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第四部隊その2


 眠りにも似た、遠い闇だった。

 どれほどの時間をその中で過ごしたのか、今は分からない。
 自らが朽ちる明確な死の予感だけが、空間を満たしていたように思う。細い光とともに門が開け放たれた時でさえ、そうだった。

 世界の全てに触れる事を禁じられて、その時の俺は植物だった。だからその男が発した言葉の意味も、もしかすると本当には理解できていなかったのかもしれない。

「お前は、私だ」

 今となってはかすかで、意味のない記憶だ。


【AM 1:00 希望崎学園 生徒会室】


 決死隊を除く、すべての生徒がシェルター内へと退避した頃だろう。最後に一人の生徒が残るとすれば、それは生徒会長のジョン・雪成でなければならなかった。
 道明寺羅門が中庭の『開かずの闇花壇』から放った、《新潟》五大災厄のひとつ――魚沼産コシヒカリ。圧倒的な生命力をもって生物の意識を支配し、この世すべての生態系を上書きする。世界終末のひとつの形が今、広大な学園の敷地のどこかに息づいている。

「……津神。今、連絡があった。すぐに残り一人が来る」

 生徒会室内を乱す惨状の中、ジョン・雪成は冷然として言った。
 少女は今、ひとつの陳列ケースを薙ぎ壊した後だった。息を荒げ、充血した眼球を向ける。床に散ったトロフィーが、足元で砕けた。
 その両腕は、凶悪な形状の金属である。本人の獰猛さを象ったかのような、投擲機械腕。

「会長……俺は、俺は駄目だ。園芸者の野郎が鬼無瀬ちゃんを殺したんだ。董花が殺さなきゃ……もう、おさまらない」
「そう。鬼無瀬くんが死んだ。その意味を考えろ」

 津神董花には、この事態を収拾するに足る力があるのかもしれない。だが、劇薬だった。この制御不能の罪人を、ジョン・雪成は緑化防止委員へと組み込まなければならない。
 事実この場でなければ、雪成の額にも一筋の汗が流れていただろう。それを繕う努力を称えてほしいと考えたこともない。

「かつて君を無傷で逮捕した鬼無瀬くんがだ。彼女だけではない。七人の風紀委員が、すべて。野鳥研究会までもが、道明寺羅門とコシヒカリの前にすべて倒れた」

 雪成は一瞬、壁際のソファに視線を向けた。緑化防止委員の二人目。長い狙撃銃を肩に抱えてうずくまる、小柄な男の姿。野鳥研究会の最後の生き残りは、眠っているように静かなままだった。
 あるいは死んでいるのかもしれない、と雪成は思った。

「もはや学園の敷地内に、単純戦力で彼らを上回る者は誰もいない。人数を集めることもできない。戦力において劣る生徒を向かわせれば、それは敵の軍勢を増やすだけだ。情報を集め、策を謀り、敵の弱みを突かなければ――道明寺羅門を殺すことは誰にもできない」

 雪成の胸ぐらが掴まれた。乱雑な長髪の奥に、激情の瞳がある。

「だからなんなんだ」
「……津神」
「俺じゃあ無駄死にだってのか……アンタの言う、その情報とやらのために、鬼無瀬ちゃんも……無駄死に……捨て駒にされたってのか……答えろ」
「道明寺の暴走は想定されていた。その時点で万全の編成を組んだまでだ。彼女の死は、全力を尽くした結果だ」
「董花は……アンタも許せないんだ。鬼無瀬ちゃんを殺して、平然と座ってやがる、アンタも」
「津神――お前の気持ちは」

 分かる、と口にすることはできなかった。この局面においてさえ、彼は自らの感情を吐露することを迷った。生徒会長を続ける中でそうなってしまったのか。
 そして。

「……殺してや」
「そこまでだ」

 津神の動きが停止していた。
 野鳥研究会の男――会沢格が、その時、津神の背後に立っていた。
 ソファで眠っていた男が狙撃銃を突きつけるまでの過程を、他の誰も認識できなかった。会沢と正面から相対していたはずの雪成でさえも。
 しかしこの時雪成が殺されていたほうが、まだしも良い結果であったかもしれない。

