第四部隊その3


【AM02:05・新校舎家庭科室】

「いいか、お前ら」

ファタ・モルガーナは隠し切れない苛立ちを声に滲ませながら、緊急対策室――新校舎三階の家庭科室を利用したもの――
の机の上にジョン・雪成から手渡された作戦資料を叩き付けた。

机を挟んで向かい側、椅子の上で胡坐をかいている凶相の少女がファタを睨み付けた。
ぼさぼさの長髪に『投』の文字が刺繍された道士服(と言うのだろうか)、そして異様なシルエットのサイバネアーム。
先程から金属製の爪を歯が欠ける勢いで齧っている。その目付きは剥き身の太刀のように鋭い。
名を津神薫花という。投擲技術に長けた魔人である。

一方、椅子一つ分離れて少女の右隣に腕組みをして座る男が一人。
ハンチング帽を目深に被り、猟銃を携えた小柄な男だ。
この学園の生徒である以上高校生の筈だが、その矮躯から醸し出される殺伐とした重苦しい雰囲気は
とても少年のものとは思えない。それは決して泥や血に汚れた衣服の所為等ではなく、
彼の生きてきた経歴に依るものであろう。
野鳥研究会マスター位階の狙撃手、会沢格である。

「お前らが友達と相棒をぶっ殺されてド頭に来てンのは分かった。
 俺だって日本が滅びたら困る。海外逃亡しようにも俺は日本語以外喋れないし、吉野家の牛丼も食えなくなる。
 何よりお前らをここに集めた苦労が水の泡になるんだ」

実際ファタは三人が集合するまでに大変な苦労を強いられた。
完全にブチ切れていた津神はファタが下手な事を言った瞬間、機械椀で容赦無く心臓を抉り出しそうな程殺意に満ちていたし、
会沢に至ってはその姿を見つけ出すまでに一時間もの時を費やさなければならなかった。
二人の難物を宥め空かして説き伏せて、ようやくこの教室に集まった頃には午前2時を過ぎていた。


「だが相手は『あの』新潟県の五大災厄だ。よ~~~~く考えろよ、単独で勝てる相手か。
 夜明けまでもう四時間しか無い。感情に任せて勝率下げてる場合じゃねえのは分かるだろ」
「……チッ」

耳障りな音を立てて、少女の歯が一部欠けた。

「分かったよ、協力しろッてんだろ。やってやるよ、道明寺とか言うクソ野郎をブッ殺せるならなんだっていい。
 悪魔に魂だって売ってやる。この世に生まれてきた事を後悔させてやる」
「……よし、その意気だ。お前はどうだ、会沢」

怨嗟の情を剥き出しにする津神とは対照的に、会沢の目は氷のように冷たく無感情だ。
ハンターの習性故か、殺意を露にする事こそ無いものの、視線には不気味なまでの凄みが宿っている。

「俺に異存は無い。ただし、足を引っ張られるようならその場で抜ける」
「ハッ、こっちの台詞だぜ。アンタが俺の足を引っ張らない保証があるのか?」
「よせ。会沢、それでいい。俺達が足手纏いだと思ったらすぐに見捨ててくれて構わん。
 ただし、それまでは運命共同体だ。そうでなきゃ勝てない……早速だが作戦を練るぞ」

三人はまず各々の能力を包み隠さず詳細に語った。ここで能力を騙ったり隠したりするようなら、
その時点で同盟は崩壊する。この局面で本音を晒せない相手に命を預ける事は出来ないし、
不十分な連携では道明寺を倒す事もまた出来ないだろう。全員がそれを理解していた。

「やはり園芸部部室に寄る必要があるな」

ファタが地図に記された部室棟を指先で叩きながら言った。

「アンチ・コシヒカリ・ウイルス。あの鬼無瀬を含む生徒会の精鋭が殺られた以上、
 正面からの撃破はこれが無くては可能性すら見えん。資料によれば銃弾すら
 かわす程の身体能力が予想されてるしな」

鬼無瀬の名が出ると、津神の目が一層狂猛な光を放った。
激し易い性格であるらしい。頼もしさと同時に、ファタは一抹の不安を覚えた。
道明寺を前にした時、単独で先走らなければ良いのだが。

