第四部隊その1


午前零時三十二分。希望崎学園生徒会室。
『会長、園芸部関連施設、どれも爆破された後のようです……』
「爆破……

 会長・須能=ジョン=雪成は斥候に出した役員からの報告に独り、眉間の皺を深くした。
 今や魚沼産コシヒカリの使徒と化した魔人・道明寺羅門が属していた園芸部。その部室ならば何か彼の弱点になり得るもの――例えば強力な除草剤など――が眠っているやも知れぬ、との期待を込めて探しに行かせたのだが、今の報告はその期待が打ち砕かれたことを意味していた。
『隣の部室まで吹き飛んでいて、部員らしき死体も転がってます。道明寺の仕業なんでしょうが、滅茶苦茶ですね……』
「目ぼしいものは見当たらないということか?」
『……探してますが、爆発の中、無事な物も殆ど無くて、知識の無い僕では限界が……』
「そうか……わかった。しかし探索は全力で続けてくれ」
 そう言って、雪成は役員との通信を切る。
 「足止め」に出した戦闘力の高い魔人役員に少し前、ここを発った「緑化防止委員」の面々。道明寺を阻む戦士達に支援できる物資(もの)が現状では無いと理解すると、雪成は苦々しく足下を見た。
 この遥か下。堅牢なシェルター内に引き篭もっている教師ら。彼らが自分達の立場のためにEFB兵器のトリガーを引くのは討伐の報告が無いまま夜明けを迎えるか、或いはそれ以前に、決死隊が全滅した時。
「……

 カーテンを開ければ、窓からは紅い月の下がる夜空を覗けた。
 この月天の下、戦う者達。世界では無く、希望崎学園の運命はまさに彼らに委ねられている。
「会沢、ファタ、津神」
 月を仰ぎ、三人の名を呼ぶ。ちょうど鴉と思しき複数の鳥影が、断末魔にも似た嘶きを発しながらその月を横切って行くところだった。


 芸術校舎脇。
 夜風が吹くと、一面に実った稲穂の海がゆらりと波打つように揺れる。
 美しい光景と言えるかも知れない。それらの稲が地面に転がる死体から生えたものと知らなければ。
 稲畑の中に人影が四つ立っていた。
「なんてこった……

 四人の一人、ファタ=モルガーナはそう漏らした。
 悪魔の穀物・魚沼産コシヒカリ。今足下を覆うのがそれだ。
転がっている死体はどれもそのコシヒカリの子苗を植え付けられ、尖兵とされた者達だった。戦力としては物の数では無かったが、しかし大ダメージを負い、活動停止したその(むくろ)からはコシヒカリが恐ろしい速さで生え出し、このような光景を成したのだ。
「お前達は、どうなりたい?」
 眼前の男が低い声で尋ねる。麦わら帽子、首に巻いた手ぬぐい。如何にも田植えが似合いそうな風体だった。事実、この死体達にコシヒカリを植えたのはこの男。
 園芸部部長・道明寺羅門。
「一度、我らが兵となってみるか、それともそのままコシヒカリの苗床となるか。
 或いは同じ兵でも、この娘のようになるか」
 道明寺は傍らの少女を指してそう言う。木刀を手にした少女だ。人としての名は鬼無瀬晴観。風紀委員として『開かずの闇花壇』に立ち入る道明寺に随伴した一人。つまりは道明寺の最初の犠牲者。
「鬼無瀬ちゃん……

 ファタの隣、津神董花が弱々しく名を呼んだ。ファタは事情を知らないが、二人は友人同士であった。董花は晴観が道明寺に殺されたと知り、道明寺を討たんと参戦したのだ。しかし今、晴観は道明寺の傀儡と化し、こうして剣を向けている。
 晴観が名を呼ばれたことへの反応を見せず、手にした木刀を大上段に構えた。生前と変わらぬその姿は、彼女の剣名を知らないファタにも尋常ならざる威力の程を予感させる。
 数瞬の沈黙。二人の背中を冷たい汗が伝った直後――。
 渾身の力を以って、晴観が木刀を振り下ろした。
「くっ」
「っ!?」
 董花がファタを横に突き飛ばし、その反動で自身も逆に跳ぶ。
 直後、二人が立っていた地面が轟音と共に爆ぜる。舗装に土砂、死体の肉片、コシヒカリが飛沫の如くに舞い散った。
 直接打った地面には凹み一つ無い。物体を伝播して威力が届く遠当ての剣、鬼無瀬時限流“徹這(てつはう)”。回避が遅れれば二人共下肢をもがれていただろう。
「サンキュー、津神ちゃ……

