第二部隊その1


 「鬼無瀬時限流初目録。火宙射(かちゅうしゃ)」
 口火を切ったのは鬼無瀬時限流門下、大観であった。実に壮観である。彼が手にしたるは『物干し竿』なる銘の巨大な刀、されどその長さと太さたるや尋常の物ではなかった。
 その長さたるやなんと五丈(15ⅿ)近く、切っ先に至っては七寸(21㎝)を優に越えていた。
 刀の形こそしているが、まさしく軍艦の主砲と呼ぶが相応しき異形である。
 これを刀と定義する刀匠も刀匠だが、振るう大観も大観である。しかして、かの大人(たいじん)の能力を号して曰く『自在剣』、物臭な彼によって『刀を振るうことが出来るよ。』とのみ汚い字で書かれ紹介されたそれは如何なる刀でも、そう定義されうる限りは振るうことが出来ることを意味していた。
 故に、そこに並はずれた膂力も技量も必要なく――、指で摘まむだけで済んだ。

 ――号砲とするには豆鉄砲であったが、ここは戦場。
 数の暴威こそ、距離の暴虐を数えることこそが肝要である。古くは戦国時代においても本来の戦場に置いて刀とは象徴的な役割以外、果たさない、かった。
 されど、誰の物干し竿かは知らないが、抜かずが華であったかの危剣も今本懐を果たす。

 散華――。
 カチューシャ・ロケットの名に相応しく、遥か上方より降り注ぐ砲撃に似た十六発の斬撃はその狙いがどうこうではない衝撃をもって憐れな、【魚沼産コシヒカリ】の傀儡を打ち砕いていく。
 初手に、この業を選んだのは偶然ではない。逸早く散った同輩の得意としたそれに、良き女に対する手向けを見るには感傷が過ぎるだろうか。
 だが、狭霧と言うには朦々とした土煙は、闘士の顔を顰(しか)めさせるには十分であった。

 「おお、気が利くではないか」
 空に大輪の花が咲いた。探偵・遠藤の能力によるものである。
 空と言うには余りに低空、地を摺り、削ぎ落とさんとするばかりに爆風と一色に統一された火の粉の奔走は、生き残った子苗を焼き払っていく。
 十号サイズ、余分な体脂肪と先程まで必死に詰め込んだ胃の内容物と引き換えにしては中々大きな一発であった。その効果範囲は100ⅿを優に越える……!

 探偵の能力『臙脂紫(えんじむらさき)』の銘は与謝野晶子の歌集『みだれ髪』の章題から取ったものである。
 いかなる炎色反応によってか火の色もそれを冠し、また探偵が頭頂に戴くアヤメの花もまた、赤みがかかった紫色をしている。臙脂紫の色温度はいかなるものであろうか、可視出来る範囲では最大である。
 なぜなら恋の炎は、人の思いうる中では最も熱く燃え上がるからである。

 ビスケットを噛み砕きながら、急激な血糖値の上昇に見舞われる。悲鳴を上げる血管と心臓に喝を入れるべく、いらない臓器を幾つか火にくべる。痛痒に耐えるも探偵の必須技能の一つである。
 それでも痛みが走った。まだだ、まだわたくしは姉様(あねさま)のように自分を殺すところまでは行っていない。こんなもので音を上げていては、名探偵の高みなぞ、夢のまた夢、と己を鼓舞する。
 道ならぬ恋を実らせるには、目の前を遮る雑草を燃やし尽くして道を切り開かねばならない!