「経路はどうする。既に1階は道明寺の軍勢が占拠している」

会沢が静かな声色で尋ねた。
彼は己の能力――『人猟機械隊』によって視覚を飛ばしている。
道明寺とその配下……子苗に寄生された犠牲者……達は、百鬼夜行の如く
一階の廊下を緩々と練り歩いている。学園の支配者が誰なのかを誇示するように。

「ここに来るまでにザイルを確保しておいた。これで窓から地上に降りて部室を目指そう」
「誰が行く」
「俺一人だ。お前らはここから援護してくれ」
「一人ィ?」

津神が顔を上げて呻いた。会沢も僅かな身動ぎで動揺を示す。

「今、道明寺達は一階なんだろ。主戦力がそこ集中してる以上、他は手薄の筈だ。
 魚沼産コシヒカリがいかに強力でも、子苗の寄生体なら一般的な魔人でも対処可能、と
 資料にもある。なら、お前らのような大駒を使うべき場面じゃない」
「……」

会沢は沈思黙考した。
津神も爪を噛みながら何事かを考えているように見える。

「俺達はどこかで博打を打たなきゃならない。なにせ三人しか居ないからな……
 だが、アンチ・コシヒカリ・ウイルスを持ち出せれば勝利に大きく近づく。
 なら今やるべきだ。道明寺の目が他所に向いている今が好機なんだ」
「ちょっと待てよ」

津神が爪から口を離し、声を上げた。

「そもそも道明寺はこのまま校舎を上がって来るのか?
 お前が部室に向かって行くのを察して追いかけて来るかも知れない。 
 いや、あいつがその気ならこのまま夜明けまで校舎のどこかに潜伏して、
 日の出と同時に外に出られたらもうアウトじゃないか」
「いや、それは無い」
「ああ」

会沢が即答し、ファタが相槌を打った。

「なんで言い切れるんだよ!?」
「道明寺の行動を見れば分かる。あいつは中庭で野鳥研究会をわざわざ皆殺しにしてる」
「その上この校舎に迷わず入って行った。単に日の出を待つならもっと他に適した場所がある筈だ。
 ……奴は明確な殺意を持って行動している。多分この学園の人間を殲滅するつもりだ」

道明寺の行動に合理性を持たせるなら、そう判断するしか無かった。
方法は分からないが、道明寺は生きた人間の位置を知った上で、息の根を止めようとしているのだ。

「……わかった。でももう一つ疑問がある。ファタ、アンタがウイルスを手に入れたとして、
 どうやってここまで戻って来るんだ?下には道明寺が陣取ってるんだぞ」
「うん、そこなんだけどな……」

ファタはあえて呼吸を置き、溜めを作った。

「津神、お前の能力を使って貰おうと思う」










――――――――――――――――――――









【AM02:30・新校舎家庭科室】

「本当に大丈夫なのかよ、あいつ」

津神は家庭科室の窓際でザイルを回収しながら、部室棟に向かって駆けて行くファタを眺めて言った。
周囲に敵が居ない事は会沢がドローンによって確認している。

「俺に聞かれても分からん。ただ奴も魔人狩りのプロなら、勝算の無い行動は取らないだろう」

一方会沢は窓よりやや奥、机の上に突っ伏して銃を構えている。不測の事態に備え
いつでも狙撃出来る態勢に入っていた。

「ふん……道明寺は?」
「そろそろ二階に上がって来ようとしている。このペースならここに来るまで後二十分はかかる」
「そうかい」

強いて平静を演じつつ、津神は窓の桟を握り潰しそうになるのを堪えた。
彼女の心中に渦巻く友人を殺された事による怒りは治まるどころか、時が経つ程にどんどん膨れ上がっていく、
……落ち着け、今はまだ。彼女は自分に言い聞かせた。

「ファタが部室に入った。部室棟も無人のようだ」

会沢の無機質な報告が続く。部室に入れば射線の関係で支援射撃は難しくなる。
最も危険なタイミングだが、心配は無さそうだ。やはり道明寺に操られた生徒は
殆どがこの校舎に集まっているのだろう。
津神は鬼無瀬の事を考える。彼女も道明寺の配下となり、生きた屍のように
校舎を徘徊しているのだろうか。雪成の言によれば、その可能性は高い。
……彼女が敵として目の前に現れた時、自分は迷い無く動けるだろうか。

