・「通りゃんせ」 …江戸地方の童歌 作詞者不明・作曲者「本居長世 …宣長の子孫」
Q.何故一度通った道なのに、帰りが「こわい」のだろうか?
埼玉県川越市の三芳神社がモデル
大田道真(どうしん)・道灌(どうかん)が幕命で川越城を建設、城の敷地内に三芳神社はあるが、城より以前からこの土地にあった。そのため神社を入出するには、厳しいチェックを受けていた。
箱根の関所
江戸から外に行くのは楽だが、再び入るのは難しいただし歌詞中「七つの御祝い」で関所越えはしないだろう。
A.「七つの御祝い」という隠れ蓑をつかった「天神参り」
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菅原道真 …平安時代 宇多天皇に重用され、醍醐天皇の御代(みよ)に右大臣の地位
時の左大臣:藤原時平により太宰府に流され 903年2月25日病没
死後、今日の都では異変が相次ぎ時平の死去。時平の長男変死。
極め付けに930年、清涼殿に落雷直撃、そのショックにより醍醐天皇病没。
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Q.しかし死後27年経った人間を、恐れるものだろうか?
野見宿禰(のみのすくね)
日本初の相撲
・天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士、垂仁天皇(第11代)の命により当麻蹴速(とうまのけりはや)と相撲をとって勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)
を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた人物
日本初の埴輪
| ・天皇薨去(こうきょ)に伴う殉死を廃止させ、代わりに埴輪を埋める事を考えた
| その功績により、宿禰は『土師』という性を下賜された
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Q. しかし殉死を辞め埴輪を?
A.いつ何時「殉死」の命令が出てもおかしくない立場の人物
=身代わりの埴輪を作らなければならないほど、低い身分であった
・「土師(はじ)」=「土」は「は」と読むことはできないので当字 =「恥」
もとい「野見(のみ)宿禰」=「叩頭(のみ)奉る」…頭を地面に擦りつけるの意
あまり出自の良くない人物であるが…
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当時の貴族において、御所への昇殿を許された五位以上の人間が「人」であった
そのため、日本の99%が「人」として扱われていなかった
・781年 光仁天皇 土師古人(ふるひと)が改性を願い出て『菅原』という性を下賜された
・菅原(大和国 菅原邑 にちなんで)
土師… ・秋篠(大和国 秋篠 にちなんで) 同時期に分岐されている
・大江(桓武天皇 791年に下賜)
この土師古人から4代目に道真父・是善(これよし)は 参議・従三位 まで昇進
その息子・道真は右大臣まで昇り詰めるが、時平を中心とした公卿から非難の声が
出自が卑しすぎるという理由により、右大臣辞任を迫り、無実の罪で流罪となり病死
・天神=菅原道真 …弱い立場の人々の、怒りや恨みを汲みあげ天罰を下してくれる神様
A.「天神」という「人未満」の庶民の苦しみを共有している性質を、権力者側が恐れた
・陰陽道 …「日向(白)」「日陰(黒)」を万物の根源とみなす考え方、
| この上に「五行」の木火土金水の五要素を加えた「陰陽五行説」の思想を打ち立てた。
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世界を原理的・構造的に把握し、その原理に基づき世界を解読する技術の一つ
漢方 木 …肝臓
火 …心臓
土 …脾臓
金 …肺臓
水 …腎臓 …水は冬で寒 …冬は腎臓の冷えに注意する …弱ったら相克の「土」「金」で補う
・陰陽道が日本へ伝来したのは 継体天皇7年(513年)、その後推古天皇10年(602年)に百済の僧・観勒が歴本、天文書、地理書、遁甲、方術書を日本にもたらして盛んになる。そして天武朝にいたり、官僚制の中で陰陽道に採り入れられることとなる。
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・聖徳太子 …十七条憲法(陰の極数八 と 陽の極数九 を足したもの)
…冠位十二階(天文十二星宿)
EX …吉備真備、藤原仲麻呂、桓武天皇、藤原道長などが、陰陽道を信奉
・安倍晴明 生年月日不詳
・「土御門家記録」「尊卑分脈」「安倍氏系図」を見ると 1005年9月26日 享年85歳としている
逆算をすれば921年ということに推測される。
・「讃岐国大日記」などによれば讃岐(香川県生まれ)・大阪阿倍野区の安倍晴明神社付近を生誕地とする説
「古浄瑠璃」の物語だと、摂津の国の安倍保名が、和泉国・信太森の葛葉姫と契り清明が生まれたとされてる。
↓ →正体は白狐の化身
「異類求婚譚」や「神婚譚」と考えられている
→人間と動物が結婚する話