 助かった、と言おうと見やった先、董花に晴観が迫っていた。
 今度は木刀を背に隠すよう持っているが、対する董花は呆けたように立ち尽くしている。
(何やって……!)
 晴観が袈裟懸けの斬撃を見舞う。
 鬼無瀬時限流“斬射飛(ぎりしゃび)”!
 董花を両断し、剣圧で遥か後ろの校舎も深く抉る。
 が。
「は、あっ……

 実際、董花に剣は当たっていない。晴観の一撃はずれた方向へと繰り出され、虚空を斬るだけに終わった。
「幻術、か?」
「津神っ!! 剣を抑えろ馬鹿!!」
 道明寺の評の直後、インカムも無視したファタの罵声に董花はハッとする。
 空振った木刀を晴観が逆袈裟に斬り上げる。
「りゃっ!」
 剣撃が胴を捉える前にサイバネアームで防御。鬼無瀬の剛剣とはいえサイバネ相手に硬度と圧し合いでは分が悪い。高速回転する手首に触れ、木肌は耳障りな音を立てて削り取られる。
『遮莫刃戮』(サーモバリック)が来るか?)
 零距離で放つ晴観の魔人能力を知る董花は腕を離そうとする、が。
(あっ……)
 それより前、晴観の背後に迫り、棍を振り上げるファタの姿に目を奪われていた。
「やめっ」
 思わず制止していたが、ファタが聞くはずも無い。
「だあらっ!!」
 晴観が気づいて振り返るより先に、棍の一撃が頭頂部にヒットした。
 頭蓋が音を立てて砕け、内部でゲル状の何かが潰れる感触が手から伝わる。
(殺った……)
 コシヒカリに寄生されたとはいえ、一文字剛直の頑強さには及ぶべくも無い。
 しかし更に念を入れ、顔面、側頭、首と棍で三度殴打を加える。
「あっ……あっ」
 呆けた董花が見下ろすなか、晴観は木刀を落とし、激しく痙攣する。
 ひしゃげた耳や鼻孔からは緑色の茎のようなものが這い出していた。
「鬼無瀬……ちゃん……」
 パンッ!
 名を呼んだ直後、ファタの平手が董花の頬を打つ。
「あっ」
「……友達なのか知らんが、まだそこにいるだろう、敵が、仇が」
 指した先には、一連の戦いをただ見ていた道明寺羅門の姿があった。二人の視線を浴び、その口元に微かな笑みを浮かべる。
(二人がかりで来ない……舐めやがって……)
 漸く、道明寺は動きを見せた。それでもゆるりと、道明寺は歩きで間合いを詰める。
「道明寺……よくも鬼無瀬ちゃんを」
 董花が呟く。ファタにもわざとらしい台詞に思われたが、指摘は当然しなかった。
「死ね……死ねっ!」
 董花が仕込み鏢を一斉に放つ。『クイックスロー』で加速した鏢は全てが、道明寺の(人体で言えば)急所へと突き刺さった。
「これが何だ? 虫食いの方がよほど痛いぞ」
 眉間に刺さっても平然と迫る。
 更に、足下に転がる死体の肉片を次々と投げた。命中する度道明寺は血肉に塗れるが、やはり何一つダメージになってはいなかった。
「なら……

 董花は腰から下げた火炎瓶に手をかける。生徒会室の物資から預かってきた武器だ。コシヒカリといえど植物。火をつけられて生きてはいられまい、とのことで持ってきたのだが、道明寺の方はそれを見て臆した様子は見られない。
「まあ、待てって」
 黙っていたファタが前に出、董花の前に立ち塞がった。
「火炎瓶なんかより先に、俺のとっておきを見てもらうぜ」
「ファタ君?」
 董花が驚き、道明寺も不可解さに眉を顰める中、ファタは棍を捨て、構えを取った。
 両掌を合わせ、開いて指を軽く曲げる。龍の口を象るかのようだった。
「なんだ、それは……