津神の自問は小さな破裂音によって破られた。

「来たぞ、備えろ」

会沢が短く檄を飛ばす。津神は部室棟を見た。園芸部室のある一階を。
そこには何らかのケース……恐らくはウイルスだろう、そう信じたい……を抱えたファタ・モルガーナと、
その後ろで木刀を振り上げ、襲いかからんとする女の姿があった。










――――――――――――――――――――









少なくとも部室からウイルスを持ち出すまでは、拍子抜けする程順調だった。
敵の姿は無く、部室にもあっさり侵入出来た。室内の冷凍庫に保管されていた
アンチ・コシヒカリ・ウイルスのアンプルも首尾よく見つけ、
備え付けのケースに詰め込み、部屋から出ようとした時、トラブルは起きた。
突然部屋の壁が爆発した、ような音が聞こえた。
ファタは既に部室のドアを開けようとしていたので定かでは無いが、
とにかく彼が振り向いた時、壁には今まで無かった大穴が開き、一人の少女が
木刀を手に立っていた。
ファタはその少女を知っている。生徒会の資料に載っていた情報と寸分違わぬ……
否、体のあちこちから苗のような植物が飛び出てはいるが、ほぼ同じ姿形。
鬼無瀬晴観が、幽鬼の如き足取りでこちらに歩いて来る。

「なんっ、で……!?」

戸惑いの声を上げながらも、ファタの判断は素早かった。
今このタイミングで鬼無瀬が現れた理由を考えるよりもここ脱出するのが先決。
即座に踵を返し、廊下に出ると窓をぶち破って中庭へ転がり出た。
最早ガラスの割れる音を気にしている場合では無い。
新校舎に向かって走りながら、こちらを見ている筈の二人に向かって手を振る。
こうした場合の策は既に打ってある。後は手筈通りに行くのを願うだけだ。

と。不意に背部を強かな衝撃が襲った。

「うげッ!がっ……!」

前方に吹き飛ばされたファタは受身を取る事も出来ず、人形のように転がった。
背中を打った影響で呼吸が上手く行かない。

「こ、子苗は、ゴホッ、動きが、トロいんじゃないのかよ……!」

ケースを抱え、立ち上がろうとする。動かねば、死ぬ。
首を捻って後ろを見る。風通しの良くなった廊下から、鬼無瀬晴観が悠々と現れた。
女剣士はファタの姿を認めると、機械的に木刀を振り被った。壁を破壊した一撃が来る。
『魔人狩り』を生業とするファタは、鬼無瀬流の理念についても覚えがあった。
曰く、一撃虐殺――生きる屍と化した今、彼女の剣威は以前のそれとは比べ物にならぬだろうが、
それでも並の魔人程度の体力しかないファタに取っては十分過ぎる脅威であった。

ファタが体勢を立て直す。前へ走る。その速度はゾンビ達とどちらが早かっただろうか。
少なくとも、鬼無瀬晴観が剣を振るよりはずっと遅かったに違いない。
酸素不足で暗く映る視界に、一瞬火花が散った。
響き渡る銃声。一瞬後晴観が木刀を取り落とすのが音で分かった。
本来の鬼無瀬の実力であれば、正面からのライフル狙撃程度は叩き落せたに違いない。
コシヒカリは彼女の意志と共に、剣力の殆ども奪い去ってしまっていた。
更に一瞬後、再び銃声。ファタはもう振り向かない。目の前にザイルが忽然と出現したからだ。
津神薫花の魔人能力『クイックスロー』。運動量、軌道、飛距離はそのままに、速度だけを操作する能力。
彼女の投げたものは、なんであれ光速にも達し得る。ファタはザイルを渾身の力で握り締めた。










――――――――――――――――――――









「(鬼無瀬ちゃん……!)」

少女は無念の声を飲み込んで、再びサイバネアームの特殊機構を作動させた。
スラスターから高温の蒸気が排出され、宙に踊る。
槍投げ選手のように体を捻り、右手に握ったザイルを教室の奥目掛け思い切り『放り投げ』る!