「やる気か。お前……!」
「復讐で殺すのか?」

 無感情な声が答えた。
 鋸のように、津神の歯が軋む。

 状況は確実に悪化していた。
 道明寺羅門抹殺を同じく目的とする者であったとしても……魔人学園においてすら異端の二人。戦闘を避ける余地の方が、そもそも少なかったであろう。
 金属の巨腕が閃き、引き金の指が動く――その一瞬。

「どーも、お邪魔するぜ」

 窓からの声だった。三人の視線を受けて、入室した声の主は唇を曲げて笑った。

「驚くなよ。お呼びの緑化防止委員様だ」
「……遅かったじゃあないか」
「悪いな。もう一つの案件に手間取ってね」

「……誰だ」
「誰?」

 機を外れた鉄腕と銃口は、既に下りていた。
 あるいはそのタイミングすらも、この男は計算していたのかもしれない。

「――魔人狩り、モルガーナ一族」

 ……最後の一人。三人目。

「ファタ・モルガーナ」


【AM 1:25 希望崎学園 生徒会室】


 頭部を砕かれた屍人の残骸に向けて、ジョン・雪成は短く瞑目したように見えた。もっとも、部外者が個人の感傷を気にかけるべき時ではないのだろう。特にファタのような男は。

「――レスリング部所属、伊達友晴。生徒会執行部。間違いないよな」
「確かだ。先行部隊として出していた……君たちを招集するまでの、足止め役だ」

 コシヒカリ抹消の依頼を受けて真っ先に生徒会長から聞き出した情報は、先行部隊の編成内容だった。風紀委員が全滅した以上、この短い時間で生徒会が打てる選択肢は、それほど多くはない。

「……もう一つの案件。寄生者となった彼を探して、倒したのか」
「必要だと思ったからな。伊達の性格も知っている。こいつみたいに頭の回るやつなら」

 伊達の上着が無造作に剥がされた。無論、その裏地に仕込まれているものがファタの目的である。

「――特に、必要だ。持ってると思ったぜ。ビデオカメラ……交戦記録を」
「……それは」
「わかってるさ」

 本体の損傷に対してビデオカメラが奇跡的に無傷であるのも、偶然ではないのだろう。伊達の魔人能力ならば、物体を包み込み、守ることもできた。

「あんたの命令じゃないだろ? ……こいつが自分で隠し持ってたはずだ。自分が捨て駒である意味を理解できる奴だった」

 答えずに、生徒会長は宣言した。

「……。作戦を立案する」


 伊達が止めた道明寺の足も、すぐに歩みを始めるだろう。今の緑化防止委員に残された猶予はあまりに少なく、交戦の映像を見る時間すらもごく短いものだった。
 早回しの映像がモニタを流れる中、ファタや津神すら口を噤んだ。

「――無理だな」

 はじめに、ファタが口を開いた。

「伊達の拘束に加えて、松永の支援。カササギの奇襲。これだけの条件を揃えて接近戦で負ける以上、タネが分かっていても接近戦での見込みはないと見ていいだろ。勝てない相手に近づくな、が一族の掟だ」
「……それは」

 やはり彫像のように座り込んだ静止姿勢のまま、会沢が言葉を継ぐ。

「おそらく、遠距離戦闘においても同じことだろう。既に中庭において、野鳥研究会のマスターとアデプトが、奴一人を一斉に追い、撃ち掛けた。脳。心臓。考え得る致命点の全てを撃ちぬいても、奴は止まらなかった」
「ふん。本当かよ。お前らが撃ち損じたんじゃないのか?」
「希望崎の野鳥研究会に――」

 訝る津神に返す答えが、その一瞬だけふと、停止したように見えた。

「――失敗は許されない」

 一方でファタは、会沢の話を疑ってはいない。得体の知れない連中ではあるが、学園内で魔人狩りを生業としている以上、彼もその狙撃技術を知る一人だ。それだけに、今の状況が難題であった。

(接近戦は悪手。狙撃戦は無意味……だが有効な手段はわかった。殺せるかどうかは別の話だ)

 時間は今。講じられる手がひとつでもあるのならば、やるしかないはずだ。

「会長さん。通信機を人数分だ。すぐに化学室をもらう。奴らに除草剤は効かないだろうが、もう少し単純な手段で行く。念のため、備蓄倉庫の鍵もだ」
「……。『子苗』と『親苗』の話が本当ならば、身体から生やす全ての稲が『親苗』ではあるまい」

