鳥根交通梶原線車両

キハ41000形
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41001、41011、41101
日本国鉄のキハ04形(キハ41000形)と類似、もしくはそのもの。
元は1935年から1938年にかけて導入された自社(当時鳥根地方鉄道)導入のキハ1000(キハ1001~1008)と元日本国鉄キハ04形のキハ41030形(41030~41033)を1949年に統合、また、その後、1950年に追加導入として11と12が導入。
1953年に、一旦41001~41008(戦前自社導入)と41030~41032をキハ41901とキハ41011・41012に搭載した三野ディーゼル(当時鳥根ディーゼル)T42EF型エンジンに換装。その後、1966年にDMH17系(B型、C型またはH型、41007のみ一時期デッドコピーの築亜機工TIMH17S)エンジンに換装。その後、1975年頃より廃車が開始、1993年には現存の3両を除き廃車、1995年には一旦この3両の定期運用が外れましたが、2005年頃、1日1便のみですが、定期運用が入りました。その後、再び現在は、基本的には夏休みや年末年始、イベントのみの運用です。
キハ1000(II)形
1002
1959年に日本国鉄キハ16系をもとに製造されました。
キハ2000形
日本国鉄のキハ20系列など。2001~2005は1964年から1970年に自社導入車として登場したグループ。1~3は1964年と68年に日咲国鉄工場(現JHR綜合車両システム)にて製造。基本的に日本国鉄キハ20や日咲国鉄T20系列気動車等と同型だが、2のみ試作としてルッツォール(Luzoir)式台車を装着して登場しました。(ただし、当初から不具合が頻発のため数か月ほどで元に戻されたという。)4と5は1970年に今度は上沢重工製で登場。
DD55形
1~3・101
両方とも日本国鉄のDD13形と類似しており、エンジンもDMF31SBが搭載されているが、ルーツは1~3と101で違う。
梶原線での貨物営業が廃止となった現在、用途としては、救援・保線などとなっている。
また、定期運用として、朝の梶原線客車列車牽引用として使用。
1・2・3
自社導入車グループ。1975年上沢重工製。基本的にはDD13形600番台に準拠しているものの、運転台扉が片方なく、前照灯が1灯であることなどの相違点がある。
101
1983年に、稲見港専用線から譲り受けた。1966年三野重工製。こちらは、前照灯が2つでDD13とほぼ同じ。
また、こちらは、重連総括制御に対応していない。
DB15形1・2
ハルトヴィヒ・マシネンバオ(機械製作)製(後に少々不具合があったためにエンジンや駆動系は三野ディーゼル製に換装)15t級小型ディーゼル機関車。主に、入換、保線に使われる
1963年に、貨物の入換用として導入された。 ただし、当初は車籍の無い機械扱いであったが、1970年に車籍に載る。

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最終更新:2016年12月21日 23:28
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