「おおおおおおおっらああああああああ!!!!」

裂帛の気合と共に右手から放たれたザイルは、人間の知覚限界を遥かに超えた一瞬を挟み
端を掴んでいたファタ・モルガーナごと壁に激突した。

「ぐはあっ!うがっ!」

ファタは壁面に叩きつけられ、更に垂直落下後リノリウムの床に腰を打ちつけた。
伏射姿勢を解いた会沢がファタを見る。津神は窓の外、部室棟の方角に顔を向けていた。

「痛ってェ……今日はなんて日だ……最悪にも程がある」

ぼやきながら立ち上がるファタ。その手にはしっかりとケースが握られている。

「それか?ウイルスは」
「ああ。ハプニングはあったがなんとか手に入れた。いい射撃だったぜ、
 お陰で助かった。津神も……津神?」
「……ああ、うん。なんでもない。それよりウイルス見せてくれよ」

ファタは何かを言いかけたが、止めた。代わりにケースを机の上に置き、開いた。
二人がそれを覗き込む。

「……あっ」
「……」
「げっ」

ケースに詰めたアンプルは詰め方が甘かったか、はたまた激しい衝撃に晒された為か、
殆どが割れて使い物にならなくなっていた。

「おい、どうするんだよコレ。全部割れてんじゃないか」
「イヤイヤ待て待て、ちゃんと確認しよう。割れてないのがあるかも知れん」
「これはどうだ」

会沢が一本を摘み上げた。紫色の液体に染まったそれは、確かに無事であるようだった。

「……これ、一本だけか」
「クソ、あんだけ痛い思いしたのに……だがまあ、悔やんでも仕方ねぇ。
 会沢、それはお前が持っといてくれ。作戦を続けよう……津神、あれでいいな」
「ああ。多分行けるだろ」

ファタが指差したのは教室に備え付けてある消火器であった。










【AM02:45・新校舎三階廊下バリケード前】

「どっせえええええええい!!!」

盛大に蒸気を撒き散らしながら放たれた消火器が、光速で廊下を塞ぐバリケードに激突した。
普通に投げても威力は変わらないが、気分の問題だ。

「道明寺は二階の中程だ。ペースは変わってない」
「そうか……どう思う?」
「どうって、何がだよ」

崩落したバリケードを乗り越えながら津神が問い返す。

「道明寺のスピードだよ。いくらなんでも遅すぎる気がする」
「コシヒカリに寄生された所為で、体感時間も植物並みになってんじゃねーの」
「茶化すなよ。割と真剣な話だ」
「……何らかの狙いがある、と見るのが自然だな」

会沢が静かに答えた。ファタもそれに同意する。

「ああ、多分何かある。こっちも余裕こいてるヒマはねーぜ、さっさと職員室に向かおう」

作戦は至ってシンプルだ。一階まで降りて職員室に入り、更に秘密のエレベータで地下職員室へ移動、
そこに設えてあるEFB兵器を作動させる。生徒会の資料によれば、新校舎全体が完全に凍りつく威力だという。
更なる後に校舎へ戻り、凍りついた道明寺とその配下に完全なる止めを刺す。
エレベータの動かし方も、EFB兵器の起動パスも、生徒会が資料に纏めていた。
三人は駆け足で職員室へと向かう。

「ペースが上がった」

異変を告げたのは当然ながら会沢だった。

「三階に上がった途端だ。かなり早い」
「急ぐぞ」
「おう」

彼等は既に職員室を目前にしていたが、油断の心など生まれる筈も無い。
相手は園芸部長、そして災厄の魚沼産コシヒカリなのである。
職員室の扉を抜け、資料にあったエレベータの起動装置へ一直線に走る。
暗証番号をインプットすると、重低音を響かせてエレベータが動き出した。

「まずい」

会沢が呻いた。同時に校舎が振動する。

「何だ!?」
「視界が途切れた。ドローンがやられたらしい」
「クソッ、まだ来ないのかよ!」

再び振動。先程よりも近い。ファタの脳裏に嫌な推測が浮かび上がる。
恐らく他の二人も同じ事を考えたのだろう、三人はそれぞれの顔を見合わせた。

「……津神、会沢」
「ああ」
「来るなら、殺る」

振動。更に近い……というより、ほぼ真上から崩落音が聞こえた。
同時にエレベータが到着し、扉が開く。

「乗れ!急げ!」

会沢が檄を飛ばした。三人は転がり込むようにエレベータに乗り込み、地階へのスイッチを押した。
扉が閉まろうとする瞬間、轟音と共に職員室の天井が崩壊した。

「……!!」

一瞬……ほんの一瞬だけ、苗の生えた体が見えたような気がした。だが、もう遅い。
扉は音も無く閉じられた。通常の耐魔人設計規格を遥かに凌駕する強度でもって作られたシェルターは、
いかな道明寺といえども突破するまでには相当の時間がかかるだろう。
エレベータが地下に到着した。