 会沢格も、ファタと同時に立った。彼のような男にも、仲間が必要なのかもしれない。

「道明寺自身の肉体そのものにも中枢があるのだろう。人としての中枢とは異なる、思考し統制する、ひとつの命が。俺はそれを撃つ」

 津神董花は二人から少し離れて、伊達の死骸を見下ろしたままだった。

「俺は、よく分からねえけど……やるよ。道明寺は許せねえ。絶対にぶっ殺してやりたい――だけどさ」

 自らの感情に戸惑っているような声色で、続けた。

「俺が突っ込んで死んでも、なんにもならない相手だ。鬼無瀬ちゃんも……死んだ連中が教えてくれてるんだ。それが分かんなきゃ、本物のバカになるところだ」

 三人の緑化防止委員を見て、ジョン・雪成は一人、生徒会長の椅子へと座した。そしてあらゆる感情を表に出さぬまま、言った。

「すべての犠牲は僕の責任だ――済まなかった」

 短刀が右親指を切断していた。自身の鮮血が顔に散ってなお、生徒会長は僅かに眉を顰めたのみであった。

「……EFB兵器。職員用シェルター内部に、最終手段としての無差別凍結兵器が格納されている。あらゆる手段が潰えたならば、この指で認証を解除し……撃て。全てを死滅させる兵器だ。コシヒカリもそうなるかもしれない」

 冷や汗が机の上に落ちた。生徒会長はこの時も、声を震わせないよう努めたように見えた。しかし、できなかった。

「認証を解除するのはこの指だ。極刑だろうと何だろうと、すべての責任は僕が持つ。それでも……例えそうだとしても、この学園からは世界を滅びさせてはいけない。この学園からだけは! 希望崎学園は生徒の誰もが、生徒会が……僕が、守り続けてきた学園だからだ!」


「君たちが緑化防止委員だ。コシヒカリを抹消し――世界を、救え!」


【AM 2:00 希望崎学園 新校舎】


 校舎屋上から見たそれは、秋の稲穂のさざ波のようでもあった。魚沼産コシヒカリに生命と精神を喰われ、揃って風に揺れるだけの、意思なき亡者の群れ。
 そのどこかに鬼無瀬晴観も存在する筈だったが、津神董花は不思議と醒めた意識でその光景を受け入れることができた。今は、憎悪を制御せねばならなかった。

(この憎悪は、董花の心だ。誰がなんと言おうと、これが……董花自身の力なんだ)

 津神董花は園芸者を憎んでいた。今も、昔も。鬼無瀬を奪った世界の全てや、かつての友人を奪った世界の全てと同じように、自分から腕を奪った、あの日の。弓を引き絞るかのような怒りの集束とともに、津神はその瞬間を待った。
 だから津神董花の力は、殺意を到達させるための力だ。拳では届かないところでヘラヘラと笑っているような相手を、自分の力で殴り飛ばすための。
 異形の右腕に並ぶ金属のノズルが、加速の予感に熱を帯びた。

 今、眼下の遠くに見えている。鬼無瀬を殺した張本人。津神にとっての邪悪が。
 亡者の群れに紛れる農作業服を見逃すヘマはしない――あれが道明寺羅門の本体。
 コシヒカリ寄生者に守られている。もしかすると、相手も狙撃を警戒しているのか。だが、所詮は亡者だ。怒りを集中する。集中する。そして。

(今だ)

 しかし射線が通った刹那。
 コシヒカリの主は屋上を、津神を見ていた。既に。

「気付い、」

 ヒウ、と細い絶叫のような音だけが鳴った。
 道明寺の胴体は貫かれていた。
 一切の反応を許さず。
 0秒で到達した。

「――ても遅いんだよッ!!」

 『クイックスロー』という。
 軌道と運動エネルギーを保ったままに、自ら投擲した物体の速度を操作する魔人能力。命中の軌道が確定していれば、それは命中する。無限速度の投擲を回避し得る概念は存在しないからだ。
 例えあの園芸の修羅を相手取ったとしても、津神董花が投げる限り、そうなる。

「おお」

 道明寺は感嘆のような呻きを漏らして、胸を貫いた長大な投擲物を見た。
 アンカーボルト。本来ならば学園を補修するべき建材が今、道明寺を貫いて、大地に固定していた。

「見るよな。何が飛んできたのか見る。余裕ぶりやがって……俺の能力を食らった奴は、絶対に見るんだ――そこだ」

 死角となった道明寺の頭上から、何かが急降下した。同時に道明寺の首元からは、槍の如き硬質な稲が。一瞬にしてそれを迎撃し、ズタズタに寸断した。肉と骨でできた飛行物体は弾けて、ビニールシートに包まれていた液体が散った。