 『臙脂色(えんじいろ)は 誰にかたらむ 血のゆらぎ 春のおもひの さかりの命(いのち)』
 思いは言葉になり口ずさむものとなるが、語らいは後にしろとばかりに言葉が飛ぶ。

 「そこ、ぼさっとしない! 観測! 右下方30度、八時方向に修正。五号サイズの奴をお願い!」
 檄を飛ばすのは魔法少女にして魔人自衛隊一尉、空戦のスペシャリスト・阿野次きよこである。この爆音、破壊音の中で明確な指示を飛ばす。マジカル☆ゴーグルは暗視機能も付いたスグレモノであった。
 『ファーストルック・ファーストショット・ファーストキル』。現代空戦における究極の形を志向した戦術思想を、この短い時間でスリーマンセルに叩き込ん だ一尉殿もまた、謎解きの必要性を求めなかった一人だ。曰く、とにかく全部ぶっ飛ばしてからじゃないとおはなししましょ、と、おーせになーた。

 上空を飛び回りながら、広範囲攻撃能力を持つ二人を、的確に誘導していく。
 あれだけいた亡者共も初撃と続く、第二射、第三射によって着実と数を減らし、半数を割り込もうとしている。無論、首魁たる道明寺の目を掻い潜り、不意打ちが完璧な形で機能したのは、先行した生徒会執行部役員の尊い犠牲もあろうが、他にも理由がある。

 それは、道明寺が未だ明けぬ空を見上げて、呟いた頃合いであった。

 「花火――?」
 植物の走光性と言うものを甘く見てはならない。『飛んで火にいる夏の虫』なる言葉があるように、本能と言うのは身を焼くとしても止まることを知らない。
 探偵・遠藤はもちろん、チームの誰もが企図した事はなかっただろうことだが、道明寺の強固な意志の下に知性を得た【魚沼産コシヒカリ】でさえ、その一瞬を、群体の方針を、奪われる――!

 そして、統制を失った軍隊と言うのは古今の東西を問わず、脆いものである。
 本能と親株の統制と言う二重の命令によって混乱した集団は硬直する瞬間の次の瞬間、破局が訪れる!
 打ち上げられた花火を標(しるべ)として、振り、降ろされる常識外の巨刀が打ち砕き、そしてその花火自体の光熱が無慈悲にも焼き尽くす。それは太陽に近づこうとしたイカロスの末路にも似ていた。
 道明寺自身は即座に遥か後方へと飛びのき、手近にいた子株を引き寄せるも、被害は甚大であった。

 「よし! 一気に畳みかけず、一旦引く!」
 「連隊長!?」
 「お義母様(かあさま)とは呼んでくれないのね、ちょー、ショック! って、そんなありがちな戦争映画みたいなこと言わないわよ! 探偵なら少しは頭使いな!」
 「ほう……つまりはこのままの距離でつかず離れず、少しずつ削っていくのじゃろ?」
 「そうそう――って、なんで魔法少女とサムライ、と一緒に戦ってるのが探偵なのよっ!?」
 ノリツッコミをかけられるのは自分の方なので、どーもちょーしがくるっちゃう、阿野次・母であった。事実、いつもはのもじがやってくれる分、娘の芸人気質を改めて認識するきよこであった。

 「よし、無理はせず少しずつ削っていくわよ、帰ったらみんなで美味しいコシヒカリを食べましょ♪」
 まぁ、それはともかくとして軽口を叩く余裕はあった。
 こちらの射程圏外、すぐに身を隠せる位置から不穏な動きをする道明寺に目を瞑れば、だが。
 見れば、彼は残された兵隊の大半をそこに残すと、ゆらりと幽鬼の如き足取りで、しかしその動きでは信じられぬ速度を持って駆け出していた。
 その背中には稲穂を突き刺された憐れな亡者、幾体かの影が続く。
 向かうは職員校舎、その壁面である。すさまじき剛力か、数百キロ、魚沼産コシヒカリそのものの重量を考えれば、もっとあるはずだ。