 道明寺が問う。奇妙なポーズに対してでは無い。ファタの構えた手の周囲が歪んで映る、その現象についてだ。
「俺の真の能力……超重力空間を弾にして放つ。幻覚は余りの重力に光が歪んで起こる副作用さ。一度撃つと三日は動けなくなるんだが、そんなこと言ってる場合じゃ無さそうだ」
董花はハッタリにしてもそれは無いのではと思うが、しかし事実、道明寺の注意を惹きつけることには成功していた。
「さあ、受けてみろ道明寺! 俺の――

 「溜め」を終えると、掌を大きく突き出し、叫ぶ。
重力掌弾(グラビティパーム)!!!」
爽やかな風が吹き、地面や道明寺の稲穂を揺らす。それだけだった。
「なんだ、これは――うっ!?」
 怒りの篭った道明寺の言葉が、突如呻き声へと変わった。
 同時にファタは董花ごと背中で押すようにバックステップで後退しつつ、叫ぶ!
「投げろ! 津神!」

董花は腰の火炎瓶を外すとサイバネアーム同士を擦り合わせ、火花で栓をする布に着火。頭上を越して弧を描くよう投げる。
瞬時に着弾、引火……爆発!
「よっしゃ

「なっ!?

 本来の威力を遥かに越えた巨大な爆炎があがり、道明寺の全身を包み込む。
 二人も熱風に吹き飛ばされ、稲穂の海に倒れ込みながらも爆炎から、その内でもがく黒い影から目を離そうとしない。
「何なんだ、さっきの?」
「酸素」
 董花の疑問に、ファタは極めて簡潔に答える。
 ファタは大気中の酸素のみを圧縮し、極めて高密度な酸素弾を生成していた。その状態で能力を解除したことで解き放たれた酸素は周囲の大気を押しのけて一気に拡散し、道明寺の周囲は異常に酸素濃度の高い空間となる。
 酸素濃度の高い空気を吸入したことで道明寺は酸素中毒を起こし、そこに投げ込んだ火炎瓶は爆発的な燃焼でその体を包み込む。
「読んでて良かったジョジョ6部」
 満足気なファタと何が何だかという様子の董花の眼前で、道明寺はますます激しく燃え上がり、そしてついに地面に倒れて動かなくなった。
 董花が「風切羽」で火を吹き消すと、道明寺は黒い人型の塊となっていた。頭部に瓦礫を叩きつけるとあっさりと崩れ、苗の絡みついた脳が溢れる。
「やった……のか?」
「多分、多分な」
 不安げな董花の問いに不安げに答えると、数瞬あって董花は「うっうっ」と嗚咽を始める。
「津神ちゃん……

「見ないで……

 感無量、という涙では無いのはファタにもわかっていた。
 友の仇を取る決意を固めていたのに、操られた友を前にした自分が、あまりに無様だったのだろう。許せなかったのだろう、と。
 自分も手を上げた手前、適当な慰めの言葉をかける気にもなれず、視線を逸らす。その先には、道明寺の死体。
(死んでいる……間違いなく死んでるはずだ。中の苗も半分焦げてる)
 そう自分に言い聞かせるも、不安は拭えなかった。
(奴はおかしかった。鬼無瀬と二人がかりなら俺達に勝てていたはずだ。
 本当に舐めてて勝機を逃したのか……?)