「……燃料か」

 一拍の後、道明寺羅門は巨大な一個の松明と化した。


【同時刻 希望崎学園 芸術校舎前】


「先行部隊が試みた攻撃の中で、アンタに絶対に有効だったものが二つある」

 窓の形に組んだ指を通して、ファタ・モルガーナは遠くの戦況を把握していた。これは、空気密度を操作する『天蓋魔鏡』という魔人能力によるものである。局所的に蜃気楼を再現すれば、遠近のみならず上下左右の補正すら自在に、光景を映し出すことができる。

「ひとつは生徒会執行部臨時役員、カササギの能力『赤睡童』。お前はそれを防御したな。そして、もうひとつは」

 新校舎の屋上から津神が逃げ去るのが見える。それで構わない。ファタの呼びかけは遠く道明寺に向けてのものでもあるが、通信機を通し、彼の把握した弱点を繰り返し共有するためのものでもある。

「――炎だ。仮に鬼無瀬晴観の『遮莫刃戮』を受けて生きているのだとしたら、アンタに血液は流れていない。今や稲と籾だけが、アンタの肉体のすべてだ。稲の水分量は25%――人間の60%に対して、これは圧倒的な弱点だ」

 地面に固定されたままの道明寺の身体が、再び二度三度と、不自然に揺れた。燃える頭部から、籾が流れ落ちている。ヘッドショット。これは会沢の狙撃だ。津神の投擲と混同させ、反撃の方向を絞らせない。

(もしかしたら、このまま)

 魔人狩りを専門とするファタの戦術に、間違いはないと思われた。徹底的に距離を保ち、燃え続ける炎によって『親苗』を焼却する。

(アンタの射程距離の中では……絶対に、戦わないぞ。道明寺)

 だが、異変はその時既に起こりつつあった。
 道明寺羅門の周囲に存在するコシヒカリ寄生者が、密集するかの如く集まり――

「……何をやってる」

 酸素供給を絶って焼却するのならば遅い。そしてコシヒカリ寄生者の体内組成が道明寺羅門と同様であるとすれば、自らさらなる薪を投下しているようなものだ。
 ……だが、故にこれは異常事態だ。魔人狩りとしてのファタの直感が、危機を知らせた。

「まずい」


【AM 2:06 希望崎学園 新校舎前】


 無数のコシヒカリ寄生者の只中に姿勢を丸め、道明寺羅門は停止していた。

「――環境が我々を育てる」

 地中へと響かせているような、低い呟きである。

「生徒会執行部との戦闘経験は、僅かに役に立った。炎……確かに、我々が克服しなければならないものだ」

 道明寺羅門は、無意味にコシヒカリ寄生者を引き連れていたわけではない。体内の組成がスポンジの如き稲の構造体だとすれば、その隙間に大量の水分を含むことができる。
 予め水を含ませておけば、それらが密集することで互いの炎を消火することができる。『炎』に対してひとつの組織として動く、群としての防衛機構。生徒会執行部の爆破能力者――松永と同種の魔人との戦闘を想定し、自らを品種改良した結果だった。

「そして」

 無造作に繰り出した手刀は、胸を貫いた建築用アンカーボルトをたやすく切断した。
 屈んだ姿勢のまま、もう一撃を自らの足裏に繰り出す。ばちり、と鋼鉄のアンカーよりも硬質な破裂音が響き、それも切断された。
 ――遥か地中へと伸びた、コシヒカリの維管束であった。ポンプの如く地下水を汲み上げる導管が、道明寺羅門の機能中枢を炎の熱から守っている。

「当然、お前たちも見せてくれるのであろう。環境への適応と、進化を」

 道明寺の右腕が、ごぼり、と膨れ上がった。ガラガラと反響を続ける不穏な音を、敵は聞くことすらないだろう。
 コシヒカリ寄生者を密集させたのは、追撃への防御であると同時に……この必殺の『品種改良』を、新たな外敵の目より隠すためのものである。
 数十秒の後、呟く。