 だが、その影を目がけて打ち込まれる火炎花火を道明寺は意にも介さず、しなる穂の如く、変則的な動きをもって避けゆく。遂にはその屋上に辿り着き、降り立たんとする――。

 「あれは――?」
 「逃げる気でしょうか?」
 「夜明けを待つにしても、やっこさん役に立たない奴は捨てていったか。侵攻ルートを限定するために橋に向けて追い込んだのが仇と出たわね。よし菖蒲、鬼無瀬さんも少し休んでなさい。
 特に探偵の方は被害者ばっか打ち込んで疲れたでしょ、わたしが足止めしてくるからっ」
 指摘は的を射ていた。探偵五原則、上位三原則を探偵は尽く踏みにじっていた。
 被害者たる可能性のある全ての人間を、コシヒカリ亡者は既に人間ではないと言う強弁で凌ぎ、そして二原則の加害者概念による上書きで逃れた。
 可能な限りの身命の擁護と言う項目も、助からない限りは眠らせてやるが慈悲であると言う武士(もののふ)の言葉で捻じ伏せたが、詰まる所煽りを喰らうのは第三原則にある自分の存在である。
 肉体を粉にしながら放つ能力は強力である反面、下手を打つと堂々巡りの自己破壊に陥る危険性がある。ここまでの僅かな勢いでさえ、ビスケットの半分を消費して得たものに過ぎなかった。
 そして、時に第三原則までを捻じ伏せる第四原則は未だ条件を満たしてはいない。

 阿野次きよこはマジカル☆ボードを駆り、上方に飛び出す。
 「うわっ、あぶな」
 高空に陣取ろうとするも、校舎屋上から有線ミサイルの如く伸びるコシヒカリによって迎撃され、間一髪、躱す。無論、これは魔人能力『A.K.B』の繊細な駆動によるものだったが、その回避行動の中でも彼女の観測は止むことなく行われる。
 巻き込むまいと、双方の援護は止み、はらはらと見守るばかり、こういう時メリケンっぽい爆破範囲の広さは邪魔である。
 (ちっ、ファンネル……いや、インコムか。こっちはまだまだニュータイプだっての!)
 重力に魂を引かれた哀れな園芸者などに空(そら)を駆ける魔法少女が、負ける道理はないはずだが、
近接戦に持ち込むことが出来ないなら距離を取られ続け、勝利するビジョンが見えないのも事実だった。
 (こっちに背中を向けて何を企んでいるのやら、ん、あれってまさか!?)

 無軌道な、ぴんと張ったゴムがぶれる様な、稲穂の群れはピタリと静止し、入れ替わりに駆け出す影が一、二、まだまだ増える!
 「状況が変わったッ! 鬼無瀬さん、菖蒲も、後先考えない特大の奴をあいつにぶち込んで!」

 「ぐム、ンゥ」
 小手先の業を幾度か繰り出したに過ぎない筈が、思ったより身体の軋みは激しかったようだ。
 しかし、悟られまいぞ、一々止めるな、男子たるもの意地がある!
 「鬼無瀬時限流大目録。太観巨歩・絨路印池(たいかんきょほ・じゅうろいんち)ッ!」
 その一撃の正体は、言ってしまえば何でも無い上段よりの振り下ろしである。
 だが、身の丈の何倍か、では収まらぬ物干し竿を完全に一個人のモノとした時、何が起こるか。

 ――!

 局所的ではあるが、その威たるや旧日本海軍の超弩級戦艦の一射に相当したか、それだけを思わせる一撃であった。足場となった中庭の一角が凄まじき衝撃と共に崩落し、爆心地となった職員校舎に至っては両断され、返す一撃によってその片割れを粉砕――?
 「なっ――!」
 その暴威を掻い潜ってきたものがいる。臙脂紫の爆轟が完全に霞む中、それが輪郭であったとしても大観は知っている。嫌でも理解できた。
 影が手に持つ剣が物干し竿に触れた瞬間、その右半ばが吹き飛んだとなればわかろう。

 反動――。大観に降りかかったそれは凄まじく。
 指先に至ってはその全てが潰れ、爪に至っては弾け飛んで区別のつかない肉の塊となっている。
 その下手人は、その程度かと言わんげな酷薄な表情(かお)のみを貼り付けていた。
 「道明寺――、有難く思おうぞ。会敵の機会を得た事。ただ、それ以上に呪わしい、実に恨めしい――」
 (受けるがいい。先の見えぬ盲(めくら)の剣を――)
 それは己の声か、鏡となった晴観の声か、おそらく両方だったのだろう。物言わぬ屍と言うには生々しい、大観がその背を追い続けて来た晴観の剣は未だ生きていた。
 ならば、迷う筈が、迷える筈がなかった。満身創痍の中、大観は交戦を開始する。