 あまりに不自然なのも事実だが、しかし道明寺は死んでいるという、更に厳然たる事実がある。
(気にし過ぎか……)
「鬼無瀬ちゃんっ!」
 唐突に董花が声をあげ、駆け寄った先は鬼無瀬晴観の死体があった。ファタもつられて目をやれば、晴観は何と動いていた。手足を使ってズルズルと這うようにしている。
 頭部が原型を留めない程殴られながらまだ息が、否、コシヒカリに操られる余地がある。
 近くで見ればその様はあまりに悍ましい。
「殺さなきゃ、いけないんだよね」
「ああ……いや、待て」
 同意しかけて慌てて否定する。ファタが疑問を覚えたのは晴観の動きだった。
 子苗を植え付けられた生物は本体である親苗を守るよう行動する。雪成はそう語っていた。
 晴観に寄生していたのは他の小苗と異なるようだが、それでも行動原理は同じだろう。
 ならば道明寺の親苗も死んだ今、こいつは何のために動いているのか。こいつが這って行く先に、一体何があるというのか――。
「まさか……

 道明寺と晴観、この二体への疑問が、ファタの脳内で実を結ぼうとしていた。


 鬱蒼とした死のは夜にあってはいっそう暗く、光など無いに等しい。
「やられたか、あちらは」
 森の開けた位置、月光が差し込む場所にあって、道明寺はそのように言った。
 自分の「分苗」を植えた者達。子苗と異なり、魔人能力や身体的技能を残したままで尖兵とした者達が、たった今死んだことが道明寺にはハッキリとわかった。
「まあ、いい。十分だ。十分に引きつけた――

 鬼無瀬晴観と、自分に似せた男。彼らの役割は即ち囮であった。
 道明寺羅門は希望崎大橋を通って本土に渡り、そこでパンデミックを起こそうとしている。そう誤解を与え、道明寺羅門として倒され、果てる。
 その間に自分はこちらで悠々、真の計画を遂行しよう。
「おお、来たな」
 頭上に響く複数の羽音と嘶き、淡い月光に際立つ黒い影が、その時の到来を示していた。
 その鳥は渡り鳥であり、ある時は太陽の化身と謳われ、ある時は狡猾な道化として描かれる。
大洪水後の世界では外界の様子を探るため、ノアによって方舟から放たれている。
 その鳥の名はワタリガラス。
 今宵、世界に破滅をばら撒く魔鳥である。
「ご苦労だったな、『藤崎』」
 傍らの人物にそう声をかけた。
 野鳥研究会の観測手にして、渡り鳥を呼ぶ魔人能力『留まり樹』の持ち主。
 道明寺が野鳥研究会を襲った理由の一つが、その能力に目をつけたからであった。
 魚沼産コシヒカリは海を超えられない。それは事実だ。ならばたとえ本土に渡り、能力を発動してもパンデミックで覆える範囲は本州が限界となる。
 だから海を超え、渡らねばならない。ユーラシア大陸を始めとする世界五大陸へ。そのためには無論、空。
繁殖のため空を飛ぶなど、植物界では常識。利用されるのは風に、昆虫、そして、鳥。
「さあ、来い鴉達。お前達も『我ら』となり、広い世界へ羽撃こう」
 赤い面貌の如き跡が残る道明寺に背中、そこから無数の稲が飛び出し、絡み合い、一対の翼を形成した。
 藤崎が上空の鴉達を呼び寄せようと手招きする。が、
「……?」
 降りて来ない。滞空する鴉の一羽が、降りていこうとする群れの仲間達を妨害している。
「なんだ、あの鴉は? 何故お前の能力が通じない」
 問われた藤崎もわからない様子だった。
 しかし、その一羽を間近で見れば、異様さがわかるだろう。
 確かに鴉に違いないが、黒い羽は水平に伸ばされ、さらに両翼、そして嘴の先に回転翼が付属している。間違いなく、そんな鳥類は存在しない。
「何なのだ、アレは――

 銃声。
 音が届くより三倍早く、遥か後方から放たれたマグナム弾が、道明寺の首の付根に命中した。道明寺は小さく呻き声を発するとよろめき、どうとその場に崩れる。
 藤崎が銃声の方を振り向くと茂みの中から小男が一人、月光の下へと現れた。
「お前は知っているだろう、藤崎。俺の能力を」
 『人猟機械隊』――動物の死骸から無人支援機(ドローン)を組み上げる魔人能力である。即ち今、鴉の群れの降下を邪魔していたのも鴉の無人支援機(ドローン)
 この季節の希望崎に鴉が飛来する。そのことと、藤崎の能力。その符号が会沢をこの場所へと導いた。
 冷えた声、しかし他者へのそれに比べるとわずかばかりの温度を感じさせる会沢の問いかけに、藤崎は何の反応も示さない。
「ああ、そうか――