「狙撃の二発目は、あちらか」

 無造作に向けた右腕が、爆ぜた。


【AM 2:09 希望崎学園 職員校舎】


《――仕掛けてくるぞ!》

 通信機からのファタの警告が、静寂を破った。炎に包まれていたはずの敵は亡者の群れに隠れて、今は動かないように見える。
 会沢は迷わず銃を引き、その場を駈け出した。

 一手遅かった。

 空気のうなりが会沢の背を追って、そして全てを突き抜けていった。職員校舎の壁面の全てを不気味な弾痕がえぐり、同時に会沢の左腿と右肋が、熱とともに喪失した。

(遠距離攻撃――)

 別の魔人能力者の攻撃であるとは、考えられない。手段は不明だが、道明寺羅門とコシヒカリは、広範囲の破壊を引き起こし得る異様な成長を遂げているに違いなかった。

《職員校舎だ!》
《……ッ、会沢の方だろそれ!》
《会沢、生きているなら応答しろ》
《……》
《会沢》
《おい会沢ッ! 返事しろよッ!》

 返事の代わりに、会沢は少しの血を吐いた。脇を抜けて肋骨が削られただけだが、衝撃で肺が破れたはずだ。ズタズタになった左腿は、見るまでもなかった。動脈が破裂している。

「……無事だ。気にするな」

 嘘ではない。両手はまだ無事だ。道明寺羅門を倒すのならば、それで十分だ。

「敵は銃弾のような何かを大量に飛ばして攻撃してきた。範囲だけでなく、射程距離も長い……。これは」

 即席の止血布を巻く途中で、太腿の肉に食い込んだものの正体に気づく。籾。既に血をずいぶん失ったが、それを分析できる余裕はあった。

「――籾。敵の能力は、籾の散弾だ」
《……だとしたら、成長速度が速すぎるぜ。手に負えねえ》

 ……脱穀。道明寺羅門が園芸者として身につけた技術を、コシヒカリの肉体に作用できるのだとすれば。その一本一本が強靭な筋繊維の如く道明寺の肉体を回転機と化し、ガトリング砲を遙か凌駕する出力で『弾丸』の射出が可能であるかもしれない。

《だが敵はアンタを仕留めたと思っているはずだ。決して動くな》
「分かっている。それに」

 会沢は上空を見た。

「どうにか、能力を解除せずに済んだ」

 道明寺が仮に職員校舎からの狙撃に気づいたのならば幸いだ。こちらの方向に意識を向けはしないだろう。
 夜空に切り取られたように、二つの影が浮遊している。先ほど燃料を投下したのと同じ種類の飛行機械だ。肉と骨で構成された、異形の無人回転翼機(ドローン)。
 会沢格はこの力を『人猟機械隊』と名付けている。動物の肉と骨――例えば、道中にあった生徒の死骸――を、狩猟のための偵察機械として再構成する、悍ましい能力。精密な動作は得手でないとしても、単純に物体を括りつけることはできる。

「人間サイズの二機では、『浮かせる』のが精一杯だが」
《残り一機だったよな。そいつもコントロールできると思うか?》
「……やってみよう」

 会沢は脂汗を拭った。屋上を染める血を眺めながら、ふと弾を装填する手が止まる。
 藤崎さえいれば、この結果も違っただろうか。

(馬鹿な事を考えるな。今更――)

 大物を前にして、恐怖と雑念が過ぎる。他ならぬ会沢がそうであったから。

(俺が藤崎を殺したんだ)


【AM 2:11 希望崎学園 新校舎前】


 再び緩慢な歩みを進めた道明寺の歩む矢先で、地面が弾けた。
 夜の闇のために狙撃方向は不明瞭だが、拳大にえぐれた穴は銃弾の質量ではない。最初の投擲使い。

「まだ、もうひとつあったか。新たな外敵は二人――」

 再び爆炎が夜を染めた。今投擲されたものが、恐らく化学部などからかき集めた爆薬の類。
 単に炎に撒くのみであれば、先と同じ手段だ。

「――そして、またも炎か。そうか」

 道明寺はあるいは、感嘆の声を上げたのかもしれなかった。園芸の修羅が見る炎は、たった今突き刺さった爆薬からの炎ではなく――

「その手で、我々の進軍を防ぐか。面白い」

 猛火を巻き上げて落ちゆく、新校舎そのものであった。
 校舎そのものを巨大な炎の壁として、希望崎大橋に続く経路を。軍勢と一体である道明寺羅門は、再び大きな迂回を強いられる状況にある。
 肉体が脆弱である代わり、上位の生命種に対抗する武器を得たものが人間だ。そしてこの策を巡らせている人間は、恐らくその意味で、これまで戦った誰よりも強い。