 半壊した校舎を伝うように、次々と降り立つ影がある。
 その足取りは亡者のそれでなく――、生者の流暢な動きのままに手近にいたきよこへと襲い掛かっていた。その種は割れていた。道明寺本体と、その身体から突き出した稲穂、その連結による直接操作である――!
 「くっ」
 「後はお任せしますッ。わたくしは道明寺本体を押さえます!」

 言いながら明後日の方向への脇見を振らぬ遁走――、いや臙脂紫色の花火は次々と打ち上がっている。
 そのほとんどが躱されていると言う点を含めて、牽制としては申し分ないだろう。その隙を突いてきよこは上空へ舞い上がる。
 炎も、重力波も、アナルバイブも、追いかけてはこない。魔人固有の能力を我が物にするには【魚沼産コシヒカリ】の統制は緩んでおらず、一方で生前の膂力や瞬発力を健在としていた。
 故に、礫であっても、一撃で頭蓋を砕く脅威となる――が、そんなものでと立腹を示すのが我らが連隊長であった。
 「ちょーっと、わたしを仕留めるには安過ぎるんじゃないかな、それは」
 ここで彼女は意識する。一人の戦闘美少女(?)として、その型を。

 上へ避ける。
 上へ!
 下へ!
 下に!
 左に!
 右に!
 左に!
 右に!
 B(ボム)!
 A(アタック)!

 これは『魔法少女・空中操練術(第八版)』にも初歩として載っている、伝統の小並なコマンド。この操練を披露したのはひよっ子どもへの挨拶とでも言うのだろうか。
 だが、航空徽章も持つベテラン自機(パイロット)キヨコ・アノジ(巻き舌)が行使する所、こんな小並(コナミ)なコマンドには留まらない!
 追加することK(キヨコ)! すなわち阿野次きよこコマンドである。
 その効果、まさに無敵! 
 「さぁ、わたしを堕としたくば核ミサイルくらいは持ってきなさい」
 魔法少女(アラフォー)は不敵に微笑んだ。その背後では幾つもの花火が上がっている。


 大観が一対一の死合に赴き、阿野次きよこが一対多の戦いを強要されている頃。
 探偵・遠藤は校内を駆け回り、目当てのものを見つけ出していた。仕込みも手早く終え、飛び回る魔法少女と激闘を繰り広げる鬼無瀬一門を余所に、半壊した職員校舎の横面から首魁たる道明寺の待ち受ける屋上へと降り立った。
 遭遇した傀儡との戦闘で負ったものか、血の滴る半身を引き摺って。
 「ふむ、一人か」
 あくまで無感情に呟く道明寺を見て、探偵は確信した。
 胸元より終赤様より頂いた虫眼鏡を取り出し、掲げる。何の変哲も無い虫眼鏡であっても、宝物であることに間違いはない。覗き込んでも相手を観察する距離はまだ遠い。口づけをして元に戻す。
 驚くほど大きいその胸は、気忙しそうに上下していた。

 「漸く、話が出来そうですね。道明寺羅門様、いいえ【魚沼産コシヒカリ】。遠下村塾が門下、本格派探偵として木君の謎解きに参りました。これは」
 「ほう――探偵が我々に話しかけてくるとは珍しい。だが、『睦言』などはいらんよ――」
 疾――、何事もないかのような急激な加速。遅い能力は今日で、いや昨日ぶりだったか二度目か。何十発目かわからない花火は道明寺の左右を揺らすに留まり、狙っても上か、甘い――!
 「一端の女のつもりでいた――か?」
 その抜き手は女の胸を貫き、同時にその身体を意のままとする子苗を送り出さんとする。
 事実、それは成った。その心臓、貰い受けた。
 「がッ! 何事!?」
 同時に、何者かが異物が道明寺の、内部に侵入せんとする。
 その例えようのない嫌悪感に、思わず蹲ると冷ややかな声が降ってくる。先程、殺めたはずの女だ。女――探偵を号して曰く「遠藤之本格古笹ヶ菖蒲」と言う。