 わかっていたことだが、会沢の声には沈痛な響きがあった。この友もまたコシヒカリの奴隷なのだと。
「せめて、綺麗に死んでくれ」
 蘇生の可否に関わらず。祈りを込めた銃口を向けた、直後
「ぐっ……!」
 撃ち抜かれたのは藤崎でなく、会沢の肩口だった。
 後ろに崩れ、膝を着くと、対するように臥していた男が立ち上がる。
「どうだ、自分の銃弾は?」
「貴様……っ」
 会沢は怒りと驚きの眼差しを道明寺へと向ける。
「何故……?」
「それは、脳幹を撃って死んでいないということか? それとも、弾に仕込んだ何かが効いていないということか?」
「……っ」
 全て見透かされていたことに愕然とする。
「それは我らが最強種だからだ。細胞壁は何より固く、しかし組織は何より靭やかに。
 着弾の瞬間に表皮で捉えるなど造作も無い。
 尤も、例え体内に農薬の原液を撃ち込まれようと我らは死ぬわけは無いが

「…………化物め」
 素直な感想を漏らした。
 「臆病は狙撃手の才能」――名だたるスナイパー達の金言に従い、猛禽などには手を出さずに来た自分が、欲をかいて大物を狙ったらこの有り様だ。
(何が『マスター』だ。全く、藤崎に笑われ……笑われ……)
 視線を移す。道明寺から、藤崎へ。表情の消えた、冷たい顔。
「……笑えない、だろう」
「ほう?」
 立ち上がる。膂力に乏しい会沢が深手を負いながら、左腕でライフルを持った。だが
「無駄だ」
 今度は引き金を引く前に、腕ごと肩口から吹き飛ばされていた。
 直後、上空の無人支援機(ドローン)もまた貫かれ、地に落ちる。
「……っ」
血が噴き出す。右肩に銃槍。左腕を喪失。何も出来ない体になった。
「もはやヒトの尖兵はいらないが、藤崎、お前が送ってやれ」
 命じられた藤崎は頷き、会沢へと歩を進める。
(藤崎に、殺される……か)
 諦念の中で、迫り来る友をぼんやりと見つめる。拳を握り、振りかぶって動かない自分へ――吹き飛んだ。目に見えない力で横殴りにされ、藤崎の体は地面へと転がった。
 会沢も道明寺もハッとして見れば、そこにあるのは二つの人影。
 津神董花にファタ=モルガーナ。
「……お前達、ここがわかったのか

 安堵の暇など無く、道明寺は少女に掌を向ける。
 直後、その手首が瞬間的に膨張し、そして白い奔流が噴き出した。
「いっ!?」
 掌から放たれた無数の米による洗礼。白い弾雨(ライスシャワー)はそこにあった森の樹々も、土も岩も穿ち、削り取ってゆく。
「危ねぇ……またファタ君に救われた」
 見えていた位置より少し離れた場所で、津神董花は冷や汗をかく。
「今度はこっちからっ!」
 次々に石礫を攻撃。全弾命中、だが当然、効かない。
「これがどうかしたのか?」
「なら、これっ!」
 董花がモーションに入った直後、会沢のインカムにファタから指示が飛ぶ。
『会沢、道明寺から離れろっ!』
 スラスター噴射で加速した、異形の掌が空を切る。大気を投げる風切羽(かざきりば)
(風の当て身にしては、重い……)
 道明寺はそう感じつつもノーダメージだったが、直後、空気弾の着弾領域に新たに投げ込まれた物があった。
 百円ライター。
「おっ……おおおおおおおっ!」
 直後、純粋酸素の供給で噴き上がる巨大な火柱。
飛び散る火の粉は周囲の樹々や地面の木の葉にまで移り、延焼の様相を呈していく。
「俺らもヤバいぞこれ!」
「それより……