「――二人ではない」

 その瞬間、再びの投擲弾が右肩に突き刺さる。爆裂が表皮と内部の稲を焼き、筋繊維のような構造が露出する。
 意に介さず、道明寺は自らの軍勢に知らせた。

「三人だ。攻撃を仕掛けない三人目が、何処かにいるな」

 三発目が道明寺の頭部を直撃し、またも爆炎が包んだ。
 彼はまだ、思考のようなものを行うことはできる。この敵の場合……まだ、ライフルの狙撃手の時のように、散弾で敵の方角を一掃することができない。

「移動しているか……だとしたら弾薬の補充はどうする……なかなかに試してくれる」

 表情を変えぬまま、独言のみがボソボソと響く。敵は最初、新校舎屋上にいたはずだ。だが、新校舎は炎上した。燃料と発火装置の仕掛け。それ自体は容易いトリックだろう。だがこの短時間でどうやって脱出する? 今はどこにいる? 道明寺羅門にとって、危険なのはそこだ。
 炎の中に無数の影が映る。明らかなデコイ。これが三人目の能力か。

 ――投擲手の方角が分からない。


【AM 2:23 希望崎学園 新校舎前】


 津神董花は上空に居た。
 腰と背に括った、会沢の飛行機械。漂うのみの挙動しかできないが、この不安定な状況からも、津神が極めた投術は標的に命中させることができる。そして爆薬弾は、直撃でなくとも道明寺の表皮をえぐり、ダメージを蓄積させる。
 職員校舎からの狙撃に注意が向いた道明寺は、直上から投擲が降るとは認識できないだろう。何よりもそれは、無限の速度で落下する『クイックスロー』の投擲弾だ。

「会沢。次だ」

 手元に飛来したネズミ大の飛行機械を、握りつぶすように掴みとる。『人猟機械隊』――その三機目。爆薬弾を仕込んである。弾薬の実際の管理者は、職員校舎の会沢だ。
 ブースターノズルの点火を抑えた静音投擲が、再び破裂音と共に道明寺を打った。

「……まだ倒れない」
《いいや、逆に言えば、道明寺はまだ気づいちゃいない。何度か直撃弾を与えても、反撃に転ずる様子がないからな……だが、あるいは》

 その場にある実体を投げつける津神の投術では本来、空中での給弾は不可能だ。それが上空を意識できない理由のひとつとなる。

《その場を動かないこと自体が、異常な耐久力のタネかもしれないな……地面から養分や水分を吸って、その場でダメージを回復している》
《攻撃間隔を狭める。このまま夜明けまで耐える可能性がある》

 会沢の声が割り込んだ。津神はその声色に、僅かな焦りを感じている。

「そうだな。やるしか」

 その時、津神は背骨を突き刺すような黒い予感を覚えた。
 久しく感じたことのなかった、死だった。表皮の全てが焦げ落ちた道明寺羅門が、剥き出しの繊維で空中の津神董花を見上げていた。

「例えば……稲に本来、そのような生態がなくとも」

 笑いだった。

「この校舎に無限に存在する『小苗』の視界に、地下茎を張って接続できるかもしれない。進化は――可能性だ。限界を知った今、我々は再び成長できた」

(どうして。どうしてだ、董花の場所がバレた。董花のせいなのか。ああ、また董花のせいで、皆が)
《――津神!》

 通信機越しに叫んだのが誰なのかも分からなかった。けれどその時既に、津神の手中には次の投擲弾が収まっていた。やけに速いなと、場違いな感想が過ぎった。

「笑うな」
「ああ。感謝するぞ」

 道明寺は、異様に膨張した左腕を津神へと差し向けていた。回避する余地はなかった。

「わ、ら……う、なぁああああああああああっ!!!」

 射線が交わり、遅れて轟音が空を揺らした。
 緑化防止委員の一人、津神董花は、呆気無く、蚊蜻蛉のように墜落した。

 全ての策が潰えた。


【AM 2:30 希望崎学園 職員校舎】


「……どうして、ここに来た」

 現れた男を前に、会沢は力なく呻いた。もはや魔人能力のコントロールも覚束ない、失血死を待つのみの体だった。
 時間から考えても、会沢が攻撃を受けた直後の無線から、すでにファタはこの場に向かっていたのかもしれない。

