遠藤之本格古笹ヶ菖蒲プロローグ


 静岡県――青木ヶ原樹海は、その濃厚な死の気配故に【コシヒカリ】の影響を逃れ得るには好地であった。
 聖地「富士山」のまた異なった一面として位置し、おはす神すら望まぬ人柱を呑み込み続け、いつしか輪廻の巣となった悲劇の地である。
 自ら身を捧げゆく殉教者たちの身を嘆き、ある名も知れない聖者が立てた幾本もの茶柱が今日でいう静岡茶の興りとなったことを知る者は今となっては数少ない。いいえ、それもまた弔いとなろう。
 死者は眠り続けるだけ、望まれぬ限り騒ぎ立てるべきではない。

 そんな広大な樹海の一角を占める、茶畑……厭。
 茶の林、もしくは鬱蒼とした死者の森の中、その工房はあった。
 「HURUZASA」と書かれた看板にのみ往年の面影を残すその廃屋は、顧みられることなく朽ち果てるはずだった。茶海の中を分け入り、踏み荒らすのは誰だろうか?

 人工探偵(じんこうたんてい)の黎明期に、幾体かを送り出してきた古里「古笹工房(ふるざさこうぼう)」。鴛海白寿(おしうみはくじゅ)博士を表向きの責任者として設立され、その内部に【ササニシキ】の面影を残すその建造物は今はもう足音の出入りさえなくなって久しい。

 誰からも見捨てられたその場所に、果たして彼女は――いた。
 いつからそうしていたのか、朽ちた籐椅子に脱力しきった全身を委ねるようにして。
 血走った目であった。枯れきった手であった。それでも老婆は口元だけは非対称に歪め、嘲けるかのように、もしくは羨むようにして目の前の探偵を見据えている。
 探偵【注:第三の性(さが)である探偵に彼女と言う三人称はそぐわない】は問いかけようとして、口ごもる。被加(ひか)の害者を判別する術を持つには、探偵は幼すぎたからだ。
 「わたくしは――、」

 「ふ、ふ。ぐッ」
 咳き込む音。慌てて駆け寄ろうにも衰えぬ眼光はそれを許そうとしない。
 「果たして、な。探偵の真似事などするからこうなるのだよ。
 神ならぬ人が『探偵』を生み出そうなどと考える。だからこそ、などと言う手垢の付いた、結論に及ばんが、な。事実、わしはきさま達を生み出すことに成功したのだから満足はしていよう」
 「ならば、どうして――、どうして貴女はそうも惨めな姿でいらっしゃるのですかッ」
 探偵は詰め寄った。掌に入れたが最期、枯葉のように砕け散ってしまいそうな風貌、それでも見捨ててはおけなかった。たとえ、彼女が自分自身を既に見限っていたとしても。
 探偵は見当をつけていた。彼女は、最初の人工探偵の生みの親、きっとその一人であろうと。

 「探偵を生み出すことが出来るのは探偵だけ、果たしてそうか。我らはそう、考えた。
 探偵の起源は諸説あるが、一つのルーツとしては帝に仕える供御人、身分より外れた一種の化外の民と言われている。ならば、と我らは神事に題を取った。御上(おかみ)の真似事は実に骨が折れたが、地球外より飛来せし、かの荒ぶる【ササニシキ】を手なづけるにはそれしかなんだ」
 人工探偵を構成するナノマシンが植物由来であることは自明である。
 人工探偵自体が極々若い種であり、一部の探偵流派の門外不出の財として封じられていることを考えれば全くもって狭い知識と言わざるを得ないが……。
 「きさまが何れやの馬の骨であるか、は見当はついておる。わしが何ぞであるかも知っていよう。かような打ち捨てられた地にわざわ、く。出向くとは失っても惜しくない駒と見なされたか、そうではない?」
 史上最新にして最古の探偵の末裔は何の由あってか、探偵に並々ならぬ執心を向けるこの老人に、ただの老婆に圧倒されていた。いや、それも一時であったか。

 「探偵たるヒトガタを、生まれながらの探偵を生み出せたと知った時、我らは歓喜した。
 いいや、わしのみと、いうべきだろうが……がはッ、ぐ、ぐぐ」
 「どういうことですの?」
 好奇心が困惑を上回る。その点で言うなら、探偵にとって老婆の困窮などどうでもよかった。
 残酷な、物知らぬ赤子のメンタリティを完成した肢体の上に保持していたと言える。
 「探偵を作り出せたのではない。探偵しか、と言うべきなのだ。探偵どもは歓喜したが、我らは困惑し、また同時に、恐怖した――。人類に、忠実であるべ き、規範を与えられぬ。きさまらは人である以前に『探偵』。高潔にして、理非の分別はつく。だが、それが人類そのものに、奉仕として向くかや?」

 本来、真実を探求すると言う行為は至極、攻撃的なものである。
 現代となってこそ法曹の裁きに、権を移譲したと言え歴史の表裏に度々姿を現す探偵たちは常に一定の軍権を保持する特権階級であり続けていた。
 探偵は一千年を越えて保ったのだ。この百年ばかりの雌伏など待ったうちには入らない。
 敬愛する姉様(あねさま)や同志たちも考えは同じだろう。菖蒲は感謝していた。探偵として受けた生を謳歌していた。この心を築いた尊敬に値すべき探偵たち、対するは体を象る園芸者たち。
 ですが、その園芸者のこの体たらくはなんなのでしょう? 探偵はその真意を図りかねていた。