 「目が曇りましたか、【魚沼産コシヒカリ】。同科同属の【ササニシキ】を思い出したのでしょう? 子苗どもに囲まれて目が曇ったようですが、これは生存競争なのですよ。
 木様等がどうして《新潟》の地より出ることが叶わず、そこで不遇をかこってきたか理解してください。そして――自分たちが狩られ、喰らわれる存在であることを自覚なさい!」

 肩をいからせ、紺絣の着物を緩めると、破れた襦袢の合間から泥のように肉が崩れ落ち、形良く整った本来の乳房が垣間見えた。
 胸元より潜り込もうとし、果たせずにもがいている【魚沼産コシヒカリ】の子苗を摘まみだすや、『臙脂紫!』、能力によって発生した超小型の花火によって燃え尽きる。
 続いて、割れた虫眼鏡を愛おしそうに、そして誰ぞの心臓を落とすと、地に落ちるのを待たずにぼっと爆ぜた。その胸は大きいが、驚くほどではない。
 「賭けに勝ちました。驕った木様が松永様とわたくしを同じタイプと見なしたのも計算の内。
 虫眼鏡をこれ見よがしにかざしたのも、爆発をわざと外したのも、わたくしの細胞をたっぷり詰め込んだ、そこらで拾ったダミーの心臓を貫かせるための誘導!」
 言葉の通り、菖蒲はダミーの心臓をわざわざ能力を使ってまで動かしていた。光を照り返す虫眼鏡は最適の目標であった。光を求める本能はたとえ親苗と言え、無意識の内に行動を決定していたのかもしれない。

 「――! そうか、貴様等【ササニシキ】が阻み留め……、おのれ種の頂点たる【魚沼産コシヒカリ】の愚弄をするか! 痴れ者めがぁ!」
 発言は園芸の修羅、道明寺のそれとは言い難い。
 【魚沼産コシヒカリ】の激怒である。【魚沼産コシヒカリ】に意志はある。全ての外敵を押しのけ、繁殖するという目的をより効率良く達成するために、【魚沼産コシヒカリ】は道明寺羅門の脳と言う人類の、魔人の思考と言う回り道を選択した。
 【魚沼産コシヒカリ】、道明寺羅門、両者の意志を司るは一個の脳。
 だが、今ここに自分達と同格の種の登場に、混在する思考は一本化される――! 彼らは立ち上がった。

 「【魚沼産コシヒカリ】が見苦しく、人様の身体を乗っ取ろうとするのを見て確信しました。
 つまりは木様等は自己完結が不可能な寄生植物であると。
 【ササニシキ】は【ササニシキ】の上に【ササニシキ】を、更にその上に【ササニシキ】と言う形でこの人体を、探偵体を作り上げたのです。いつまでも道明寺様(ほごしゃ)の中に引きこもっているおつもりですか。わたくしのこの体は自前ですのよ」

 探偵・菖蒲は挑発を繰り返す。実際の双方の身体能力は大きく開きがある。
 確かにこの近距離に一対一で向き合うことなど愚の骨頂、松永薫の二の舞と思っても無理のない事だろう。眼前に敵を残してはおけないと、好奇心を持たない【魚沼産コシヒカリ】は確かに最適解を取った。
 それは【魚沼産コシヒカリ】が最強の種であるとの驕りゆえ、そして思考を取り戻したがために 探偵は松永の犠牲の上に勝利の方程式を導き出す――!

