歩峰トーシュプロローグ


まず事の始まりに時間を戻さねばならない。
薄暗い部屋であった。
最低限の家具と非常用の食料などが積まれた棚。
学園の各所に設置された職員用の避難所は生徒たちには知られぬようにできている。
地下シェルターほどではないが対魔人隔壁による防御は数日の安全を約束してくれるだろう。
しかし魔人体育教師、城ヶ崎希彦(じょうがさきまれひこ)にとってそれは一時の安寧すらも保証するものではなかった。

「くそっ、何故こんなことに!!」

通路をうろついているのは先ほど彼が同行していた風紀委員の生徒たちの成れの果てだ。
彼は風紀委員の顧問である。
職務であればこそ開かずの間へ同行したが、元々気が進まなかったのだ。

(救援を要請する?いや、ダメだ。この状況下で私を救うのに戦力は割けないだろう。ならば、事が沈静化するまでここで耐えるか?無理だ、食料がもたない!!)

思考すればするほど絶望的な状況である。

(しかも、無事生還したとして今回の事件の責任はどうなる。)

「なにを、そんなに焦っているのかな?城ヶ崎君」

声が、した。
この階層には最早、人などいるはずが、無いというのに。

「顔をあげなさい、城ヶ崎君。俯いていては思考が暗くなるぞ」

いつの間にか城ヶ崎の座る向かい側に人が立っている。
オールバックの白髪、口元と顎には手入れされた上品な髭を蓄えた老紳士。
柔和な笑みを浮かべたその人物を城ヶ崎は知っていた。

「せ、センセイ」
「まだワシの事を先生と呼んでくれるか、嬉しいことだ」

希望崎学園の理事の一人にして財閥の主。
かつて魔人教師として城ヶ崎に格闘技術を叩き込んだ人物。
その老人が目の前にいる。

「こんな所に、なぜ……」
「なぜ?理由かね、それともどうやってここまで来たかという手段かな?」

老人は優しく城ヶ崎の肩に手をかける。

「まあ、話は簡単だ、こういう緊急避難所には秘密の直通エレベーターがそなわっているというだけの話だ。君は知らなかったかもしれないが、ワシのように学園の創設に関わってきた爺ともなると色々と要らん事を知っているもんなのだよ。」
「た、助かった」
「しかし、君はワシの教え子中では真面目ではあったが、こういう状況に弱すぎるのが欠点じゃなあ」

老人の手が城ヶ崎の肩を掴む

「せ、先生?」
「生徒たちをおいて自分だけ逃げる、それを悪いとは言わんが。その後の連絡も無し、ここでブルブル震えていただけかね?何の為に理事会が君を風紀委員に送り込んだか忘れたわけではないだろう?」

肩を掴む力が増す。

「理事会に報告もせずとはな、そのおかげでわざわざワシが出向いて事実を確認せねばならん」
「う、うわあああッ!!」

城ヶ崎は老人の手を振り払う。

「どのみち責任を取る人間が必要になる。」
「い、嫌だッ!!」
「我が儘を言うものではない、城ヶ崎君。君もいい大人じゃろうて」

老人は依然として優しい笑みを浮かべたまま教え子を諭す。

「し、死にたくない。助けてくださいッ!!」
「ならばワシを殺すくらいしか道はないぞ。ほれ、構えなさい。」
「う、うううう、くそっ。やって、やってやるッ!!」

両腕を前に突き出し腰を低く落とす、重心は後ろに。
城ヶ崎は電撃を操る魔人である。
両腕にスパークが走る。

「闘牛の構えか、よく練られている。」

対する老人は腕を後ろで組み直立したままだ。
一見するとただ立っているようにも見えるがこれも八騎獣拳の構えの一つ。
白蛇。
老人の周囲の空間がどろりと歪んだように見える。
いや、実際に歪んで見えるのだ。
城ヶ崎は微かに何かのメロディーが聞こえたように感じた。

「だが、その鈍った精神で何ができると?」
「うるさいッ!!」

両腕を引くと同時に一気に前へ!!
数十万ボルトにも及ぶ電撃を帯びたダブル抜き手!!
猛牛の双角にも似た受けることも適わぬガード不可の双撃!!
これぞ必殺のエレクトリカルバッファロー!!

「ふんっ!!」

しかし、その攻撃が老人に届くことはない。
垂直に振り上げた蹴りが城ヶ崎の顎を砕く。
更に鋭い突きが鳩尾にめり込む。
動きは緩やか、しかしその速度は異常である。

「がばッ!?」
「君の見た事をワシも見せてもらうとするよ、その魂に」

城ヶ崎の体を貫いた腕が赤く光る!!

「惜しいのう、城ヶ崎君。君の魂の有り様が保身や安寧であることが悪いとは言わぬ。だが君の持ち味は捨て身の拳。あまりにも合わぬ。」

ずぬる。
抜き出された老人の腕には赤く光るエネルギーの塊のようなものが握られている。
それはすぐに小さな飴玉のような物に変わり、老人はそれを躊躇なく口に入れた。

「甘く濁った安寧と保身の味、くどい甘さではあるが、これはこれとして悪くはない。」

老人はじっくりと味わうようにソレを口のなかで転がす

「なるほど、園芸部の道明寺君か。彼が何を思ったかは解らぬが、厄介そうな相手じゃの。これはワシ一人では手に余る。コシヒカリを食えるチャンスかと思うたが、そんな悠長な事を言っておるヒマはなさそうじゃ。風紀委員を失った生徒会でどうこうできる相手でもなし。さて、校内に活きの良い生徒が残っておればいいのじゃがな、さて」

老人は目を開き前を見る。
どういうことだろうか。
城ヶ崎は顎を砕かれてはいるが貫かれた体に傷はない。
何かを失ったような呆然とした表情だ。

「城ヶ崎君、君には最早、安寧や保身を図ることはできないじゃろう。残念じゃが、だからと言ってこのまま真っ当に生きることもできぬ。それは出来ないのじゃ。もう、君の魂の中心は失われたのだから。いずれ、死ぬ。」
「う、ううう。」
「だが、教師という道を選んだ君の心がまだ君を生かしている、罪悪感があるのだろう。ワシはこれから戻らねばならぬ。君は、どうするのかな?」
「あ、ああ」

城ヶ崎はフラフラと歩く。
助けねばならない。
風紀委員の生徒たちは自分の教え子なのだから。
隠し部屋の扉の向こう側には生徒がいる。
果たして生き残っているのだろうか。
わからない、だが行かねばならない。
城ヶ崎希彦は教師であるのだから。

「さらばだ、城ヶ崎君。生き残りの生徒がいたらこの部屋に入れておきなさい。数日は、いや数時間はもつじゃろう。その間にワシが、いや。校内に残った生徒が必ずなんとかする。」

隠し部屋の入口を開け城ヶ崎は外へ。
老人、トーシュと言う名を持つ男はこの事態に対処できる生徒に目星をつけ風のようにこの場を去った。
最終更新:2014年08月02日 16:16