 董花が睨む先は、無論、炎に包まれた道明寺。「偽物」はそのまま焼け死んだ。本物にあって偽物に無い物、即ち先程生やしたばかりの翼を広げ、打つ!
 巻き起こした波風はその身に纏っていた炎を掻き消し、無数の火の粉を闇に舞い散らした。炎が消えて現れた道明寺羅門は、体表が焼け爛れていたが、しかしそれもすぐに再生を始める。
「マジかよ……

「園芸者は負けぬさ。寒波にも、業火にも」
 それだけ言うと道明寺は空を見やる。赤々と照らされた夜空を舞う鴉達。
 能力者が気絶し、真下から噴き上がる熱気に耐えかねて今にも飛んで逃げるのは目に見えている。
「待たせたな……行くぞ。しもべ達よ」
 地を蹴り、道明寺は跳んだ。脚力のみで高空まで達すると畳んでいた翼を広げる。
 鴉達に向けて手を伸ばし、手から緑の触手を伸ばす。
「おい……どうする」
「津神!」
 会沢が走ってくる。傷ついた右腕を振りながら、一心不乱に。
「俺を、『投げて』くれっ!

 その声の、瞳の力強さに、董花は無言で頷く。
 腰を落とし、会沢の足に合わせた高さに重ねた両手を置く。
 手前まで走り寄った会沢はそこで小さく跳び、そして「踏み台」に利き足を乗せる。
『道明寺を必ず殺す』
 跳ぶ瞬間、会沢の眼差しがそう物語っていた。
「行けえええええあああああああああっ!!」
 噴射、加速、投擲――フルパワーで会沢の体を高空へと打ち上げる。
 『クイックスロー』発動!

「なっ……

 鴉達への「植え付け」を済ませた道明寺、その更に頭上に会沢は突如現れた。
 体感的には瞬間移動そのものである。
「久しぶりだな、道明寺」
 そう話しかけた直後、その全身を稲の槍が貫く。
「大した執念だが、銃すら持たずに、所詮は自己満足。
 『生命』の意志と力には敵わな……あっ」
 道明寺の全身を悍ましい感覚が走る。決して招いてはならないものを体内に招き入れてしまった。そうした感覚だった。
「…………貴様、何を……

「お前の言う『生命の力』だよ」
「な、に……?」
 理解できなかった。この男にコシヒカリ(じぶんたち)を脅かす力などあるはずがない。そんな生命など存在し得ない。
「さっきお前に防がれた弾丸。
 お前がご丁寧に撃ち返してくれたおかげで、俺も保菌者(キャリアー)になれた」
 死が刻々と近づいていながら、その口元には笑みがあった。
「アンチコシヒカリウイルス。
 『パンデミック』だ。道明寺」
「貴様……っ」
 凄まじい速度で壊死していく道明寺の体内の「親苗」。もはやその翼に、空を舞う力は無い。
 同じく感染した鴉達と共に、道明寺は燃え盛る眼下の森へと堕ちて行った。

(ああ……こんなところに落ちられるとは、運がいい……良かった)
 周囲が炎に包まれる中で、やはり会沢の口元には笑みがあった。
 それは先程道明寺に見せたものとは違う、安らかな笑み。
 相棒、藤崎と隣り合う形で、会沢格はその生涯を閉じた。

「おおっ!! おおおおおお!!」
道明寺が吠える。たった数時間の、魂の片割れを失った巨大な喪失感が心を支配していた。
また、あの頃に戻ってしまう。誰も隣にいなかった頃に。

「ああ、あああ……お前達、そうか、お前達は……

 道明寺の頬を涙が伝う。すぐに蒸発してしまうが、それでも止め処なく溢れている。
 足下に散らばった、種籾。
 ウイルスに冒され、死滅する寸前、親苗が残した新たなる生命。
「一人じゃあない……一緒だ、お前達。私が必ず、守る」
 道明寺羅門。背に鬼の面貌を負う男は、燃え尽きる最期の瞬間、確かに笑っていた。その事実を知る者は、やはり誰もいない。
最終更新:2014年08月13日 20:25