 時に【ササニシキ】の正体は外宇宙より播種のために飛来した地球外探偵のための一種の宇宙船である。
宇宙船と言うと、ボイジャーやスペースシャトルのような巨大なものを想像してしまうが、この極小の穀物は大気圏突入の際の高温高圧にも耐えられる、それで充分であった。
 ファンタジーやSFで言えば残留思念や魂を遺伝子と共に運んできたと言えばわかりやすいだろうか。
 その性質は好奇心に生き、他者を理解し、交わろうとする。それ故に人を理解するために、探偵の形を提供された時、すぐ飛びついた。
 探偵五原則と言う形で存在を固定されてしまったものの、人工探偵はその内なる魂と共にそれを理解し、納得している。探偵は人と共にあろうと、生きようと誓ったのだ。

 そう。理解し、取り込む。その性質は【魚沼産コシヒカリ】が相手でも例外ではなく、《新潟》を包囲された彼らはそこから飛び出そうにもすぐさま安全なハイブリッド米となってしまう。
 他の地域の【コシヒカリ】が善良であるのはこれが原因である。

 「わたくし達人工探偵は【ササニシキ】を代弁して参ったわけではありません。【ササニシキ】なぞ、所詮は容れ物に過ぎません。【魚沼産コシヒカリ】、覚悟!」

 探偵が駆ける――。
 日本古来の探偵の中でも一派、本格派は体術にも長ける。
 如何に着衣が乱れようと構うことがないのはそう、菖蒲は女の成りをしているが、それ以前に探偵と言う生き物なのだ――。
 慣れぬ人の容、戸惑うばかりで動かし方もままならない。親しんだ身は稲穂のみ、けれどそれを振り回そうにも。探偵は触れられた箇所をすぐに火にくべ、決定打を許さない。
 お返しにと【ササニシキ】由来のナノマシンを注ぎ込む。また、遥か上空で花が咲いた。

 「そのような、小細工。先程で学習してください!」
 「く――!」
 【魚沼産コシヒカリ】は確かにこの母なる地球が生み出した植物と言うカテゴリーで言えば、紛れも無く最上位、食物連鎖の頂点に達するであろう。
 だが、それは地球と言う箱庭の上での話、全くの埒外から現れた生存(ライフ)ゲームの中では、「ロイヤルストレートフラッシュ」の中に花合わせの「五光」を混ぜたに等しい。
 同じカードゲームでも、同じ穀物(コメ)でもそもそもルールが違うのだ!

 いわば、道明寺羅門と【魚沼産コシヒカリ】は外敵たる探偵・菖蒲と内なる敵の【ササニシキ】の両側から攻められているに等しい。
 今は宿主たる道明寺羅門が必死に抑え込んでいるが、ナノマシンと言う形で暴れ狂う【ササニシキ】を理解するのは園芸の修羅ですら容易いことではなく――、戦闘が十分を過ぎてもなお排除することは出来ていなかった。


 そして、今一つの決着もつこうとしていた。人知れぬ戦いは横入りを許さぬ。
 たとえ、一方の傷を矢鱈に増やす結果に終わろうと戦い続ける。正眼の構えのまま、斬撃の余波を駆って荒廃した校舎は、驚くほど狭い。いや、一撃虐殺を旨とする彼らにとっては肉薄し過ぎていた。
 「鬼無瀬時限流奥義」
 驚くべきことだが、この歳にして奥義を許される大観は一度も晴観に勝ったことがなかった。
 「大観巨歩(たいかんきょほ)」
 (どうしようもない、莫迦者め――死んだら終わりだと言うのに。)
 (ああ、そうさな。しかし負けられぬ――)
 「紫綬録散池・しじゅろくさんち)――」
 最早、物干し竿は十分の一も残っていない。それでもこれから放つ一撃は生涯を賭しても二度はないもののように思えた。
 振る、その動作を待たずして崩れ落ちる晴観を見なければ。
 刀が落ちる。持たれかかる晴海の体温は、冷たかった。大観は女の肌のぬくもりを知らぬ。それゆえの無知であろうか、いや――。
 「どうして死んでいるうちに、この死合を演じられなかったッ! 足りぬ、足りぬゥ!」
 慟哭であった。その言葉の意味を知るには道明寺の顛末を知らねばなるまい。