 「そもそもが、我らの手に余る業であった、のだ。
 探偵と言う魂の鋳型をもってしか、形を成すことのできなかった園芸者は見放され、技術は探偵の独占する所となった。三億年来の地球外先史文明の末裔が――ササニシキがなぜ探偵以外を拒むのか、真は、わからぬ。その精神(こころ)に探偵以外は触れられぬのか。
 どうあれ、わしは探偵にはなれない、それが結論よ……」
 「恨み言をおっしゃられるのは筋違いと言うものではありませんか? わたくし、細かいところは存じ上げませんが、どうかこの期に及んで晩節を穢そうとなさらないで。
 このような死の匂い色濃い処でなく、お天道様を浴びた畳の間とよく干されたお布団に移りましょう」
 老母に向けて伸ばした手は払いのけられた――、あまりにも弱々しい、それでも明らかな拒絶の意を含んでいた。

 「く、か。さてな。これが呪詛であるかは知らぬ。餞と思うならそう思えばよい。きさまはわしを憐れと言うたが、【ササニシキ】や【コシヒカリ】、身の内に取り込んで体を為すは同じよ!
 なぜ、かくも、違うのか……」  
 「――、真実を侵そうとお考えのようでしたらお心持を改めるようお勧めいたしますわ。
 探偵は誰でもなれます。それが、真似事、失せもの、と言った枕詞を除けば、の話ですが、もちろんそれとも違いますわ。真の探偵は津に真実に挑む学究の徒、傷つきながらここまで辿り着かれた貴女は、もう少し
 「さうさ、違うのだ。きさまは……、きさまらは、木様――!」
 羨望、嫉妬、みにくい心はみやすくて、敬愛、思慕、見にくくなる。老母の眼から涙がこぼれた。
 「わしは、ここまで来るのに時を要した。掌がひび割れ、節くれだち、やがて朽ちて、剥がれ落ちる。ここで骨になるつもりであ、った、の、に、どうして来た!」
 乱れがちな言葉が更に、乱れて――、泣き喚くようになる。
 だがそれも束の間、ピタリとやむと、まるで憑き物を落ちたかのような晴れ晴れとした顔があった。
 「何をぞ知りとうてここに来たのかは知らん。
  だが、これだけは言うておこう。【魚沼産コシヒカリ】を追うがいい。菖蒲、お前の望むものがそこにあるであろ。
 さて――介錯をしてくれるか?」

 ここまでの流れは老婆にとって半ば戯れに過ぎない。半ばは、だが。
 その洒脱に酔って、その身を滅ぼすことこそが誉(ほまれ)と思えてならなかった。誰もが知らぬうちに朽ちていくより他は、この瞬間を除いては――! 
 どの道、その命を引き延ばすことは陳腐にしかならないのだ。ここまで数多くの人間を殺(あや)めてきた我が身が菖蒲(あやめ)の手にかかるのだ。ああ、なんと面白きかな!

 自殺幇助とは、詰まる所、形を変えた殺人なのだろうか。
 ここまで老婆の口より祝いに似た言葉は紡がれていない。すべては似た呪いの言葉である。
 しかし、恨み事ではない。探偵を傷つければ傷つけるだけ、被害者も加害者も傷ついているのだから。いくら怪我を負っても、心に傷を負っても、それが探偵の技であり、また業であると幼き探偵も承知している。
 言葉は紡がれる。
 断罪・刑の執行までを行うという神代の探偵の真似事は荷が重かったが、務めである。
 第四原則も、それを支持している。

 「人工探偵の創造者、その人柱(ひとはしら)。名もなき一人の園芸者に、探偵としての礼をもって遇しましょう。真実を追い求め、探偵の一端を担おうとするそのご覚悟、介錯に値すると言うには被造物の傲慢と言うには十分ですが、聞き流していただけると幸いです。
 あなたが見聞きし、ご存知の事由はまこと多くていらっしゃるのでしょう。しかして、ここから先はわたくし個人(たんてい)の領分故に、彼岸にまでお持ち帰り願います。では――いえ」

 ――すまぬ。だが、

 「――あなたを水旱蝗湯(すいかんこうとう)と断定し、人類、人工探偵中の理非善悪を擁護するため、これより駆除を行います。 
 収穫は遠下村塾門下、遠藤之本格古笹ヶ菖蒲(えんどうのほんかくふるざさがあやめ)。説を明らかとする暇(いとま)は覚えません。刈り取りを行う由を知らずとも、自(おの)ずと然(しか)らんと状(かたち)なすを態(さま)とせよ!」

 それから暫しの間を置いてその瞬間は訪れた。
 光が放たれたことを廃屋の外にいたものがいたなら知っただろう。
 それはほんの僅かなもので、たとえ目を凝らしていたとしても、少しのズレで訪れた爆音の方が大きい。唯一人にのみ捧げられた、その色は泡沫(うたかた) 紛れて消え失せてしまう。
 続いて、舞い上がった味気ない火花は廃屋を焼き尽くすと、一面を勢いのまま灰色に舗装していく。
 山火事である。故に、その色を知る者は今はもう誰もいなくなった――。
最終更新:2014年08月02日 15:54