「ここが本当の職員室か……だだっ広いな」

津神が率直な感想を述べた。

「EFB兵器の起動装置は……あれか」

会沢が指差したのは黒と黄色の射線で彩られた台座である。
その上には鋼鉄製と見られるカバー付きの突起がある。更にそのすぐ下には入力装置。
ファタは迷う事無く暗証番号を入力し、セフティカバーの外れた起動装置に手をかけた。

「よし……行くぞ」

二人が無言で頷く。ファタは勢い良くレバー型起動装置を下げた。
……遠くで獣が唸るような音が聞こえた。同時にエレベータの入り口がシャッターで封鎖される。

「なんだ?」
「恐らく安全が確保されるまで上がれない仕組みだろう。絶対零度に近い冷気が
 吹き荒れてる筈だからな。迂闊に出れば死ぬ」

そう解説しながら床に腰を下ろすファタ。

「さて、詰めの打ち合わせをしておこう。万が一奴が生きていた場合の話だ……」










――――――――――――――――――――










【AM05:55分・地上職員室】

三人の緑化防止委員達は、エレベータの向こうに広がる景色に一瞬言葉を失った。
完全に凍り付いた職員室の中央に、異様な氷のオブジェが聳え立っている。
よくよく見れば、それは折り重なった寄生者達だ。皆一様に内側を向き、
何かに群がるようにして息絶えている。……何かに?決まっている。

「道明寺だ」

津神が唸った。恐らくはあの時、何らかの直感で危機を察した道明寺は、
己の配下を肉布団のように纏わせたのだ。

「死んでると思うか、会沢」
「分からん。分からん以上は生きていると考えた方が良い」
「だよな」

普通に考えればEFB兵器の直撃を受けて生きていられる生物など居ない。
だが、新潟県の魚沼産コシヒカリは誰がどう見ても『普通』の範疇を逸脱している。
新潟に常識は通用しないのだ。

「どうする。アレを使うか」
「それにしたってこの肉壁は通らないな。なんとかして崩さねぇと」
「だったら――」

ファタと会沢は声の主を見た。怒れる復讐鬼は、職員用のテーブルを両手で抱えていた。

「ぶち壊せばいいだろ。アイツが現れるまで、っさあ!」

その場で一回転し、ハンマー投げのように机を氷塊へ投げ付けた。
物凄い衝突音と共に氷片と赤黒い肉が飛び散る。

「うわバカ!もうちょっと考えて――うおお!」

津神は殆ど我を失ったかのような勢いで、その場にあるものを手当たり次第に投げていった。
瞬く間に氷塊は削られ、やがて筋肉質な背中が露出した。鬼の貌のようなものが浮き出た、
異様な火傷跡の刻まれた背中である。

「これは……」
「道明寺……!」

津神の目が爛と輝いた。ファタが制止するよりも早く、会沢がその肩に手をかけていた。
今にも噛み付きそうな表情の津神に、ハンターは一発の弾丸を差し出した。

「さっきのウイルスを仕込んでおいた。恐らく凍り付いた状態の奴には普通に撃ち出しても弾かれる。
 お前の手で、直接脳幹に撃ち込むんだ」

そう言って、無骨なアームに弾丸を握らせる。津神は無言で頷いた。
改めて道明寺の背中に向き直る。野球のセットアップフォームのように構え、
上半身を思い切り捻る。そして――。

「あの世で……鬼無瀬ちゃんに土下座しろ!」

弾丸を撃ち込もうとした瞬間――校舎が大きく揺れた。

「何ィ!?」
「地震!?いや、これは……!」

ファタがいち早く事態を察する。苗だ。コシヒカリの苗があらゆる場所から、
異常な速度で伸びてくる!
一瞬の判断で踏み止まった津神が素早く距離を取る。
メキメキと音を立て、苗はどんどん成長していく。
この土壇場で、ファタはようやく真相にたどり着いた。