 道明寺・菖蒲、双方の全身は激しく傷つき、上衣に至ってはお互いほとんど吹き飛んでしまった。
 壮絶な戦いを想起させた。菖蒲の乳房はその片側が抉られ、火瘡で塞がれている。こちらも能力の代償で失われたのであろう、右腕は既になく、左腕は縦に裂かれて指の本数こそ変わらないものの機能を失っていた。
 他、不要不急と見られる器官は尽く火にくべられている。引かれるべき後ろ髪も既に存在しない。

 対する道明寺は全身を火傷に包まれている、その前面はまるで爆撃を食ったかのようにクレーターが開いている。
 頃合いと見たところで、道明寺の体内に潜り込んだナノマシンや吐き出したビスケットを『臙脂紫』によって起爆したのだ。探偵の能力は『自身の肉体』と認識されるなら切り離されていようと構わない。魔人能力のファジーさを利用した奇策であった。

 それで、なお斃れない。満身創痍のはずなのに、半ば精神で持ちこたえる二人。
 既に道明寺の括りで語られる精神の存在しないはずの【魚沼産コシヒカリ】も欠陥品の烙印を押された菖蒲も、なぜか。
 口を開いたのは道明寺である。
 探偵の株を奪うは園芸者、しかし蕪を植えるは園芸者である。

 「【魚沼産コシヒカリ】が嫉妬している――。なぜ、私に心の内を開かなかった。
 どうして、かようなものに心動かされるか。私は――嫉妬しているのか――?」

 果たして、それは米の内より出た言葉か、それとも道明寺自身の慨嘆か……、それを分けて考えることは最早意味の無い事なのかもしれない。
 「どうして、木様は《探偵》なぞと言う訳の分からぬもののために立っている――?
 お前たちは尽く討死に、残るのはお前だけと言うのに。孤独なものはどうして、それを奪った世界に噛みつこうとしないのだ……?」

 「気付いたのですね。わたくしの正体に……?
 謎を解こうとするそれも探偵の業、探偵が探偵に討たれるならまた本望と言うものでしょう」

 「人工探偵がいかなものであるか、ナノマシンとやらのおかげで概ね頭には入った。
 そして、木様の生まれ故郷『古笹工房』。『古笹』――。
 『HURUZASA』⇒『H U R U Z A S A』⇒『SU R U Z A HA』⇒『SU R ZU A HA』⇒『SU ZU RA HA』⇒『SU ZU HA RA』⇒『SUZUHARA』
 「『スズハラ』機関。園芸者の闇に浸かっていると時たま聞き漏れるのよ、かの結社の名が。我ら【魚沼産コシヒカリ】をE.F.B指定にしたのも彼奴らか……、して彼の、手の者にかかろうとしている。
 ここここ、所詮は人の測り知れなき悪意の前に食されるが穀物の定めと、言うことか」
 「もういい、いいのだ。道明寺よ。
 闘いの中で変異し、品種改良を繰り返す我ら【魚沼産コシヒカリ】の特性もここに至っては仇しかない、爆発的な繁殖力も今となっては、最早、ない。
 能力をもってしても我らに世界を変える力は失われたのだ……。
 木様は単なる【ササニシキ】ではなかったな、我々の内に食い込んできたその気の多い性分、好きではないぞッ」
 代わる代わる、重ね重ね、紡がれる言葉は同じ声色をしている。
 そこに――虚無はなかった。

 「わたくしは【ササニシキ】と【ひとめぼれ】のハイブリッド米とラベリングされています。
 惚れっぽい性分は後者に由来するものでしょう」
 「木様は同胞を使い捨ての道具とした者たちが憎くないのか?」

 察しの通り、菖蒲は探偵狩りの探偵。探偵を殺めるには探偵が最も適しているとして、既に役割を終えた工房にて量産されたが、一人一殺にもならぬと見なさ れ廃棄された。次々と斃れ、最後に残った菖蒲は哀れんだ遠藤家に拾い上げられ、彼の家が擁する他の人工探偵と肩を並べることとなったのである。
 スズハラ機関は探偵の頂点の一角『蠍座の名探偵』が籍を置いているのだ。本格派探偵の真似事をすることなど、容易いことだったろう。探偵五原則に誰も手を加えられなかったという点を除けば。

