
それは平凡な日々を送る中で捨て去ることも、忘れることも、消化することもできはしなかった。
ただ、ただ、胸の奥の大事な場所に、変わることもなく置かれ続けている。

首筋に彼女の冷たい手が触れた感触は今でもはっきりと思い出せる。
私には持ち得なかった、ミスター・チャンプの実力や恵まれた肉体には今でも羨望を覚える。
この気持ちが、大人になったなどといって消化できるはずもなかった。

それは平凡な日々を送る私の、大人になっていく私の胸の中で、そこだけは時の流れから切り離され
ずっと子供のときのまま、私の心を焼き続けている。

――だから、私はこの歳になっても、心の中に子供のときのままの気持ちを抱いていられた。

あの日、私が得たこの熱は、私を特別な存在にすることも、私に波乱の人生を届けることもなかった。
けれど、人生には拳に汗を握り締める出来事があることと、それは一度きりのものではなく、何度も
巡ってくるものなのだろうという楽観を私に与えてくれた。

背中を追い立てられるような気持ちと、いつまでものんびりしていても良いような気持ち。
この二つを私に与えてくれる胸の内の熱が、私をここまで運んでくれたのだ。

いつの間にか、視界がぼやけてスクリーンが見えなくなっていた。
スピーカーから流れる声も、どこか遠くから聞こえてくる気がする。
しかし、何か昔を懐かしむたびに繰り返し観てきたフィルムの内容は目を閉じていても分かる。

そうだ。もうすぐ試合の決着シーンだ。
あの日、そうしたように、今もまた右手を握り、拳をつくる。
しわだらけで節くれだって、カサカサに乾いた拳の内側が、熱を帯びて汗がにじむ気がする。

あの日のように大声で叫ぶことはもうできないが、喉を鳴らし、口の中で小さく呟く。
私に楽しい人生をくれた斉藤一女とミスター・チャンプに、ありがとうと前置きをして。
一言、二言、三言――あの日と同じ単語を言い終え、体重を背もたれに預け、長く息を吐いた。

きっと今日も良い一日だ。



――――――



めまぐるしく映像の移り変わるスクリーンの正面。
ソファに身を沈め、反射する光に照らされて顔のしわに深く陰影をつける男がいた。
男は目を閉じていた。握りこぶしを膝に乗せ、スピーカーの声に耳をすましているのかどうか。

ただ、しわだらけの男の顔は、穏やかに笑っているようだった。

不意に部屋の空気が大きく震える。
映写機のスピーカーから実況の絶叫が響き、会場の歓声が轟く。
どうやらフィルムのクライマックス、試合の決着が訪れたらしい。

これが最後の仕事になるであろう映写機が、華麗な最期を飾ろうと、かすれた声を張り上げていた。




 ダブルノックダウーーーンッッッ!!!


 これはッ! ミスター・チャンプッ! 斉藤一女ッ! 両者同時に倒れたッ!
 これはまさかッ! 相打ちかッ!? この試合は引き分けで決着となるのかッ!?


 アアッ!! いやッ!! 今ッ!! 立ち上がろうとする者がいるッ!!


 今ッ!! その身を起こし立ち上がったのはッ!! ――我らがミスター・チャンプだッ!!


 立ったッ! 立ちましたッ! チャンプッ!
 ふらついているッ! 大丈夫かッ!? 大丈夫だッ! ミスター・チャンプは大丈夫だッ!
 そして今ッ! チャンプの手にヴィクトリーマイクが握られたッ!
 決着ッ! 決着ですッ! ミスター・チャンプ VS 斉藤一女ッ!
 熾烈な戦いを制し『迷宮時計』をその手に収めたのは――勝者ッ! ミスター・チャンプッ!
 皆さんッ! この死闘を勝ち抜いたミスター・チャンプに惜しみない拍手をッ!
 そして華々しくこの戦いを飾ってくれた斉藤一女にも惜しみない拍手をッ!


 アアッとォ! ここでチャンプがマイクを天にッ! 耳に手をあて我々の声を求めているッ!
 そうですッ! チャンプは知っているッ! 彼の強さはファンの声援あってこそだとッ!
 彼を立たせたのは異世界だろうが叫び続けるファンの熱烈な応援の力だとッ!
 チャンプは言っているッ! だからこの勝利はチャンプとファン、我々全員の勝利なのだとッ!
 叫びましょうッ! チャンプと共にッ!
 我々は勝ったとッ! 我々こそがチャンピオンだとッ!


 さあッッッ!!! 皆さんご一緒にッッッ!!!


 ウィー! アー!! チャンプ!!!