・若いころ、加茂忠行に師事していた清明は、下京あたりに行ったところ、鬼たちがいて忠行は術を使って、
その場を通り過ぎる事が出来た。忠行は術のすべてを清明に教えたとされる。
そして忠行の息子は清明に天文道を、自分の息子には暦道を伝授した。
↓ →加茂家 …暦道
安倍氏(土御門家) …天文道 と、二流に分かれて行った
いつわ
・源頼光の切り落とした鬼の手を封印した話
・道真に献上された瓜に、毒蛇が入ってる事を「射覆(せきふ)」という術で指摘
・「泰山府君」の術を施し、師の僧と弟子の僧を救った話
・在原業平の家を「封じ」火災から守った話
・竜宮に行って呪宝をもらってきた話
・蘆屋道満と術比べをして勝利した話
↓
「セーマン・ドーマン」 陰陽道に使用される二種類の図形
・セーマン …清明桔梗 …五芒星 …木火土金水
・ドーマン …臨兵闘者皆陣列在前 …青龍、白虎、朱雀、玄武、匂陳、南斗、北斗、三台、玉女
歴史(実際の記録に残ってるもの)
985年 藤原実資の御産のために解除
986年 泰山府君祭
988年 小児の病気祓いのための、鬼気祭
989年 皇太后詮子のために、泰山府君祭
999年 火除けのための防解火災祭
1002年 玄宮北極祭
1004年 雨乞いのための五龍祭
1005年 一条天皇妃・彰子の大原野神社参詣のために反閇(へんぱい)
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「禹歩(うほ)」…道教の北斗七星の形や八卦の意味を込めた歩行法(安全の保障などを得ることができる)
| この兎歩が陰陽道に取り入れられて反閇(へんぱい)と呼ばれ、
| 地霊や邪気を祓い鎮め、その場の気を整えて清浄にする目的で行われるとされる。
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・中国に伝説的な聖で、堯や舜に仕えて夏王朝を開いた「禹」という人物がいた
この「禹」が治水工事時に足にあかぎれを作り、ゆっくり歩いたのを真似て、この歩行法が出来たらしい
・陰陽師=「式」=仏教でいう「護法童子」
↓
「式盤(ちょくばん)」
「地」 …正方形の盤 …八卦 ・十干・十二支・二八宿
「天」 …中心の円形の盤 …十二月神・十干・十二支
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十二天将 …式神のルーツでは?
・青龍、天空、白虎、大裳 (たいもう)、 玄武、大陰(だいおん)、天后(てんこう)、貴人、勾陳(こうちん) 六合(りくごう)、朱雀 などの天空十二神
=修験道 「護法童子」
密教 「守護神」
神道 「眷属」
道教 「使鬼」
いざなぎ流「式王子」
・朝廷 …陰陽師
・民間 …唱門師(しょうもんじ)=声門師 …中世の賤民 …蘆屋道満
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※当時は有位・無位の 官人・公民 |
雑色人の 良民 |
奴隷の 賤民 __________」
※ 流浪漂白の呪術的芸能者のことを、唱門師(=7道者(衆))と呼んでいた(寺社雑事記 1463年)
・猿楽
・あるき白拍子
・あるき巫女
・鉦打ち …時宗に属し、銅鉦(どうしょう)を首にかけ和念仏踊りなどをした半僧半俗の者
・針叩き
・猿飼
・あるき横行(のろんじ=呪師)
「周遊奇談」
・唱門師といふ事、五畿内には山城に多し。これも年々減る如く見えたり。
土御門家配下にして、陰陽師と同じ類なり。唱門師の在所の産神は、
晴明を祭る。正月は萬歳のごとく所々に出ると云ふ。近江国は所々に有り。
いずれも陰陽師と俗に云ふ。百姓町方と縁組せず、実にはなれものなり
→ 被差別民
・823年(弘仁14年)に「承和の変」で藤原氏が実権を握ると陰陽道が復興し、
国家専属だった陰陽師は時代の流れと共に、貴族の為に活動をするようになり、
この頃から少しずつ民間に広まるようになった。
・陰陽師 …律令制における中務省陰陽寮の職名( =従7位上を相当官位)
蘆屋道満のグループは、下級の陰陽師として軽視されていた。
「式神」
・順番 「鬼か・神か・狐か・木霊か」 (「源氏物語」より)
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・鬼とは、当時の人(=貴族)にとって最も恐れられているもの = 鎮魂
「青丹よし 奈良の都は咲く花の 薫ふがごとく 今盛りなり」
↓ →「丹(=朱)」…水銀の中でも辰砂と呼ばれる赤色硫化水銀(HgS)
「青」 …上等な砂鉄
・ 水銀は古くから日本に産し、その原鉱の硫化水銀は、防腐と装飾をかねて建造物の塗装用に用いられた。
大仏のメッキは砂金を水銀に溶かし、これを大仏の表面に塗りこんだ後350度くらいの温度で熱することにより、水銀だけ蒸発させ、金を銅表面に固着させる方法で行なわれました。
(弘法大使空海は、水銀の鉱脈に精通したおかげで、真言宗の開祖になれた)
・ 鉄に関して秦氏のもたらした新しい製鉄技術の発展により鉄の重要性が高まった
→応神天皇(284年)弓月君(=秦氏の祖)が日本へやってくる
それにより、朝廷と産鉄民の奪い合いが始まった