 「菖蒲」は「殺め」に通じる。
 探偵・菖蒲の理想像となる探偵はすなわち探偵殺し。第四原則にそう明示された瞬間より探偵は探偵として生まれた己自身を殺そうとし、同時に自己保全の原則によって果たせず自己矛盾に陥った。
 故に探偵は道を誤り、既に加害者の範疇で括られるしかなくなった探偵を狩る。いや、自己崩壊を免れるには狩り続けるしかなくて、無茶な理屈を捏ねくりあげては犯罪者を探偵と呼ぶのだ。

 「わたくしは、生きます。わたくしは『逝き遅れ』だから。死んでいった同胞のためにも生き続け、それが早まることあってはならないのです。
 そして、今。【魚沼産コシヒカリ】に『スズハラ機関』の長い手が及んでいたこと、確信いたしました。――【魚沼産コシヒカリ】並びに道明寺羅門、魂無きままに大地を席巻しようとした暴慢なる種よ。
 探偵の鋳型に収まり、探偵の業を用いるよう身を鑑みましたか? 汝を孤独とするは、汝自身。
 ――あなたを水旱蝗湯(すいかんこうとう)と断定し、人類、人工探偵中の理非善悪を擁護するため、これより駆除を行います。 
 収穫は遠下村塾門下、遠藤之本格古笹ヶ菖蒲(えんどうのほんかくふるざさがあやめ)。説を明らかとする暇(いとま)は覚えません。刈り取りを行う由を知らずとも――」

 「もー、いいでしょ。あんたら」
 割り込む声、ひとつ。その着衣に乱れは見られない。歴戦の魔法少女の意地を見せつけていた。
 「言ってることの半分もわかんないけどさ。尻すぼみに終わっちゃったけど。
 もう、終わったんでしょ。若い人がこれ以上、殺し合うことはないんじゃない?」
 「でも、連隊長……この犯人は多くの人を殺しました」
 「もう【魚沼産コシヒカリ】はいないんでしょ? なら、後は出るとこ出て決着付けましょ。
  わたしの勘だけどさ、菖蒲。……あんた、道明寺を殺して自分も死ぬ気でしょう。本当は犯人のことを探偵だなんて言いたくないみたいだし」
 「義母様……この探偵は――」
 「はい黙れ。お・か・あ・さ・ま・の言うことがきけないの。うちの愚娘(ぐじょう)に告白するんでしょ?」
 (あー、しっかし。いきなり走り出した時はびびったわー。信号花火で大体わかったけど、これがウィルスの効果? いきなりバタバタ倒れ出したけど、死んでないわよね、うん。)
 「ハイ」
 行き場を失った今夜最後の花火は、遥か上空本来の距離で咲く。
 夜明けを待たずして人類滅亡の危機は回避された。失った命は多いけれど、帰ってきたものもある。鬼無瀬大観は己の感情と向き合い、これからを生きていくのだろうか。
 ここだけの話だが、菖蒲はのもじさんに告白し見事玉砕した。きよこさんはその肩にぽんと手を置くと、一歳児を連れて夜の街に消えていく。

 「ああ――綺麗だな」
 道明寺は生まれて初めて、太陽以外の光を美しいと思った。
 身の内のハイブリッド米は他者を理解することを覚え、その影響は宿主たる道明寺の心を融かす。いつしか背の鬼の相も和らぎ、表情も綻むように見えるのは、気のせいではなかったのかもしれない。

 ところで身も蓋も無い話だが、植物の交雑が動物の交尾に等しいのだとすると、彼らの結束はその片方が童貞を捨てた裏切りによって乱れたのかもしれない。道明寺は童貞であった。
 一応、名誉のために言っておくと探偵としての菖蒲は今も立派な処女である。

  • 完-