「どうしてだろうな。魔人狩りの一族の勘でね。自分から死にたいやつっていうのは、なんとなく分かる」

 世界の終末の瀬戸際で、ファタはなんでもないことのように座った。

「どうして人間は、死のうと思うんだろうな。動物でもいいが……たまにアンタみたいに、死にたいと思いながら生きているようなやつがいる」
「俺の場合は」

 会沢は答えた。生徒会室で出会った時から、ファタにはこういった空気を作る力があったようにも思う。生徒会長とも執行役員とも、面識があるようだった。
 それは獣に紛れて野山に潜み、孤独と共に技を磨いてきた会沢にはない力なのだろう。

「自分の半身が、この世にいないからだ。……狙撃手がこの世で気を許す事のできる者は、一人しかいない」
「――観測手か。俺もおかしいと思っていたよ。狙撃手が一人で、緑化防止委員なんかに志願してるんだからな」
「俺は臆病な男だ」

 だから大物を狩ることができない。藤崎が盾となって、道明寺の足を止めたその時。もしかしたら、その獲物を仕留める絶好の機会だった。その時――

「俺は」

 ハンチング帽で深く目元を隠して、会沢は言った。

「誤射をした。家族よりも信頼する自分自身を、俺は殺した」

 ――希望崎の野鳥研究会に、失敗は許されない。

「だから藤崎が死んだ後は、臆病でないようにいたかったんだ。道明寺にも。俺自身の死にも……それだけだ。どいてくれ」
「……」
「津神のくれた最後のチャンスだ。俺が撃つ」


【AM 2:30 希望崎学園 新校舎】


 籾の散弾が直撃する寸前、飛行機械が解除されたためか。あるいは飛行機械そのものが、直撃の寸前に肉壁となったのか。どちらにしろ、偶然に違いなかった。

「……生きてる」
「そうだ。しかし、すぐに死ぬ。この世のすべてがそうなる」
「道明寺……アンタさ……」

 墜落した津神董花は、弱々しく笑った。

「もしかして、俺と会ったことがあるよな?」

 そうだ。笑って人間の腕を切り落とす者が園芸者だったとしたら、もしかしたらあの時、暗闇の奥から津神を助けだした男も、そうだったかもしれない。
 今となってはかすかで、意味のない記憶だ。

「ふ。そうであったかもしれない」
「俺とアンタの、どこが同じなんだろうな……」

 死の満ちる暗闇の中。津神が願っていたことはひとつだった。道明寺羅門の渇望と、遠く異郷の地に閉ざされたコシヒカリの願いも、それは表裏で一体の願いだったのだろう。

「死ぬのはさ、怖いよな」
「……」

 それは遍く生命に不変のものだ。生きたいという願い。生きて、この世界の朝日を見たい。

「……やっぱりアンタも、怖かったんだよ」

 銃声があった。

「…………。怖い、だと?」

 津神董花は、園芸の修羅の胸に開いた風穴を見た。
 本来の道明寺であれば、それは反応できた射撃であるはずだった。

 寄生体からの無数の情報を得るべく張り巡らせた体内の維管束は、道明寺羅門の体内にある、真の『親苗』の一粒に集積していた。津神が撃ち込んだ最後のひとつの――『四機目』の飛行機械の目が、その位置を捉えていた。会沢格が観測手の眼球で作った、それが最後の形見であった。

「道明寺」
「……。ふ。そうだったかもしれない」

 それは自嘲の笑いだっただろうか。


【AM 2:30 希望崎学園 新校舎】


「――会沢。やったぞ。お前が」

 蜃気楼のレンズを解除しながら、ファタは静かにライフルから顔を上げた。会沢にもはや、最後の一射を撃つだけの体力はなかった。

「俺は狙撃の経験なんて、殆どなかったのにな……大した観測手だ、お前は」

 『親苗』の位置を教えたきり、会沢が口を開くことはなかった。
 ファタもそれを理解している。

「……じゃあな」


【AM 6:00 希望崎学園 新校舎】


 今、ひとつの世界の終幕が避けられた。
 それは道明寺羅門が求めた、何をも犠牲にする価値のある光だった。
 生命のすべてが求める光。

 ――希望崎に、朝の陽の光が昇る。