「校舎が……校舎自体が、道明寺の畑だったのか……!」

何故道明寺があれ程緩慢なペースで校舎を歩いていたのか。彼はただ漫然と進んでいたのでは無く、
道中の至る所に苗を植えていたのだ。恐らくは会沢の監視にもかからないような、極微細な苗を。
『開かずの闇花壇』程徹底された閉鎖空間でも無ければ、日光が無くともコシヒカリは成長し続ける。
その力はコンクリートを砕き、鉄骨もへし曲げる。

「……これで」

今やコシヒカリに占領されつつある職員室に、静かな――しかし不気味な威圧感を湛えた声が響く。
道明寺の背中が蠢き、刻みつけられた鬼の貌が嗤ったような気がした。

「我々の」

ばきりと、致命的な音が響いた。天井に伝った苗が道明寺の開けた穴を押し広げている。
時刻は既に、6時を回っていた。夜明けが来る。

「勝ちだ」

どさり、と尻餅をついたのはファタ・モルガーナだ。彼は深く深く嘆息した。
それが最早無意味な行動であるかもしれないと知りつつも、津神薫花は未だ道明寺を睨み付け、
会沢格は銃口を脳幹へ向けている。

「ああ、これで」

ファタが、

「……これで」

会沢が、

「――――俺達の勝ちだ」

津神が、口角を吊り上げて笑った。太陽光が道明寺に降り注ぐ。
それは生物を育む柔らかな陽の光などでは無く、通常の何百倍、何千倍にも増幅された
死の熱線である。
間を遮ろうとする苗を焼き切り、氷塊を蒸発させ、道明寺の頭上に降り注いだ。
光に照らされた床も一瞬で燃え上がり、溶解し、道明寺の身体を下へ下へと引きずり込んで行く。

「――――~~~~!!!?」
「ファタ・モルガーナ謹製の『天蓋魔鏡』だ。じっくり味わえ」

熱線の正体は、『天蓋魔鏡』によって空気を凸レンズ状に屈折させ、収束率を高めた
太陽光である。焦点温度は実に溶岩の三倍以上、いかに魚沼産コシヒカリといえど
植物である以上、これ程の高熱に晒されれば燃えない訳も無い。

「アアアアアッガア!!グルアアアアッ!!」

獣じみた叫び声を上げ、道明寺が熱線の中でもがく。
原型を留めている床の淵に手をかけるも、瞬く間に放たれた会沢の弾丸がそれを咎めた。
追い討ちをかけるように、津神が飛んだ。角度を付け光速で放たれたのは、
アンチ・コシヒカリ・ウイルスを弾頭に仕込んだ銃弾である。
溶岩を遥かに超える高熱も、一瞬間に通り過ぎるなら殆ど影響は無いだろう。
弾は狙い過たず、園芸の鬼の頭を貫いた。

「ア―――」

効果は劇的だった。道明寺は雷に打たれたかのように震え、全身を硬直させた。
彫像のように固まったまま、道明寺の体はゆっくりと液状化した地面に沈んで行った。
道明寺の姿が見えなくなってから五分後、ファタはようやく『天蓋魔鏡』を解除した。
親株が死滅すれば、子苗もまた同じ運命を辿る。
日本壊滅の危機は回避された。

「……腹減ったな」

懐からぐしゃぐしゃになった煙草を取り出し、火を付けたファタがこぼした。

「米の飯が食いてえ」
「牛丼でも食べに行くか」

会沢が帽子を被り直しながら呟いた。こいつもこういう事言うんだなと、
ファタは少し不思議な気分になった。

「魚沼産じゃなけりゃなんでも良いよ。俺も腹減ったし」

津神が今日初めての純粋な笑顔で同意した。

「じゃあ、報告の前に腹ごしらえするか」
「ああ」
「奢れよおっさん」
「おっさんじゃねえ、俺はまだ20代だ」
「……そうは見えん」
「お前こそ高校生に見えねーんだよ!」

軽口を叩きあいながら、緑化防止委員の三人は崩壊した職員室を後にした。
暁の光が校舎を照らし、今日も希望崎学園の一日が始まろうとしていた。